恋人と別れたり、定年退職したり、大好きなTVシリーズが最終回を迎えたり。
悲しいことにも、嬉しいことにも、「終わり」があるというのは切ないものだ。
若さや幸福の絶頂で、私たちは強く願わずにいられない。
いつまでも、この素晴らしい時が続けばいいのにと。
だが、何にでも「終わり」は否応なしにやってくる。
自分の人生にも、必ず。
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しかし、一方で、「終わり」があるから、安らかな気持ちで生きていけるのではないか。
もし、あらゆる物事が永遠に続くとしたら──たとえ、それが素晴らしいことであっても──いつかはその状態に馴れて、飽きてしまうだろう。
あるいは、「もっと、もっと」と高望みして、逆に果てしない欲望に振り回されるかもしれない。
皮肉な話だが、終わりがないからこそ、恋も悦びも一瞬の輝きを放つ。
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人はみな「幸せになりたい」と願うけども、その幸せが永遠に変わらず続くとしたら、きっと飽きる。
そして、もっと強い刺激、レベルの高い幸せを求めて、逆に落ち着かなくなるだろう。
「天国も、三日滞在すれば飽きる」というように、人が幸せを感じるには、それと同じだけの痛みと悲しみが必要なのだ。
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そうして、私たちの命も、いつか必ず終わる。
この地球でさえ、永遠ではない。
ピラミッドも、エッフェル塔も、国会議事堂も、タワーマンションも、いずれ全部「灰」になる。
何をどう誇ろうと、終わるものは終わる。
みな同じ大地の運命共同体なのだ。
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そう思えば、隣の奥さんが豪邸を買おうが、知り合いの社長が高級車を買おうが、どうでもいい話だ。
なぜなら「終わり」は誰の上にも平等だからだ。
あなただけが、ひとりぼっちで死んでいくわけではない。
遅いか、早いかの違いだけで、この世のものは、みな、一様に終わりを迎えるのだ。
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NHKスペシャルの傑作、『宇宙未知への大紀行』の第8集「宇宙に終わりはあるのか」では、何十億年か何百億年という遠い未来、この宇宙も終わるだろうと解説している。
星にも寿命があるように、この宇宙も、いつかは全てのエネルギーを使い果たして、暗黒の中で冷えていくからだ。
だが、それは少しも悲しいことではない。
突き詰めれば、木も、花も、鳥も、魚も、宇宙という一つの運命に結ばれ、同じエネルギーの中で生きているからだ。
人間もしかり。
誰かが特別で、誰かはそうでない、ということはない。
生物として与えられた運命は同じ。
限られた時間の中で、一生懸命にエネルギーを燃やすか、怠惰に過ごすかの違いだ。
一切が過ぎてしまえば、燃焼した充実感しか残らない。
人間も、宇宙も、「終わり」があるからこそ、終わりに向かって、一直線に突き進むことができるのだ。
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物事の「終わり」というのは、悲しいことじゃないんです、多分。
終わることですべての物事はバランスを取っている……この動画を見たら、きっとそう感じると思います。
この宇宙がすべてのエネルギーを使い尽くし、暗黒の虚無になったとしても、どこかに通じる所はあるんじゃないでしょうかね。
人ひとりの存在など、大いなる宇宙においては、ほんの一瞬に過ぎませんが、全力を尽くして生きる価値はあると思います。
https://www.nhk-ondemand.jp/program/P200800000200000/