子どもが自立しようとすると、罵ったり、恨んだりする親がいます。
「親を見捨てる気か」「薄情者」「お前なんか一生不幸になれ」等々。
しかし、あなたが真っ当な方法で自立するなら、罪悪でも親不孝でもありません。
一人前に働き、社会に参加し、義務と責任を果たすなら、親とは異なる生き方をするというだけで責められる理由など、どこにもないはずです。
世の中には相手に罪悪感を植え付けることで、思いのままにコントロールしようとする人がいます。あなたの親もそんなタイプかもしれません。理由の如何にかかわらず、子どもが自分から離反するのが許せないのです。
そういう親は小さなことにも理由をつけて、あなたを詰り、責め立てます。あるいは、いかに自分が不幸であるか訴えて、あなたの同情を引こうとするでしょう。そして、あなたが「悪かった」と屈服するまで、哀れに、時に高圧的に、訴え続けます。
それでも、何が幸せかは自分自身が一番よく知っていることですし、あなたの良さを理解している人もたくさんいます。
間違いではないと思うなら、言いがかりのような詰責には耳を傾けないで下さい。
あなたがちらとでも罪悪感を感じ、親に同情する気配を見せれば、親もそれに味を占めて、二度、三度と、同じことを繰り返します。再びあなたをコントロールし、せっかく軌道に乗ったあなたの人生まで乗っ取ろうとするでしょう。
親の哀願や詰責を無視するのは辛いかもしれませんが、自分に間違いはないと感じるなら、距離をおいて下さい。そして、自分の理性を信じて下さい。
もし、あなたに過ちがあるとしたら、それは親に復讐を企てた時です。
復讐心は執着の裏返し、同じ目に遭わせてやろうと企む限り、あなたもまた呪いの囚われ人なのです。
あなたは呪いに打ち克つと決めたのだから、何を言われようが、飄々と生きましょう。自分のやるべき事にフォーカスして、親の不幸と自分の人生は切り分けて考えます。学び、働き、社会の規範に従って行動するなら、堂々と自立すればいいのです。
たとえ親であっても、自分の人生をコントロールされてはいけません。
何度でも、何度でも、克服する
親から離れることが叶っても、親の影は一生ついて回ります。
辛い記憶も、憎しみも、心からすっかり払拭されることはないでしょう。
それでも人は光に向かって進むことができます。
怒りや憎悪に生きるより、生き甲斐や悦びや友情を大事にした方が、うんと幸せだと思いませんか。
嫌な記憶や苦痛は、何度でも、何度でも、襲ってきます。その度に、過去に引き戻されそうな恐れを感じるかもしれませんが、前だけを見つめて生きていきましょう。
心が再び呪いに囚われかけても、自分のことを弱いとか卑怯とか責めてはいけません。
長い間、苦しんできたのです。そう簡単に影は追い払えません。
それでも歩みを進めれば、だんだん心も強くなります。克服体験は心をいっそう強くし、生き延びる知恵を磨いてくれるでしょう。
あなたには無限の可能性があります。
再び憎悪をこじらせない限り、あなたはどこまでも遠くへ、幸せに向かって、歩いて行けるはずです。