加藤諦三の『愛される法則 ~愛はこんな小さなことで確かめられる~』

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『愛される法則 ~愛はこんな小さなことで確かめられる~』について

タイトルや表紙は女の子向けの癒し系っぽいけれど、中身は鋭い一文がフルに詰まっている。
1ページに数行書かれているだけの、一見子供だましのような本だけれど、ここに書いてあることが理解できれば、間違うことはないと思う。
恋愛はもちろん、仕事にも、育児にも、あらゆる場面に応用が利くお薦めの本です。

愛される法則―愛は小さなことで確かめられる
無理のない生き方とは、けっして焦らない生き方であり、自分の今を信じる生き方である。愛は無理のない生き方をしているとき、静かに訪れる…。あるがままの自分を認めるヒーリング・レッスン。

【愛を探して 回り道をしないために】

あなたが「仕事、仕事」と言いながら、いつもいつも満足していないのは、あなたの真に求めているものが仕事の成功ではなく、愛だからである。

あなたは愛を育てる土壌の上に、仕事の花を咲かせようとしている。

だから仕事をしているときに、いつも心のどこかで、「これじゃない、これじゃない」と思っている。

悩んでいる人は、自分が愛を求めていることに気がついていない。

悩んでいる人は、愛を得ればすべては解決するのに、勝利や成功や復讐で悩みを解決しようとしている。

だからいつになっても苦しみは解決しない。

苦しみの原因が分からないから、努力が意味を持たない。

相手を見ていないから、いつも騙される

「誰も私を愛してくれない」と嘆く人は、実は、訴える相手は誰でもいい。

とにかく哀れみを訴える。

そして「あなたの悩み、分かるわ」という人が出てくると、その人が「いい人」になってしまう。

これで人生につまずかなければ、つまずかない方がおかしい。

相手を見ていないから、いつも騙される。

部下が「この馬に乗って逃げてください」と言えば、その馬が谷越の危険な方角に走っていっても、喜んで飛び乗って逃げていくようなものである。

お金に集まる人

人によく思ってもらいたいと願っている女性がいた。
大きなダイヤを身に付けた。
「すごーい」と周りの人が言った。

人がたくさん集まった。
でも、その女性に集まっているのではない。
そのお金に集まっているのである。

そして人々は本心では、その女性をバカにしている。

燃え尽きた人の周りには、誠実な人がいない

自分はブドウになりたい。
でも、自分がブドウかリンゴかわからない。

そこに「あなたはブドウよ」と言ってくれる人が来た。
すると嬉しい。
その人を「いい人」と思ってしまう。
その人を好きになってしまう。

そしてリンゴなのに、ブドウのように振る舞いだす。

でも、何か苦しい。

恥をかくことも多い。

何か、すべてがうまくいかない。

そこに「あなたはリンゴよ」と言ってくれる人が来た。

すると、その人を恨む。

そこに、あなたを利用しようとする人が現れる。
そして、「あなたはブドウよ、うまくいかないのは、皆が悪いからよ」と言う。

あなたは、その人に利用されて燃え尽きる。

燃え尽きた人の周りには、誠実な人がいない。

悪魔が好きな餌は、「辛い、辛い」と騒いでいるだけで、治そうとしない人

悪魔が好きな餌は、「辛い、辛い」と騒いでいるだけで、治そうとしない人である。
心理的に病んでいる人は、「その辛さ、分かる」という人を待っている。
そして悪魔の餌食になる。

心理的に病んでいる人は、自分の問題を解決してくれる人を嫌がる。
自分が自分を治す努力をしていないから、自分が痛くなければ、その人を「いい人」と思う。

だが、心理的に病んでいる人の周りには、その人を利用しようとする人ばかりが集まる。
心理的に病んでいる人は、それに気がつかない。

自己犠牲の「いい人」を演じるためのセリフ

「あなたが幸せなら、私はそれでいいの」というようなことを言う女がいる。

それは、愛のないときに言う言葉。
それは、自分が努力していないときに言う言葉。

これは子供をダメにする母親の言うセリフである。
子供をピーターパン症候群にする母親は、これを言う。

まず、このようなセリフを言う女は、自分のすることをしていない。
他人のフンドシで勝負するような人間である。

自分が魚料理を食べたい。
しかし、自分は魚を釣ってきていない。
料理もしてない。

そんなときに、「あなたが食べる姿を見て、私は嬉しいわ」と言うだろう。
もし、自分が苦労して魚を釣ってきて、料理をしていれば、「一緒に食べようね」というだろう。

あるいは、母親は子供に、「あなた、先に食べて、私は残りを食べるわ」と言うだろう。

つまりなぜ「あなたが幸せなら、私はそれでいいわ」というようなことを言う母親が子供をピーターパン症候群にするかというと、この母親は本当に子供のためになることをしていないからである。

そして、このセリフを言う母親は、自分が幸せの体験をしていない。

だから、「私はこれでいいの」と言う。
「あなたが幸せなら、私はこれでいいわ」と言うセリフは、怠けて不幸になった人の恨みのセリフである。

自分が何もしていないときに、自己犠牲の「いい人」を演じるためのセリフが、「あなたが幸せなら、私はそれでいいわ」というセリフである。

だから、このよなことを言う母親は、子供をおかしくする。

愛を知らない人は、騙される

愛を知らない人は、騙される。

お漏らしをした子供がいる。
おむつただれができている。
子供は気持ち悪い。

でも、お風呂に入れて、きれいにして、おむつただれを治してあげようとする人を嫌がる。
しみて、痛いから。

おむつただれをほうっておいて、付き合ってくれる人が「いい人」になってしまう。
面倒を見ない人を、子供は「いい人」と思う。

しかし、この「いい人」は、赤ん坊が泣き出せば、逃げてしまう。

愛することは待つこと

愛には悩みがない。
欲が消える。

愛することは待つこと。
花が咲くのを待つ、
夕陽を待つ、
朝日を待つ、
氷が溶けるのを待つ、
それぞれのことをしながら、待つ。

幸せは大股で歩くものではない。
幸せは、こんな小さなこと、というようなことの積み重ね。

今日をきちんと生きているものに未来がある。
明日が来れば、明日は今日になる。
今日をきちんと生きられないものに未来はない。

本の感想

癒し系とか、幸せになるための本とか、いろいろありますけど、自分の陥っている心の罠に気付かない限り、「前向きに考えたり」「頑張ったり」「明るく振る舞っても」意味無いです。

墓穴に銅像を建てるようなものです。

本当の「癒し」は、「自分を直視する」という痛みを伴うものだと思うのですが。

だから、「痛いの嫌い、私の辛さを分かってくれる優しい人が好き」という気持ちでいる限り、それを利用する人に弄ばれる――ということなのでしょう。

『谷越の馬に乗って逃げる』とは、本当に上手いことを言う。

たった一度の勇気で、すべては良い方向に回り出すのだけれど。

無理しないほうが愛される―――自分には「自分の生き方」がある
「無理しないほうが愛される」――これは自分の弱点を必死になって隠し、虚勢を張って生きてきた私がいましみじみと感じていることである。愛されようと無理をしているうちに、もともと備わっている自分の価値に気がつかなくなってしまう。人間というのは、無理をしないで素直な気持ちでいると、その人が気づいていない「魅力」が自然と表われるものである――加藤諦三
誰かにこっそり教えたい 👂
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