宇宙の深淵に触れると、なぜこんなにも敬虔な気持ちになるのだろう。
私たちが「そこ」からやって来たから?
あるいは、「そこ」に神がいるから──?
宇宙を想うことは、命を思うこと。
巨大望遠鏡の彼方に見えるのは、天体という名の生命の源泉だ。
無限に広がる光の彼方に、私たちの本当の故郷があり、まだ見ぬ世界がある。
宇宙の深淵を覗くことは、本能で生命を理解することだ──といっても過言ではないと思う。
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現代的な問いかけ──「人はなぜ生きなければならないのか」。
それに対して、ただ生きるがために生きる──と、シンプルに答えてはならないのだろうか。
生きるということは、それ自体が目的ではなく、ただ「生きている」というだけで、私たちはその目的の大半を果たしているのだ、と思う。
生きるということは、過去から未来に繋がる一点の橋、どれが失われても、世界は成り立たないのだから。
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……という私も、子供の頃は大変な天文少女(?)で、特に星座とギリシャ神話に関する本は片っ端から読みあさったし、小学校1年生から6年生まで、せっせと貯めたお年玉(←子供の頃から貯金かよ)をはたいて、大きな家庭用天体望遠鏡を買おうと考えたくらい。
この計画は、両親の「こんな都会で、何を見るねん」という一言で、あっさり潰えたが。
それでも天体熱はずーっと心の奥底で燃え続け(?)中学生の時、大ブームとなったカール・せーガンの『COSMOS コスモス』は言うに及ばず、スティーヴン・ホーキングの特番やら、矢追純一のUFOスペシャルやら(それはちょっと違うやろうけど)、『宇宙』を題材にした特番はTVにへばりつくようにして鑑賞してきたもの。
そんな私が、唯一、見ていないのが、2001年に放送されたNHKスペシャル『宇宙 未知への大紀行』。
なぜか。
その頃、私は、恋にうつつを抜かして、宇宙の真理よりEメールの方がはるかに重要だったからだ。(ダンナとは遠恋だったので)
そうして見損ねた貴重な映像が、今、YouTubeで有り難くも拝見することができる。
こんなの全編アップしていいのか、チェックの厳しいNHKが黙ってはおらぬだろうに……と思いつつ、全部、見てしまいました。スミマセン。
削除されるのも時間の問題なので、未見の方は、お早く。
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これはもう第一話から涙腺が緩んでしまう。
誰も見たことがない地球創世、それも46億年も昔のこと、それがどうした、彗星が降ったところで、三田の牛肉が値下がりするわけではあるまい、そんなツッコミもいれたくなるような話にも関わらず、胸の底がジーンとなって、神を垣間見たような気分になるのだな、これが。
最初は「宇宙」を見ているが、いつしか、自分と向き合っているような気持ちになる。
宇宙を知ることは、自分を知ることであり、未来を創ることなのだ、きっと。
あの北極星のきらめきの向こうに、何十億、何百億光年という空間が広がり、人間の時間のスケールからは計り知れないような壮大な時の営みがある。
そんな宇宙から見れば、人ひとりの命など、塵か霧、いや、点にもならないような微少な存在かもしれない。
でも、人ひとりの魂は、宇宙の広さをはるかに凌駕する──そう信じる私は、ただのナルシストなのであろうか。
ともあれ、宇宙を知りたがる人々の本質は、自己の存在理由を理解したい人々でもあり、「己を知りたい」という気持ちがある限り、人間もまた宇宙への探求をやめないだろう。
己がどこから来て、どこへ行くのか、この世に存在する意味は何なのか、それが納得できる日まで。
これもNHKスペシャルの傑作。
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