私がAさんに出会ったのは、新米看護婦として外科病棟に勤務していた頃のことです。
Aさんは二十代男性で、外国で膣形成術を受けたものの、膣と直腸の間に瘻が生じ、腸の内容物が膣に漏れ出すなど様々な問題が生じた為、手術目的で外科病棟に入院されました。
幸いAさん自身は健康で、既往歴もなかったことから、瘻を縫合すれば、すぐに軽快するだろうとの診断。術式もさほど難しいものではなく、入院予定は二週間でした。
しかし、膣形成術を受け、見た目も女性のようなAさんを病棟内でどのように遇すればいいのか、看護側には戸惑いもあります。
病棟カンファレンスを通じて、「病室はトイレ付きの個室」「患者名の表記は戸籍に準じる」「共同浴室の使用時間を特別に設ける」「基本、女性として接する」等々、様々な取り決めがなされました。
ちなみに、病室のネームプレートをどうするか、偽名(女性名)にした方がいいのではないか、という意見もありました。男性名の病室から女性の格好をした人が出てきたら、他の患者さんが動揺するのではないかという理由からです。さすがにそれは考えすぎだし、患者名は正確に表示するのが原則なので、戸籍通りのネームプレートが使われましたが。
それでも、いざ本人を目の前にすれば、そんな簡単に割り切れるものではありません。社会的にはれっきとした『男性』ですし、体格も肌質も声も、生物学的女性とは大きく異なるからです。
私などはまだまだ新米でしたから、訪室するだけでも非常に気を遣い、それがまたAさんに伝わって、看護がお見合いのように堅苦しいものになってしまう、その繰り返しでした。
そのことを先輩ナースに話したところ、
「はぁ? 何でそんな事で気を遣うの? 本人が女性になりたいと言ってるんだから、女性として接すればいいのよぉ」
と快刀乱麻の回答。先輩はAさんといつも性転換やショーパブの話で盛り上がり、訪室するのが楽しくて仕方ないとのことでした。
Aさん曰く、「同性愛と性転換は異なるし、ニューハーフと女装趣味と性同一性障害も違う。世間は一括りにするけども、性転換手術を受ける人の動機は人それぞれだし、いくつかの理由を併せ持つ人もいる」とのこと。
思えば、当時は空前のニューハーフ・ブーム。
ゴールデンタイムのTV番組に有名店のニューハーフがゲストに招かれ、軽妙な語り口で人気を博していました。(今も印象に残っているのは『ベティのマヨネーズ』のベティさん、アンコさん)。
また、その頃から外国に渡って性転換手術を受ける事例も広く知られるようになり、それまで否定的に見られることが多かった性転換、あるいは芸能としてのニューハーフが世間に受け入れられるようになった、一つの転換期だったように思います。
Aさんが膣形成術を受けるに至った詳しい動機は分かりませんが、Aさんの属する業界では経験者が多かったこと、男性パートナーも有ることから、それが自分に合った生き道と心を決められたのでしょう。結局、私は先輩ナースのように親しく話し込むことはありませんでしたが、性を考える上で、大きな経験になったのは確かです。
あれから数十年が経ち、世界的にもジェンダーやセクシャルハラスメントなど、『性』に関する問題が大きく取り上げられるようになりました。
特に同性愛や性同一性障害に関しては、世間の印象も大きく変わり、医学的な認知も広まりつつあります。
しかしながら、性の問題というのは、『身体を変えればOK』『社会的に認知されたら幸せ』というものではなく、生涯にわたって自我と周囲に大きく影響するものです。
普通の男女であれば、恋をして、肉体的に結ばれて、子宝にも恵まれる(自分の血脈が続いていく)という生物学的ストーリーがありますが、そうでない場合は、心に抱える負荷も計り知れないと思います。
Aさんも無事に退院されましたが、その後、女性として幸福な人生を送られたかどうかは誰にも分かりません。
ただ一つ言えるのは、あれほど妖艶、かつ美しい男性に出会ったのは最初で最後ということです。
ー アドナのモデルとして