私が前に勤めていた病院のドクターで、中途退職されて、新興住宅地で開業された先生があった。
久々に、職場を訪ねて下さった先生がおっしゃるには、
「開業して、その土地でやっていこうと思ったら、とにかく悪い噂を立てられんことや。特に、団地の奥さんは要注意やな。その奥さんに嫌われることは、団地中の奥さんに嫌われるのも同じ事やから。悪い噂が広まるのはとにかく早い。良い噂の何十倍も早い。そやから、僕は、患者の住所録を見て、どっかの団地から来た人には、特に注意するんや」
それから、こうもおっしゃった。
「僕の所でも、何人か看護婦さんを雇ってるけど、揉め事が起きたら、真っ先に止めて行くのは、『いい人』やな。あの人を辞めさせえと、ゴチャゴチャ言うてきて、最後まで居残るのは、たいてい『嫌な人』や。そやから僕はゴチャゴチャ言うてくる人の方を先に切るねん。そういう人の言うことを真に受けて、『いい人』を切ってしもたら、僕が損するだけやからな。まあ、平素の行動を見てたら、どっちが『いい人』で、どっちが『嫌な人』か、分かるやん。一見、診療には何の関係も無さそうやけど、やっぱり『嫌な人』が一人でもおったら、いい看護婦さんは居着いてくれへんから。人を選ぶのも、なかなか難しいねんで」
先生と話した時間は短いものだったが、この二つの話は強烈に心に残った。
「悪い噂は、良い噂の何倍もの早さで回る」という話は、医療に限らず、ビジネスの世界でも同じ。
人間関係においても、褒め言葉よりは人の悪い噂を聞く方が圧倒的に多い。
ところで、ポーランドで生活していて、これは非常に気持ち良いなと感じるのは、日本のワイドショーのような番組が無いことである。
タブロイド紙では、有名女優が誰と交際中とか、英国の王族がどうとか、誰が破局した……みたいな話が一面を飾ることはあるが、淡々と事実が伝えられるだけで、日本の週刊誌みたいにしつこく追いかけたりしない。
それはTV番組も同様で、政治家の社会スキャンダルがトップニュースになることはあっても、芸能人の色恋や一般人の犯罪が大きく取り上げられることはないし、コメンテーターが知ったかぶりで論評することもない。そういうのを公共の放送でネタにするのは下品という認識があるし、誰も他人の私生活や人間関係に興味は無いといったところ。相手がたとえ王族やタレントであっても、だ。
だから、私も興味ありません・・という訳ではなく、私も、ウッチャンのミル姉さんは好きだし、ワイドショーのショービズ・コーナーも興味深く見ていた。
俳優の○○が、女優の△△と熱愛と聞けば、「ぬぬ……」と思うし、どこそこのカップルが離婚の危機と聞けば、何が悪かったのかなと、自分なりに考察してみたりもする。
少年犯罪のニュースが吹き荒れていた時は、コメンターの発言を興味深く聞いていたし、政治家スキャンダルが続いた時も、やはりその去就に関心を持って見ていた。
だけど、なぜニュースの中心に、良い話があってはダメなのだろう。
五年間、登校拒否だったお子さんが、友だちに励まされて学校に通うようになった話とか。
若手バレリーナが欧州の劇場で『白鳥の湖』を好演し、絶賛を浴びた話とか。
誰もが感心し、心が明るく照らされるような良い話が、どうして人の噂や悪評の後に付いてくるのだろう。
それが中心では儲からないのだろうか。
昔から、「人の噂や悪口が好きなのは、不幸な人」と言われているが、不幸な人に限らなくても、噂や悪口にそそられる気持ちは、誰の中にもある。
他人の好ましい話を聞かされるよりは、誰が悪い、誰が失敗した、というネガティブな話を聞く方が、自尊心を傷つけられずに済むからだろう。
この世に、劣等感を持たない人間はいない。
立派な話や幸せな話は、心を照らす一方、劣等感を刺激することもある。
誰だって、自分だけが劣っているとは思いたくない。
世の中には、自分と同じように失恋したり、失業したり、事業に失敗するような、間抜けな人間が大勢いる。
それを知ることで、慰められる人は多い。
ワイドショーがあれだけ批判されながら、結局、無くならないのは、「健全な番組ばかり」に耐えられるほど人間は強くないからかもしれない。
かくして、開業したドクターは、団地の奥さんを警戒し、嫌な看護婦を上手にやり過ごしながら、小さな診療所を切り盛りされているのだが、その先生を十数年前から知っている事務員さんに言わせれば、「あの先生、開業してから、すごい、やつれはった」。
悪い噂で、潰れる人間(会社)も少なくない。
かといって、世間の悪評に怯えながら、縮こまって生きていくのも馬鹿らしいし、せめて自分の足場を崩さぬ程度に、堂々と自分を主張しながら生きて行きたいものである。
初稿 2003年11月5日
追記 2020/04/29
ちなみに、「人の目を気にしない(誰に何を言われても平気)」と、「悪い噂を警戒する」は、まったく別問題です。
前者は、評価やイメージに相当するもので、たとえば、行動的な人が一部から「目立ちたがり」「図太い」と取られても、それは大してダメージになりません。
なぜなら、人間の信用に関わる問題ではないからです。
一方、「あの人に帳面を任すと、雑で、ミスばかり」「こちらが請求しても言い訳ばかり」みたいな、社会的信用に関わる『悪い噂』は、些細なものでも致命傷を与えることがあります。
いくら「誰に何を言われても平気」と言っても、髪の毛もくくらず、前掛けもせず、普段着で炒飯を焼いてる店とか、いい気分はしないですよね。
「あの店は、衛生観念に劣る」みたいな悪い噂が立てば、どれほど料理が美味しくても、お客さんが近寄らなくなってしまいます。
自分らしさや自由を追求するのはいいですが、果たしてその振る舞いが『社会的信用を損なってないか』という事には、常に敏感にならないといけません。
そして、ひとたび、社会的信用に関わる悪い噂が立てば、信用を取り戻すのに、何年、何十年とかかります。
世間というのは、本当に恐ろしいものであり、それを思い知る時には、たいてい、何もかも無くした後なのです。