私の居住国では、昨年から始まった『Super Niania』という番組が人気を集めています。
『Super Niania』とは「スーパーナニー」の意味で、イギリス国営放送BBCで歴史的高視聴率を記録した『Super Nanny』のローカル版です。
BBCの『Super Nanny』は、Jo Frost(ジョー・フロスト)という保育の達人が、問題児を抱える家庭を訪問し、実際に育児の現場を観察しながら、験しながら、両親と子供にアドバイスする画期的な番組なのですが、子供たちの弾けっぷりや両親の疲れきった姿、Super Nannyの的確な指導が育児に悩む親世代の圧倒的な支持を得て、たちまち47カ国で同様の番組が制作されるようになりました。
↓ 三時間、癇癪で泣き叫ぶ子供たち
私の居住国で放送されている『Super Niania』では、Dorota Zawadzkaという発達心理学の専門家がスーパーナニーを務めています。
スタイルは、恐らく著作権保護の規約から(BBCより番組のアイデアの著作権を買い取っている為)、元祖Jo Frostを真似ていますが、指導の仕方は独自のもので、厳しくも温かいアドバイスが多くの視聴者の支持を得ています。
子供の暴れっぷりもスゴイけど、注目すべきはやはり両親の態度でしょう。
涙ながらに育児の悩みを語る一方で、Nianiaのアドバイスに、「それは無理だわ」と反発したり、納得いかないと膨れたり。
「子供の問題を直すことは、親の問題を直すことである」という元祖ジョー・フロストの言葉通り、全ての鍵を握っているのは親の態度であると痛感せずにいられません。
親が変わらなければ、子供も変わることはないのです。
スーパーナニーで、必ず行われるのが、スケジュールの管理と生活空間の整理整頓です。
子供が落ち着かない家庭の多くは、生活のスケジュールがルーズです。
起床時間も、食事時間も、お昼寝タイムも、子供の気分次第。
子供が午後1時頃から夕方までお昼寝しても、まるで構わなかったり。
夜中の12時にゴソゴソ起きて遊んでも、まったく注意しなかったり。
このままではいけないと感じても、気合いを入れて直そうという気概がありません。
いわば、親としての『本気度』に欠けるわけですね。
だから、スーパーナニーは、大きな紙に一日のスケジュールを書き出し、家族の目に付きやすいダイニングの壁などに貼り付けます。
子供が「もっと遊びたい」「今、食べたくない」とゴネても、時間が来れば遊びは終わりだし、食べたくなくても、とにかくテーブルに付かせる。
この態度を徹底します。
なぜなら、生活の管理とは「自分で自分の行動をコントロールすること」に他ならないからです。
自分の気持ちや行動をコントロールする能力は、生活だけでなく、勉強、仕事、人間関係、全てにおいて基礎となるものです。
たとえ子供でも、「気が向いたら、やる」「自分がやりたくないことは、やらない」という態度が身に付くと、大人になっても自分をコントロールすることは出来ません。
遊びの時間が終わったら、すみやかにオモチャを片付けて、ベッドに行くのも、三度の食事を決まった時間に食べるのも、健康云々の問題ではなく、自分で自分をコントロールする力を身に付ける為なんですね。
次に、時間と手間をかけて行われるのが、生活空間の整理整頓、すなわち、子供部屋の改装です。
落ち着かない子供の部屋は、服も、オモチャも、勉強道具も、何もかもがグチャグチャです。
きょうだいと部屋を共有している場合は、その子のものと、きょうだいのものまでごっちゃになって、「自分の空間」というものが確立されていません。
「自分の空間」とは、自分が好き勝手できる空間ではなく、「自分が責任をもって管理する場所」のことです。
たとえ子供でも、自分の空間は、自分で責任をもって整理整頓し、快適にする工夫が必要なんですね。
だから、部屋を共有している場合は、まず家具のレイアウトを変え、個々に確立したスペースを作り出します。
たとえば、机やベッドが近接して、しょっしゅう、きょうだい喧嘩になる場合は、机もベッドも引き離して、壁際に一つずつ置き、それぞれの空間を作り出します。
そして、自分の空間は、自分で責任をもつ。
その意識が、自己管理と自我の確立に繋がっていくわけです。
この二つのことを欠いて、子供をきちんと躾けようとしても、決して上手くいきません。
食事のマナーがどうとか、TVゲームの弊害うんぬんの前に、まず子供に「自分も独立した家族の一員であり、自分の事は自分で責任をもたなければならない」という意識を持たせることが肝要です。
