便りがない方が、身近に感じられていいの。
手紙は距離を感じさせるだけだわ寺山修司の『チャイナ・ドール』より
電話が発明された時、「これで人間は孤独から解放される」と人々は期待したが、実際には、鳴らない電話を待ち続け、いっそう孤独をかみしめただけだった。
Eメールが登場した時、「いつでも手軽にメッセージをやり取りできる」と人々は期待したが、実際には、受信通知が気に掛かり、いっそう神経質になっただけだった。
SNSが登場した時、「いろんな人と繋がることができる」と人々は期待したが、実際には、『既読』や『いいね』に囚われ、いっそうプレッシャーが増しただけだった。
こうして、どんなツールが登場しても、人々は好ましいレスポンスを期待し、その度に裏切られ、孤独や疑念を増していく。
応酬の手間が軽ければ軽いほど、待ち時間が短ければ短いほど、耐性も弱まり、感情も激しく振幅するようになる。
物理的な距離が心の距離感を縮めることもあるけれど、反面、期待値ばかりが上昇して、その分、失望感や疎外感も計り知れないだろう。
何のレスポンスもない方が相手を身近に感じるのは、そこに無視も裏切りもないからだ。
最後の便りの印象の中で、相手はいつまでも好ましい人物あり続ける。
無視されることもなければ、期待外れの言葉を聞くこともなく、思い出は永遠だ。
それは非常に一方的で、空想的な関係なのだけど、好意を長続きさせたければ、頻繁にメッセージをやり取りするより、適度な『間』を置くとくのが永遠の真理という気がする。