レオンの『スパルタクスの慟哭』
誰だって腹の底には強烈な自我を秘めている
聖真澄は、アキレス腱を切った京極小夜子の代わりに、ボリショイ劇場で公演が予定されている『白鳥の湖』の主役をかけて、強敵ラリサ・マクシモーヴァ、そして真の天才、リリアナ・マクシモーヴァと競います。
ラリサとの競演では辛くも勝ちを取ったものの、十代にして天上の芸術を身に付けた天才リリアナに対しては、恐怖が先立ち、実力を出しきることができません。
必死の思いで舞台に上がったものの、あまりの緊張に、演技の途中で音楽が聞こえなくなり、真澄は敗北をかみしめます。
そんな彼女の前に現れたのが、ドイツ・シュトゥットガルトのバレエ学校からやって来たレオンハルト・フォン・クライスト。
後に永遠のパートナーとして結ばれるレオンは、大胆で、率直で、草壁飛翔や柳沢葵とはまったくタイプの違う男性でした。
「誰だって、腹の底には、強烈な自我を秘めているんだ。あんただってエゴイストなんだ」と言い放つレオンに翻弄されながらも、心惹かれる真澄。
そんなレオンが世界バレエコンクールで踊るのが、ボイショイ最高の権威であり振付家だったグリゴローヴィチの代表作『スパルタクス』。
身体の奥から突き上げるような演技に、真澄は心を震わせます。
こちらがレオンの演じた『スパルタクスの慟哭』。
自由と解放を求める魂の叫びが聞こえてくるような、力強い踊りです。
こちらはロシアの伝説的なダンサー、ウラディミール・ワシリーエフのスパルタクス。
元々、ワシリーエフをモデルにユーリー・グリゴローヴィチが振付けたと言われているので、今見返してもまったく遜色がないです。
ボリショイ・バレエの『スパルタクス』
バレエ『スパルタクス』は、紀元前73年から紀元前71年にかけてイタリア半島で起きた、古代ローマ共和国の剣闘士・奴隷による大規模な反乱の史実をもとに創作されました。
「ソビエトの民族意識を鼓舞するために制作された」といわれる本作は、従来のクラシックバレエとはまったく趣の異なる男性中心のバレエです。
美しいチュチュも無ければ、豪華な舞台装置もなく、「戦闘」「支配」「奴隷」「死」といった重厚なテーマが、力強い男性群舞をメインに描かれています。
物語
物語は、ローマの英雄クラックス将軍の凱旋から始まります。
従来のクラシックバレエのイメージを覆す、筋肉もりもりのモブシーンで、アクロバティックな振付けに目が釘付けになります。
筆者は、1984年にボリショイ劇場で収録されたレーザーディスクを所有していました。
スパルタカス(イレク・ムハメドフ)、フリギア(リュドミラ・セメニャカ)、クラックス(アレクサンドル・ヴェトロフ)、情婦アエギナ(マリア・ブローヴァ)という豪華キャスト。
1980年代、ヴェトロフは、『ロミオとジュリエット』のティボルト、『白鳥の湖』のロットバルトなど、悪役を演じさせればピカイチでした。
一方、スパルタカスらは奴隷として鎖に繋がれ、屈辱を強いられます。
クラックス将軍は、スパルタカスの美しい妻フリギアに目を留め、宴会に連れ出しますが、妖艶な情婦アエギナは、嫉妬心もあって、クラックスの前で官能的な踊りを披露します。
情婦アエギナは、貞淑な妻フリギアの対となる役回りで、猥雑な酒宴を支配するようなカリスマ性が求められます。
マリア・ブローヴァのアエギナは、肉感的で、非常に魅力的です。
2021に収録された、スヴェトラーナ・ザハロワのアエギナとアルテミー・ベリヤコフのクラックスもいいですね。
スパルタカスは反乱を起こし、奴隷たちを解放しますが、ローマ軍も諦めません。
クラックスは復讐を誓い、新たな軍を送り込みます。
こちらは、自由を得たスパルタカスと妻フリギアがつかの間の幸せを噛みしめるパ・ド・ドゥ。
しかし、夜明けと共に、進軍を告げるラッパが鳴り響きます。
フリギアは夫を止めますが、真の自由を手に入れるには、スパルタカスは戦わなければなりません。