その上で、癇癪を起こした時の対処法、子供の年齢に適した遊び、食事の管理など、細かなアドバイスがなされます。
その様子を見ていて、つくづく思うのは、「親は毅然と行う」、「ちょっとした工夫が必要」ということです。
たとえば、子供が窓際で遊んでいる時、親がヘラヘラ笑いながら、あるいはスマホをいじりながら、「○○ちゃん、窓枠に登っちゃダメよ~」と叱っても、子供は言うことなど聞きません。
よそ見しながら、口先だけで叱る言葉に、親の本気は感じないからです。
親が真剣な表情で言って聞かせて、初めて子供はそれが重要であることを理解します。
子供に対する同情やご機嫌取りも同様です。
たとえば、「食事前にお菓子は食べない」「ゲームをする時は、皆のルールに従う」と決めているのに、親がその日の気分で許したり、ルールを変えたりすれば、子供は決まりを守る必要性も、決まりを作る人の存在も、大事とは感じません。
自分が気に入らない時は、泣いて、叫んで、親を困らせれば、自分の思う通りになる――ということを学習してしまえば、二度と親の言う事など聞かないでしょう。
そればかりか、泣いたり、叫んだりすることを、自分の目的を達成する為の手段にしてしまいます。
その点、スーパーナニーは、「あれしろ、これしろ」「決まりを守れ」と命じるだけでなく、子供がもっと遊びたい、もっと食べたい気持ちをコントロールして、親のルールに協力した時は、心から褒めます。
つまり、「親の言うことを聞くから偉い」のではなく、子供が自分の欲求や不満を克服したことに意味があるわけですね。
この点を理解せず、親の言うことを聞いたか、否かで評価してしまうと、いずれ子供と齟齬を起こして、問題が深刻化すると思います。
このように、スーパーナニーは、それまで親が躊躇してきた事や、なあなあでやり過ごしてきた事を、徹底的に改め、子供にも体当たりでぶつかっていきます。
時には、「子供が泣く」→「言い聞かせる」→「また反抗する」→「言い聞かせる」→「逃亡する」→「連れ戻して、言い聞かせる」ということを延々と繰り返すこともあります。
親が根負けして、なあなあにしてしまう事も、子供が理解して、納得するまで、繰り返します。
そこまでやらなくても……と思うかもしれませんが、本気で生活習慣を改め、自分で自分をコントロールできる子供に育てたければ、それぐらい本気でやらないと効果が無いということでしょう。
私はこの番組を見ていて、育児が順調な親と、そうでない親の違いなど、紙一重だと思いました。
育児が辛いと嘆いている親は、ガミガミ、ガミガミ、同じことを繰り返すだけで、他の方法を探そうとしません。
オモチャの片付けにしても、ちょっと家具のレイアウトを変えるだけで子供の態度方も変わるのに、ぐちゃぐちゃの部屋のまま、「片付けろ」と繰り返すだけ、そして疲れて、投げ出してしまう。
その親が特別悪いわけではなく、上手なやり方を知らないだけなのです。
「食事前に冷凍庫からアイスクリームを盗み出し、ご飯を食べなくなる子供」も同様です。
子供用品売り場に行けば、ベルト式のストッパーが安価で手に入るのだから、それを冷凍庫に取り付ければいいだけなのに、自室で隠れてアイスクリームを食べる男の子にガミガミ言うだけで、「怒鳴らなくていい方法」を考えないのです。
傍で見ていたら、単純な違いなのですが、当事者たちは本当に気が付かないんですね。
そして、わたしはダメな親と落ち込み、余計で子供の行動にイライラする。
まさに負のループです。
こうしたTV番組で、他の親の態度を客観的に見ていると、「紙一重の違い」が手に取るように分かります。
ナニーが去った後、両親に対するインタビューがあるのですが、育児の辛さを語っていた時とは目の輝きが全然違ってて、「誰でもいい親になる素質はある」と痛感することしきりです。
もしかしたら、今時の親の最大の問題は、「誰にも教えてもらえない」という一点に尽きるのかもしれません。
そういう訳で、私も最近、スーパーナニーの著書を読み始めたところですが、これが本当に面白くて、いろいろ考えさせられることしきりです。
中でも一番気に入っているのが、
「子供に対する最大の贈り物は、『時間』です」
という言葉。
本当にその通りです。
子供にとって、親が自分に費やしてくれる時間こそが最大の愛の証かもしれませんね。
コラム子育て・家育て : あせらず、あわてず、あらそわず 【第11号 スーパーナニーに学ぶ】 2007年9月25日