竹宮恵子の『地球へ・・』が描く先見性 ~コンピュータに判断を委ねる社会 

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竹宮恵子の漫画『地球へ…』 あらすじと見どころ

あらすじ

時は、S・D(スペリオル・ドミネーション)の時代。

地球の壊滅的な危機に瀕し、人類が選んだのは、徹底的に管理された社会の実現であった。

S・D社会においては、学業も、職業も、結婚も、生き方も、妊娠・出産までもが「マザー」と呼ばれるコンピュータ・ネットワークに管理され、それに従うことが義務づけられている。

人は、、すべての意志決定を「マザー」に委ねることで心の平安を得、迷いのない、安全確実な人生を享受していた。

一方、人工授精を管理するラボラトリーでは、かなりの高確率で「ミュウ」と呼ばれる突然変異種が誕生していた。

盲目や聴覚障害など、元々、肉体の不備をもって産まれた彼らは、15歳の時に強制的に行われる『成人検査』によって、念力や透視力、予知能力といった超人的な能力を持つに至り、いつしか「人類の敵」として人間社会から排除されるようになっていた。

ミュウの願いはただ一つ。地球(テラ)に帰還し、人類と共存することだ。

ミュウを率いるソルジャー・ブルーは、最強の戦士だったが、肉体的な死を前にして、次の長にふさわしい人物を探し求めていた。

そんな彼の目に留まったのが、やんちゃな少年、ジョミー・マーキス・シンだ。

普通の人間でありながら、強靱な精神力を併せ持つ彼は、ソルジャー・ブルーとの出会いにより超能力を開花させ、ブルーの死後、ソルジャー・シンとしてミュウを率いるようになる。

一方、人間社会においては、特殊教育を施された「メンバーズ・エリート」の一人、キース・アニアンが、次代の統率者として将来を嘱望されていた。

思いがけなく邂逅したジョミーとキースは、どこか心を通わせながらも、それぞれの立場から敵対せざるをえなくなる。

だが、ジョミーとの出会いにより、今まで自分が受けていた教育も、コンピュータによる管理社会も間違いではないか──と思い始めたキースは、ジョミーと死闘を繰り広げながらも、コンピュータ・ネットワークの頭脳「グランド・マザー」に対して、意外な行動に出る……。

地球へ…[カラーイラスト完全版デジタルエディション] 1巻
地球へ…[カラーイラスト完全版デジタルエディション] 1巻

地球へ… (1977~1980年)

見どころ

本作は、『女性が描くSF漫画』のイメージを根底からくつがえし、手塚治虫や石ノ森章太郎、松本零士といった大御所に比肩する、骨太な脚本とダイナミズムで一世を風靡した、SF漫画の金字塔だ。

それまで、女性の描くSFといえば、お茶目なお姫さまと宇宙戦士のキャッキャ・ウフフなラブストーリーぐらいしか期待されてなかったが、竹宮氏が構築した世界観は、アイザック・アシモフやロバート・A・ハインラインといった名作を彷彿とするものであり、海外でも高く評価され、何度もアニメ化もされた。

筆者が親しんだのは、1980年に映画化された恩地日出夫・版で、ダ・カーポの歌う主題歌『地球へ…(Toward The Terra)』は、宇宙戦艦ヤマトや銀河鉄道999の主題歌と並んで、国民的ヒットになっている。

本作の要である、『コンピュータの支配する世界』『超能力』は、SF界でも手垢のついたテーマであり、それ自体に斬新さはないが、『地球へ…』の優れたところは、人間が全ての意思判断をコンピュータに委ね、そのことに何の疑問も抱かなくなってしまう点にある。

一人の専制君主がコンピュータ・ネットワークを通じて人間を強制的に従属させるのではなく、人間が自らシステムに同化し、自ら考えることも、判断することも止めてしまうのである。

公開当時は、「そんなものかな」と思っていたが、パソコンが普及し、ITが生活の隅々まで入り込むようになって、まさにその通りになっていることに驚かされる。

IT問題の本質は、偽情報やハッキングではなく、人の思考力を奪うことにある、と。

従来の「コンピュータもの」が、ロボット軍団の支配や、人間VSコンピュータの最終戦争であったのに対し、『地球へ…』は、コンピュータに同化した人類と、社会に疑問を抱く異分子集団との戦いである。

その勝敗について、竹宮氏は、目に見える形で描いてないが、キース・アニアンの最後の判断が全てを物語っているのではないだろうか。

コンピュータに判断を委ねる社会

本作が公開された頃、一般人にとって『コンピュータ』など、それこそSF世界だったし、まして、インターネットで世界中が繋がれるなど、夢にも思わなかった。

本作が描くような、「いつ、どこで、どんな仕事に就き、誰と結婚すべきか」「朝はコーヒーを飲むか、紅茶にするか」「今日はペットに餌をやったか、どうか」など、日常の些細なことまで、コンピュータの判断に委ね、迷いも苦しみもない、安楽な人生を享受するなど、それこそ『漫画の世界』だったし、人間はそこまで愚かではないという妙な自負もあったからだ。

ところが、21世紀になって、コンピュータが個々の生活に入り込み、個人情報も、購入履歴も、交友リストも、全てがネットワークで管理されるようになると、『地球へ…』の予見した世界がすっかり現実のものになっている。

私たちは、何かを知りたい時、真っ先にGoogleで検索し、就職も、旅行先も、買い物も、恋人探しや結婚さえ、ネットの情報を頼りに判断している。

時には、購入履歴や検索履歴から、AIサービスが「おすすめ」を紹介してくれる時もあり、それはもはや旅行や買い物にとどまらず、読書や映画鑑賞といった趣味の分野まで、影響力を及ぼしている。