最後には、フリギアも涙をこらえて、夫を戦場に送り出します。
わずか8分ほどの短い踊りの中に、幸福、愛、決意、嘆き、別れといった、人間ドラマが凝縮された、見応えのあるパ・ド・ドゥです。
予告編
動画は、本家ボリショイ・バレエの『スパルタカス』の予告編。
練習風景も取り入れた、プロモーションビデオです。
空前絶後のスパルタカスと言われたウラジミール・ワシリエフとエカテリーナ・マクシモーヴァ主演による、1973年の東京公演は下記URLで視聴できます。
https://youtu.be/qYoKq1pos2Q
ハチャトゥリアンの音楽
『スパルタクス』の作曲は、『剣の舞』でお馴染みのアラム・ハチャトゥリアン(1903-1978年)。
ハチャトゥリアンは、コーカサス地方のティフフィスにアルメニア人の子として生まれました。
アルメニア人は、近東きっての音楽的民族といわれ、例外なく彼も朱年季からその豊かな風土の中で育ちました。
バレエ組曲『スパルタクス』は、ヴォールコフの台本を元に作曲。善4幕50余曲から構成される、スペクタキュラーで、英雄史劇的の巨編に仕上がっています。
当時、奴隷輸出国として知られるトラキア生まれのスパルタクスは、トラキア群がローマと戦って破れた時、捕虜となり、カプアの奴隷剣闘士の養成所に入れられました。
ここで彼は抜群の力量を発揮して頭角を現し、仲間の200人と共に逃走を計画しましたが、密告によって、そのうち78人だけが脱走に成功しました。
彼はその指揮官に選ばれ、要害の地に立てこもり、討伐に向かったローマ軍を次々と打ち破って、各地の奴隷を解放しましたが、紀元前71年、ルカーニア地方でクラッススを司令官とするローマ大軍と雌雄を決する戦いに敗れ、戦場の露と消えました。
ハチャトゥリアンの音楽は、チャイコフスキーのロマンティックな世界観とは一線を画し、序章から終幕まで、一気に駆け抜けます。
参考 バレエ組曲『スパルタクス』『ガイーヌ』 ロリン・マゼール指揮 ライナーノートより
全曲、Spotifyで視聴できます。
この曲も指揮者によってテンポがまちまちなので、いろいろ聞き比べてみて下さい。
DVDの案内
バレエ『スパルタクス』は、日本国内においては、1991年にリリースされた、ボリショイ劇場のライブ映像が唯一、ディスク化されています。
筆者は、レーザーディスクの時代に購入しました。
撮影はNHKが手がけていて、30年以上前のフィルムにもかかわらず、画像も鮮明で、内容も良質です。
配役は、上述の通り、スパルタカス(イレク・ムハメドフ)、フリギア(リュドミラ・セメニャカ)、クラックス(アレクサンドル・ヴェトロフ)、情婦アエギナ(マリア・ブローヴァ)という豪華キャスト。
この頃は、ロシアを代表する振付師で、芸術監督でもあるユーリー・グロゴローヴィチに勢いがあった為、ムハメドフやヴェトロフのような、むきむきマッチョな男性ダンサーも重宝されていました。
近年はバレエも草食化が進んで、ムハメドフのようなマスクリンなダンサーはほとんど見かけませんが、男性群舞が中心の演目も素晴らしいので、今後も登場して欲しいところです。
また、この頃のヴェトロフも最盛期で、『ロミオとジュリエット』のティボルト、『白鳥の湖』のロットバルトなど、悪役を演じさせたら、彼の右に出る者はいません。
本作のクラックスも、ヴェトロフの個性にぴったりと合い、情婦アエギナとの絡みも最高にセクシー。
実は日本にも隠れファイが多いことで知られています。
こちらに全編アップされているので、興味のある方はどうぞ。
https://youtu.be/Fha6rYtaLMk
『スパルタカスの反乱』を映画化した、キューブリックの代表作。カーク・ダグラスの演技も渋く、抑えた演出の中に、愛と闘志が感じられる名作です。
