宝塚 バラの魔法が宿る街
二十代半ばから十年ほど、大阪の北摂地方で一人暮らしをしていた。
大阪の華やかさが好きで、梅田界隈なら目をつぶっても歩けるほど通じていたが、北摂の中心である豊中駅より以北へは行ったことがないという小心者で、そこから先に宝塚線があるということすら意識しなかった。
それでも、大阪の一人暮らしは楽しかった。東京ほどでないにせよ、ありとあらゆる文化施設が整っているし、手に入らないものはないほど豊かで、スピード感がある。
一人であるのをいいことに、本、音楽、オペラ、バレエと、感性を刺激するものなら、何にでも飛びつき、惜しみなくお金を使った。この楽しみを失うぐらいなら、淀川に飛び込んだ方がマシとさえ思っていた。
が、三十代も半ばに差しかかった頃、勢いよかった自由の日々にも、どこかすきま風が吹くようになり、「本当にこのままでいいのか」という思いが胸をよぎるようになっていた。まるで、自分が信じて走ってきた道が、突然、目の前でプツンと消えてしまったような気分だった。
そんな時、音楽や文芸に関しては最良の同志であった姉から、「ベルばらのチケットが手に入ったから、見に行こう」と誘いを受けた。ゴールデンコンビと呼ばれた和央ようかさんと花總まりさんのフェルゼン編である。
久しぶりに訪れた宝塚は、桜も盛りで、大勢のベルばらファンで賑わっていた。その前に訪れたのが、十二年前の杜けあきさんの舞台だったから、干支でいえば、ちょうどぐるりと一周して、同じ地点に戻ってきたような感じである。
その間に、大劇場は大幅に改修され、杜さんの時は、最後部座席の位置が舞台よりあまりに高すぎて、大階段の上に立つそのお顔が拝見できなかったのに、こうした不便はもちろん、ホールもロビーも何もかもが一新され、まるで一度しおれたバラが美しく蘇ったかのようであった。
真紅のシートに身を沈め、和央ようかさん演じる懐かしい舞台を目にしながら、私はこの十二年間、何をしてきたかしら――と、己を振り返らずにいなかった。
思えば、杜さんのアンドレに夢中になっていた頃、私は、たいした心配もなく、友達と気ままに遊び歩き、これからどんな望みも思いのままであるかのように、鷹揚に構えていた。恋に、仕事に躓き、苦しむことなど想像だにせず、右肩上がりの未来を信じて、歌い、踊り、飲み食いしていた。
十二年前、杜さんのアンドレに夢をふくらませた人達が、今では、宝塚のスターとして舞台に立っているこの時に、私は、年だけ取って、実のあるものは何も築いてこなかった。もしかしたら、何かとんでもない思い違いをしてきたのではないか……と、焦りさえ感じた。
そんな風に、舞台を楽しみに来たのか、落ち込みに来たのか、訳の分からぬままに劇はどんどん進み、ついにフィナーレ。高らかに歌われる「愛あればこそ」を聴きながら、「私の愛は、どこに行っちゃったんだろう」と、ますます目が潤んだ。熱演の和央さんや花總さんには本当に申し訳ないような、冴えない舞台鑑賞であった。
それから厳しく自分を見つめ直すこと数日。
とりあえず、長年の念願であったオランダに旅行すること決め、一人参加した団体ツアーで、夫となる人と出会った。グループからあぶれて、飛行機の二人がけの席に一人で座らなければならなかった時、私の隣に据わっていたのが、その人であった。
青い目を見たら無条件にアメリカ人と思い込むような、外国オンチの私だったが、彼の口から「ポーランドの出身」と聞いた時、とっさに閃いたのが、「ユーゼフ・ポニャトフスキ」であり、「スタニスワフ国王」だった。
『女帝エカテリーナ』と『天の涯まで』を読んでいて良かった……と思った。
「私、ポーランド史には、ほんのちょっぴり詳しいのよ」
それしか知らないくせに、得意げに言うと、
「え? どうして、どうして?」彼が身を乗り出した。
「それはね、日本で最も有名な作家さんが、ポーランドの歴史について、漫画に描いておられるからなの。私はその愛読者なのよ」
