シェヘラザードの物語
しかし、最初の妻が浮気する現場を目にして、女性不信となった王は、国中の乙女と床を共にしては、翌朝には首を刎ねてしまう蛮行を繰り返します。
このままでは国も滅んでしまうと危惧した大臣の娘シェヘラザードは、自ら申し出て王と床を共にし、不思議な物語を語って聞かせます。
そのあまりの面白さに引き付けられた王は、シェヘラザードを殺さず、次の夜も、また次の夜も、床を共にしては、物語の続きを聞かせよとシェヘラザードに求めます。
その寝物語は千夜に及び、千と一夜で物語もついに完結しますが、シェラザードの賢さに心を打たれた王はシェヘラザードを殺さず、妻に迎えて、いつまでも幸せに暮らしました。
シェヘラザードは、アラビアのお伽噺『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』に登場する語り手の名前です。
シェヘラザードは、国を救ったヒロインであると共に、叡知を備えた理想の女性でもあり、毎日、面白い話を語って聞かせては、1000日も王の心を繋ぎ止めた点で、現代人にも参考になる部分があるのではないでしょうか。
(参考→ シェヘラザードのように賢い女性になろう ~愛される秘訣は「まずは、あなたから」
リムスキー・コルサコフの『シェヘラザード』
そんなシェヘラザードの世界を華麗な交響組曲に仕上げたのがリムスキー・コルサコフです。
1888年夏に完成したこの組曲は、四つの楽曲からなり、コンサートのプログラムでもしばしば取り上げられる人気曲です。
私のお気に入りは、シャルル・デュトワ指揮、モントリオール交響楽団の演奏。
デュトワのバイオグラフィーは、『音楽と子供の想像力が出会う時 サン=サーンス『動物の謝肉祭』(レナード・バーンスタイン)』で詳しく紹介しています。
シャルル・デュトワ盤について
私が購入したのは、『デュトワ・スペシャル!(フランス&ロシア名曲アルバム)3枚組』(EMI)です。
現在では廃盤になっており、下記が入手可能です。
全曲のライブ動画はこちら。
Rimsky-Korsakov Scheherazade Op.35 Charles Dutoit/Orchestre symphonique de Montréal
リムスキー・コルサコフと作曲の背景
私が所有しているCDのライナーノーツより。
チャイコフスキーが”ロシア五人組”の中で最も高く評価していたのが、ニコライ・リムスキー・コルサコフ(1844-1908)であった。
彼は幼い頃から音楽の才能を顕したが、若い時に興味を惹かれたのは音楽より、むしろ海軍に入って海へ出ることであった。
しかし海兵学校を卒業する頃からは、パラキレフのもとにはキュイやムソルグスキーが頻繁に出入りし、様々な作曲家、およびその作品論が闘わされてきた。パラキレフは中でもリムスキー・コルサコフを特に気に入り、また彼もパラキレフの人間性に惹かれていった。こうしてリムスキー・コルサコフはパラキレフの指導のもとに、次々に曲を作るようになる。1871年の夏、リムスキー・コルサコフのもとにペテルブルグ音楽院での作曲、オーケストラ・クラスの指導の話が持ち上がり、彼は仰天した。その申し出を受けるか否かを何日も考えつづけた。というのも、彼は基礎的な事柄をパラキレフから何も学んでいなかったばかりか、和音の区別ということも、合唱に和声をつけることもできず、対位法の書き方を知らなかったし、指揮なども一度もやったことはなかったからである。
つまり、彼はそれまで自分の耳と勘を頼りに作曲していた優れたアマチュアだったのである。
結局、リムスキー・コルサコフはこの申し出を受けることになるのだが、後には彼自身も勉強して一流の教師になったということである。このペテルブルグ音楽院に着任してからは、≪雪娘≫≪サトコ≫などのオペラ作品が目立ったが、彼の代表作は何といっても、この1888年に作曲された≪シェエラザード≫である。
この曲は「アラビアンナイト』から題材をとったもので、出版された時は次のようなプログラムが明記されていた。
「サルタンのシャリアール王は妃の不貞を知り、怒った彼は妃とその相手を殺してしまう。女性不信に陥ったシャリアール王は、それ以来、毎晩生娘を迎えては翌朝に殺してしまうという誓いを立てた。ある日、王はシェエラザードを捕らえたが、彼女は毎晩面白い話を聞かせてくれるので、処刑の日が一日一日と延びてしまい、とうとうその話は千一夜にも及んだ。そして王は残酷な誓いを放棄し、シェエラザードを妃とした迎えた」。
曲は四つの楽章からなり、それぞれ簡単なエピソードがついている。このエピソードはお互いが特に関連しあっているわけではなく、あくまでも『アラビアン・ナイト』の雰囲気を再現したものである。
なお、リムスキー・コルサコフは当初この四つの楽章を前奏曲、バラード、アダージョ、フィナーレと表示していたが、リャードフらの強い勧めによって、現在のようなエピソードがつけられた。
また、この曲はソロ・ヴァイオリンが協奏曲並みに活躍するが、リムスキー・コルサコフは前年の作品≪スペイン奇想曲≫でこのスタイルに自信を持ち、この≪シェエラザード≫でその形態を大きく展開させて行ったのである。
YoutubeとSpotifyで視聴する
第1曲:海とシンドバッドの舟
冒頭でシャリアール王の主題が力強く奏され、次にハープを伴ってソロ・ヴァイオリンが甘美なシェエラザードの主題を歌う。
主部は航海の様子を描いている。(ライナーノーツより)