どんな時も、私たちは自分で考え、自分で選び取っていると思いたいが、サイドバーに表示される「あなたへのおすすめ」を何気にクリックし、一方的に流れてくるコマーシャルや偽情報に頷いている時点で、完全に脳内ハックされていると言っても過言ではないだろう。

「マザーコンピュータの申し子」と呼ばれたキース・アニアンは叫ぶ。

二度と俺の意思に触れるな』と。

本当にその通りで、全てのネットユーザーは、無料や手軽といった利便性と引き換えに、自分自身をハックされ、主義信条や異性の好みに至るまで、公的機関や私企業のサービスに差し出している。

それらの管理者が、ほんのちょっと手を加えるだけで、私たちは毎日のように特定のコマーシャルを目にしたり、逆に有益な情報から遮断されるなど、知らず知らずに大きな影響を受けていることを考えると、私たちが享受するものよりも、害されている部分の方が、ずっと大きいのではないかと思うこともしばしばだ。

漫画一冊にしても、もはや自分の判断だけで購入するのも迷う時代、私たちはどうやって「自分らしさ」を維持し、確立するのか。

何が正しくて、何が間違いなのかを、どうやって判断するのか。

もはや現実は『地球へ…』を超えて、人間をいっそう不安で脆いものにし、社会の基盤を弱体化させている気がしてならない。

竹宮恵子の名作 『ファラオの墓』『アンドロメダ・ストーリーズ』

ファラオの墓

古代エジプト。
平和なエステーリア王国は、邪悪な王子スネフェルが支配する隣国ウルジナに滅ぼされる。
王子サリオキスは、妹姫ナイルキアを連れて、命からがら逃げ出すが、ナイルキアとも離ればなれになってしまう。

瀕死のサリオキスは砂漠の民に救われ、ムーラ族と行動を共にするようになる。
ナイルキアはナイル川の流れに乗って、ウルジナ国に辿り着き、心優しいメネプ神官の養女として迎えられる。

やがてサリオキスは砂漠の民と共に決起し、ウルジナ国に反旗を翻すが、王子スネフェルはナイルキアと恋に落ち、大きな悲劇が待ち受けていた――。

*

年若い読者から「元ネタとなった歴史本『エステーリア戦記』はどこで買えるのですか?」という質問が殺到したほどリアルに描かれた歴史漫画。
随所に架空の壁画を取り入れ、まるで実在の人物や戦闘であるかのような演出が素晴らしい。
4人の主要人物の恋と葛藤も読み応えがあり、最後は文句なしに泣ける。

エステーリア戦記の説得力は、魁!男塾の『民明書房刊』に匹敵する

『地球へ…』や『風と木の詩』に比べて、知名度は今ひとつだが、史実とみまごうばかりの設定と、最後まで一気に読ませるストーリーは,下手なハリウッド映画より数百倍優る。

amazonレビューで低評価を付けている人もあるが、線香を上げて欲しい。

ファラオの墓 (1)
ファラオの墓 (1)

アンドロメダ・ストーリーズ

『地球へ…』に引き続いて制作されたSF長編。
原作に光瀬龍を迎え、地球へ…よりも陰鬱な内容になっている。

惑星アストゥリアスにて。
コスモラリア王家の皇太子イタカは、アストラルタ3世に即位すると同時に、アヨドーヤ王室のリリア姫と結婚する。
だが、数日後、異星のものが飛来し、小型の機械クモが大臣らの身体に侵入して、心身を支配するようになる。

王宮全体が不穏な空気に包まれる中、リリアは子を産むが、王家では不吉とされる二卵性双生児であった。
破滅を恐れた乳母は、妹を剣闘士バルガに託し、バルガは赤ん坊を娼婦に預け、行方知れずになってしまう。

王子ジムサは健やかに育ち、不思議な能力を持つようになるが、王宮にはびこる機械の勢力によって、国の平和は失われていた。
見かねたリリア王妃の兄ミランは、リリアとジムサを救いだそうとするが、ミランは機械によって殺され、ジムサとリリサは砂漠に逃れる。

さらに10年の歳月が経ち、ジムサは、惑星アストゥリアスを支配しようとする機械の全貌を知る。
その過程で、生き別れとなった妹アフルと再会し、深く愛し合うようになるが、もはや状況は絶望的で、二人は宇宙船にのって、惑星外に脱出する。
だが、その宇宙船は、人間に適した作りではなかった。
2000年後、ジムサとアフルを乗せた宇宙船は、ある惑星に不時着し……。

*

とにかく、くらーい話なので、筆者はあまり好きではないが、本作はアニメ化もされ、そこそこに評価も高い。
光瀬龍といえば、萩尾望都の『百億の昼と千億の夜 (ハヤカワ文庫JA) 』の原作で知られるが、こちらも、くらーい話なので、筆者はあまり好きではない。
百億に比べれば、アンドロメダ・ストーリーズの方がまだ分かりやすい。

どなたかもレビューで書いておられるが、後半で話を回収しきれてないので、読後に不満が残る人もあると思う。
本来、もっと面白くなったはずなのに、尻切れトンボみたいになったのは、双子の妹アフルの役どころが、王妃(母)リリアにかき消されて、「ヒロイン二人」の状態になってしまったからではないか。
それなら、リリアは早々と死んでもらって、アフルとの関係にフォーカスした方がよかった。

また、剣士バルガ、剣士イルと、脇役がやたら多いのも、注意が分散する原因かもしれない。(誰と誰が、何のために戦っているのか、『地球へ…』に比べて、いまいち統一感がない)

それでも、決して駄作ではないので、ファンなら一見の価値あり。

アンドロメダ・ストーリーズ
アンドロメダ・ストーリーズ

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初稿 2009年12月21日

誰かにこっそり教えたい 👂
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