「それは素晴らしい。誰もポーランドのことなど気にかけないのに、光栄だな。僕、その作家さんも、君のことも、すごく尊敬するよ」
「あら、そうぉ?」
そんな会話で盛り上がって、メールアドレスを交換したのが縁の始まり。ここにも、なんとも不思議なバラの御利益があった。
とはいえ、1万5千キロを隔てた遠距離交際は決して易くはなく、時が経つにつれ、難しい状況も経験した。
そんな時、一人でよく宝塚に出かけた。
電車を降り、清々しい青空を仰ぎながら、「花のみち」を歩いていると、私にも用意された素敵な未来があると、希望が湧いてきたからだ。
とりわけ、桜の季節は、一人の私にも優しかった。
花のみちを彩る桜は、其処此処の名所のように、ぼてぼてとした桜の大群ではなく、京の舞妓が、都をどりで、ふわりと肩にかざすような、たおやかな桜である。
まだ育ちきらないような、細く、しなやかな枝々に、こぼれるように花開く様は、まさに宝塚の乙女そものもだった。
それが時には風に舞い散り、淡いピンク色のシャワーとなって、肩に、足元に降ってくる。歌劇のスターとは程遠い私だが、はらはらと降り注ぐそれは、さながら、グランドフィナーレに舞う紙吹雪のようで、スプリングコートの裾を翻し、お気に入りのサテンの靴で颯爽と歩いていると、気分はちょっぴり「花道のスター」になるのだった。
途中、アンティークの雑貨店やアロマショップに立ち寄りながら、大劇場の館内に一歩足を踏み入れると、今度はふわりと甘い香りがする。
大劇場の空調にはバラの香料が仕込まれていて、館内全体に、甘いバラの香りが漂っているのだ。
お財布の都合で、毎回観劇することは叶わなかったけど、この世を離れたようなバラの香りの中で、ギャラリーやショップを見て回っていると、夢でも見ているように心がときめいた。
それからカフェでお茶を飲んだり、川辺を歩いてみたり、宝塚の楽しみ方は決して一つではない。町全体が訪れる人の為にあり、マリー・アントワネットのサロンのように優雅で、朗らかである。
宝塚という所は、女性が「お一人さま」で散策しても、ちっとも浮いたりしない――いや、むしろ、カップルでべちゃべちゃと歩くよりは、一人か、気の合う女同士で訪れて、心ゆくまで語り合いたくなるような、女性に優しい街なのだ。
とりわけ、私が心惹かれたのが、宝来橋から臨む武庫川と山々の眺めだった。
なだらかな山の向こうを夕陽が黄金色に染め、その合間からとうとうと流れ来る武庫川を見つめていると、「なるようになる」という言葉が不思議な説得力をもって心に染みてくる。
「人生に本当に必要なものなら、じたばたしなくても自然に成るし、必要がなければ、時の彼方に静かに流れ去っていく」というのが、その頃の私の祈りの言葉だった。
そうして月日は流れ、宝来橋で願ったように、すべてのことは落ち着いた。武庫川の流れのように、自然な成り行きだった。
あの時、世代交代した『ベルばら2001』の舞台を見て、ガツンとやられなかったら、今でものらりくらりと、自分に言い訳ばかり重ねていたような気がする。
思えば、いつも人生の節目にベルばらがあり、宝塚があり、池田理代子先生の作品があった。つらい時も、悲しい時も、夢や希望をたくさん与えてもらった。
異国の地に根を下ろした今、もう一度、宝塚を訪れることが叶うかどうかはわからない。しかし、甘いバラの香りも、ひそやかな武庫川の流れも、深く心に刻まれて、生涯忘れることはないだろう。
宝塚は、今もたくさんの乙女の来訪を心待ちにしている。
乙女が宝塚を愛するのではなく、宝塚が乙女たちを幸せにしたいのだ。
次にバラの魔法に出会うのは、きっとあなたかもしれない。
コミックの紹介
少女漫画としては珍しい、ポーランドの国土分割と自由独立をテーマにした史劇。
ナポレオン、女帝エカテリーナなど、池田理代子のあのキャラも登場し、分かりやすい内容に仕上がっている。
一点、ベルばらやナポレオンと異なるのは、主人公のユーゼフ・ポニャトフスキの生い立ちや愛人関係が創作になっている点。
そのあたり、巻末に注記されているので、参考にされたし。