むかしむかし あるところに
さよならという名の猫を
さがしつづけている
ひとりのおじいさんがいましたでもこのおじいさんは
さよならという名の猫がどこにいるのか
見たことがなかったんですだれにも愛されなかった詩の中の
かわいそうなおじいさん!
ぼくが消しゴムで消してあげることにしましょう《寺山修司 少女詩集》 角川文庫
「さよなら」を言うにも相手がいる。
嫉妬も、誤解も、喧嘩も、和解も、相手がいるから成立するのであって、独りぼっちで生きていたら、他人の存在など感じようがないからだ。
人間関係に疲れると、誰もがその場から逃げ出したくなるが、逃げたところで、心の痛みが消えてなくなるわけでもない。
今度は、「自分」という、もっと厄介な相手と向き合うことになる。
誰かに「さよなら」が言えるのは、本当は孤独ではない証し。
本当に孤独な人は、誰かに「さよなら」を言う機会もない。
さよならが不幸なのではなく、誰とも出会えないことが本当の不幸なのだ。