愛に飢えていると、交際相手に依存して、自分で自分をケアしなくなることがあります。
辛い時も、悲しい時も、相手の優しさを当てにして、理解や慰めを求めようとするのです。
あなたの身の上も複雑かもしれませんが、相手は「自分が心惹かれた、魅力的なあなた」と交際したいのであって、「子供時代に両親が離婚して、今もその傷が癒えないあなた」や「学校でイジメに遭って、今も人間不信を引き摺っているあなた」を癒やす為に存在するのではありません。
相手があなたの心の傷について理解してくれるとしたら、それはあなたが自分の力で克服しようとしている姿に心を動かされたからであって、医者やセラピストのように、あなたの話に耳を傾け、あなたの心の傷を癒やすのが目的ではないんですね。
そこを勘違いして、「私を助けて、幸せにして」と相手に寄りかかると、相手は必ず苦しくなって、距離を置くようになります。
その時、自分の弱さや心の傷を盾にして、「私の心の傷を理解しないあなたは冷たい人だ」と、相手の理解と愛を強要すれば、ますます嫌気が差すでしょう。
それは薄情でも、無理解でもなく、どんな人も自分の暮らしを立てるのに精一杯。そこから幾らかの時間と愛情を引き出して、他人に手を差し伸べているのが現実だからです。
それを「恋人なら当たり前」みたいに受け取って、相手の状況もお構いなしに、電話をかけたり、愚痴をこぼしたり、全力で寄りかかるから、最初は好意的だった相手もだんだん気持ちが冷めていくのです。
じゃあ、私の救いはどうなるの?
誰にも助けを求めてはいけないの?
その前に、まず考えましょう。
あなた自身、誰かに手を差し伸べたことがありますか?
もし、あなたと同じように心の傷をもった人が、あなたの都合も考えずに「私の話を聞いて下さい。そして、この苦しみを分かって下さい」と迫ってきたら、どう感じるでしょうか?
あなたが負担に感じるように、相手にとっても負担です。
それを理解した上で、人間関係の上手な人は、相手の都合のいい時に相談を持ちかけ、どんな小さな事にも感謝し、ギブ・アンド・テイクを積み重ねていくわけですね。
愛に飢えた人ほど、彼氏や友だちみたいな「特別な存在」ができた途端、数千年の孤独を一気に埋めようとして、相手の事情もお構いなしに「話を聞いて、手伝って」と助けを求めようとしますが、そういう時こそ、一歩、間合いを置いて、まずは相手に何ができるかを考えましょう。
打ち明け話をするにも、「相手が自分の身の上に同情してくれたら、それでいい」みたいな考え方ではなく、「相談に乗ってくれるあなたは、なんと人間的に素晴らしく、頼りになるのか。そんなあなたが大好きです」という印象を与えるようにするのね。いわばスーパーヒーローみたいに喝采するわけ(白々しいのは駄目ですよ)。
どんな人も、誰かの役に立って、感謝されたら嬉しいですから、そこに重点を置いて、話し方や接し方を考えるんですね。
アドバイスされたら、「すごいわ。自分では、そんな風に考えたことがなかったわ」「何でもよく御存知ですね」「いろいろ話せて、嬉しかったです。本当にありがとうございます」等々。相手を褒めて、立てる。
たったそれだけの気遣いで、あなたに対する印象も変わるし、相手だって考えが変わるんですよ。「誰かの役に立つのは気持ちがいいな。また頼って欲しいな」と。
自分がどれほど大変でも、「くれくれ坊主」にならないように。
どんな時も、相手に少しでもお返しする気持ちで接すれば、たいがいのことは上手くいきます。
あなたと付き合えば、楽しいこと、励まされること、得することがいっぱいある――と分かれば、相手の方であなたから離れなくなります。
その上での、理解であり、癒やしであり、救いです。