弦楽器が遙かな海の広がりを醸しだし、音の波の上をゆったりと滑り出すような描写が素晴らしい。
モントリオール交響楽団公式チャンネルより。
Spotifyで聴く。
第2曲:カレンダー王子(カランダール王子)の物語
シェエラザードの主題が奏され、そのあとにカレンダー王子の主題が現れる。しばらくするとシェエラザードの主題がオーボエで奏されるが、トロンボーンがそれを掻き消してしまう。(ライナーノーツより)
アラビアの町並みが眼前に広がるような、異国情緒あふれる楽曲。
モントリオール交響楽団公式チャンネルより
Spotifyで聴く。
第3曲:若い王子と王女
ヴァイオリンによるしっとりとした旋律で幕を開けるが、この旋律がさまざまな楽器に受け渡され、しばらくすると小太鼓のリズムに乗って王女の主題が現れる。最後はシェエラザードの主題が現れて、曲は静かに閉じる。(ライナーノーツ)
仲睦まじい恋人同士が語り合うような、優しい雰囲気の楽曲。
モントリオール交響楽団公式チャンネルより
Spotifyで聴く。
第4曲:バグダッドの祭り ー 海 ー 難破
冒頭では王とシェエラザードの主題が、それまでとは形を変えて現れる。その後、バグダッドの祭りに入り、やがて荒海が描写される。舟は難破し、海は静けさを取り戻して最後には再びシェエラザードの主題が奏されて全曲が閉じられる。
アラビアの踊り子たちが素足でリズムを刻み、たくましい若者らが踊りに応える。祭りの群集は海へと続くが、やがて嵐の中で舟は大破し、夢も、物語も、深い海の底に沈んでいく。
終盤のタンギングがすごい。すべての管と弦がぴったり合うところが、さすがプロのオーケストラ。高校の吹奏楽部だと、こうはなりません^^;
モントリオール交響楽団公式チャンネルより
Spotifyで聴く。
【コラム】 僕らは音楽で大海を旅する
音楽も、ただ美しい旋律を作るのではなく、聴衆に何を伝えるかが第一義にあるものだ。
愛か、憧れか、怒りか、失望か。
感情の数だけ旋律も生まれ、世界に響きわたる。
音楽は、吹き抜ける風のように、一瞬、心の中を通り過ぎ、終った後には残響だけが残る。
だが、聴衆にとって、真に音楽が始まるのは、それからだ。
ネットやポータブルプレイヤーで、いつでも好きな曲を繰り返し視聴できる現代と異なり、リムスキー・コルサコフの時代は、どんな名曲も「一度きり」だった。
年に数回開かれるコンサートが全てであり、聴衆にとっても、その楽曲を耳にする機会は、一生に一度のチャンスだったろう。
それだけに、演奏する方も必死なら、聴く方も必死だ。
ロシアのコンサート会場で、初めて『シェエラザード』を耳にした聴衆の感動は察して余りある。
現代でさえ、これほどビジュアルに迫るものを、当時の聴衆ならば尚のことだろう。
それこそ帆船に乗って、大海に繰り出すような気分だったに違いない。
そして、演奏が終った後も、繰り返し、繰り返し、嵐の中のシンドバッドを思い描き、「素晴らしい曲だ」と周りの人にも語り継いだに違いない。
現代は、録画や録音の技術も著しく向上して、「生涯に一度」にこだわることもなくなった。
コンサートを見逃しても、いずれ、YouTubeで高画質で配信される。
わざわざ劇場に出掛けなくても、ストリーミングサービスで、感動を共有できる。
昔のように、生涯に一度の機会と、息を潜めるようにして聴くこともなくなったのではないだろうか。
そういう意味で、演奏会の存在意義も、リムスキー・コルサコフの時代に比べたら、ずいぶん変質したと思うし、聴衆も変わった。
予備知識もまったく無いまま、今夜はどんな演奏を聴かせてくれるのだろうと、わくわくしながら劇場に足を運ぶ人より、『YouTubeのPR動画で中身を確認してから、コンサートを見に行く』という人の方が圧倒的に多いだろう。
現代の聴衆は、とにかく「期待外れ」を嫌がり、金銭的にも時間的にも損したくない気持ちが強い。
そうした現状は、ライブに命を懸ける演奏家にとっても、良質な音楽を求める聴衆にとっても、どこか本質からかけ離れているような気がしないでもない。
そもそも、音楽というのは、瞬間の芸術であり、名演奏家といえども、雨の日もあれば、風の日もある。
たとえ同じ演目でも、生涯に二度と同じ演奏は出来ないのだから、たとえ期待外れでも、生演奏の価値は計り知れない。
たとえ耳に心地よくとも、適度にミキシングされた動画や録音ばかりでは、音楽の本質も見失うだろうから。
だとしても、聴きたい時に、聴きたい箇所だけ、何度でも再生できる環境は有り難い。
コンサートホールであれ、リビングルームであれ、『シェヘラザード』が鳴る度に、目の前に大海原が広がり、シンドバッドのように旅することができる。
シャルル・デュトワ指揮、モントリオール交響楽団の演奏も、一度だけ来日公演に行ったことがあるが、その時のメインプログラムが『シェヘラザード』だったのは本当に幸運だった。
一期一会というなら、『フランスものを聴くなら、シャルル・デュトワ』という音楽雑誌の定番コピーこそ、最たるものだったような気がする。
https://www.youtube.com/watch?v=Wr_P_7Eg-G0&list=RDWr_P_7Eg-G0&index=1
By Author: Anonymous
Illustrator: Milo Winter – http://www.gutenberg.org/files/19860/19860-h/19860-h.htm#anch_2, Public Domain, Link