壊れそうに美しい『Love Theme from Spartacus(スパルタカス 愛のテーマ)』ジャズ・ピアノの傑作 by ビル・エバンス
映画スパルタカスの挿入曲『愛のテーマ』を、ピアノの詩人、ビル・エバンスが美しいバラードにアレンジした名曲です。
【コラム】 自分を恐れる人に、いい芸はできない
ソウルな歌唱とは自我の発露 ~ジェニファー・ハドソンの歌唱が素晴らしい 映画『ドリームガールズ』にも書いているように、どんな芸術も、突き詰めれば、どこまで自分をさらけ出せるかにかかっていると思います。
頭の中で、あれこれ考えているうちは本物でなくて、「それしかなりようがない」というところまでいって、初めて芸術になり得るのではないでしょうか。
SWANは、間違いなく、第一級のバレエ漫画だと思いますが、胸を焦がすほど好きになれないのは、ひとえに、聖真澄というキャラクターに感情移入できないからだと思います。
とりわけ、恋愛に関しては、イライラすることばかりで、まだ『ガラスの仮面』の北島マヤや、『エースをねらえ』の岡ひろみの方が分かりやすい。
これだけ恵まれた環境にあって、何をもったいぶってんだよ!! と思うことしきりで、、自分一人、いい子になりたがるところが、どうにもこうにも好きになれません。
本人に悪気はないのでしょうが、見ていて、これほどイライラする主人公も珍しいです(^_^;
だから、我の強いレオンとも衝突ばかりで、結婚したのが不思議なくらいです。
決してやきもちではなく、どうにも不釣り合いな印象が拭えないんですね。ダンスのパートナーとしては最高だと思いますが。
そんな真澄のどこが苦手かと言えば、すでに自分で答えを知ってるくせに、いつも先回りして、自分が傷つかないように持って行くところです。
それが踊りにも現れて、シドニーやラリサみたいに、直球勝負ができない。
そのくせ、マーゴ・フォンティーンやミハイロフ先生みたいな大物の評価はさらりと横取りして、そういう部分だけ調子がいいのが、ますます納得いかなかったりします。
そこでレオンが一所懸命に働きかけて、真澄の自我を引っ張りだそうとするのですが、何事も自分が傷つかないように先回りするタイプなので、そう簡単に変わりません。
それどころか、レオンが私を振り回すと八つ当たりして、私が男なら、この時点で愛想尽かしそう。
その点、レオンは辛抱強いというか、とにかく、この二人が私的にもくっついたのが、本当に不思議でならないんですね。
ともあれ。
芸術は、意欲や情熱だけではダメで、どこかで構えている限り、芸も本物にはなりません。
「こんな風にしたら、嫌われるんじゃないか」「皆に一流のアーティストと思われたい」、等々。
身体より考えが先に立つタイプは、失敗もしない代わり、面白みもなくて、すぐに飽きたりします。
それより、自分を知られることを恐れず、胃袋もひっくり返して見せるようなタイプは、芸が下手でも、迫力があります。
ピアノの話ですが、私の小学校の同窓生にも、技術はイマイチだけど、とにかく堂々と弾くタイプの子がいて、傍から見れば、器用に指が動くタイプより、上手に見えるんですね。
音の一つ一つが、わ・た・し と言わんばかりで。
そう考えると、真澄のように、自分の本心を知られることを恐れるタイプは、技が伸びても、どこかどん詰まりで、ラリサのように次々に大技を決めて、会場を沸かせるような芸当は出来ません。
ラリサやリリアナに、常に一歩遅れをとって、すんなりと一流の仲間入りを果たせなかったのも頷ける話です(本編においては)
どんな世界も、芸術家は心が強くなければやっていけませんが、中でも求められるのは、自分を知られることを恐れない強さではないでしょうか。
初稿 2010年4月30日
ウォールの写真 : Spartacus review – a rollicking night out with the Bolshoi