充実した生活を送っていない人へ
「犠牲」という言葉には、宗教的な意味合いがあります。古来、人々は神や精霊をまつるときに生き物を供えてきました。「神によってわれわれは護られている」という信仰があるからこそ、神を敬い、犠牲を捧げてきたのです。
いま、あなたはそれと同じことをする必要があります。
自分の欲求や欲望より、ほかの誰かを、あるいはほかの何かを優先的に考えてください。
いまは「分かち合い」と「寛容」のときなのです。
「自分を犠牲にしなさい」と言われて、不愉快に感じる人もいるでしょう。しかし、ものごとは考え方ひとつで変わります。それはすべて理解力の問題なのです。
自分を犠牲にしなさいというアドバイスの根底には、「より大きな利益のための犠牲」という考え方があります。ですから、たとえあなたにとっては損になることでも、それが夫や恋人のためになることであれば我慢しましょう。我慢するのがつらいからといって、弱音を吐いたり、降参したりしてはいけません。
あなたなら生き残ることができるのです。必要とあらば、あなたはもっと過酷な状況の中でも生き残ることができるでしょう。気弱になってはいけません。いまを克服するにはどうすればいいか、そのことだけに意識を集中させましょう。それでいいのです。
いままで自分を犠牲にしたことなどなく、いつも自分の好きなように生きてきた人にとっては、多少つらい経験かもしれません。しかし、いまはじっと耐えてください。いまの犠牲は結局はあなたの、そして二人の関係の、利益になるのです。
また、常にバランスのとれたものの見方をするよう、心がけてください。悲観的になれと言っているわけでも、無責任になれと言っているわけでもないのですから。
自分を犠牲にするということは、つまり、困難に立ち向かうことでもあります。あなたは身の回りに起こるさまざまなつらい出来事に進んで耐えしのび、精神的に強靭にならなくてはいけません。そして結局は、いまの苦しみが、あなたの財産になるのです。
もしかすると、あなたが知らず知らずのうちに避けていること、それをあえて実行することこそ、あなたにとって真の犠牲となるのかもしれません。たとえば独身のあなたは、休日になると女友達とショッピングやレストランに出かけてばかりで、ちっとも男性との出会いの機会を作ろうとしていないのではありませんか?
そんなあなたは、男性との出会いがありそうな場所に積極的に出かけていきましょう。そして気になる男性と出会ったら、「私、いま、恋人募集中なの」とはっきり宣言しましょう。内気なあなたにとって、それはとても恥ずかしいことかもしれません。でも、それこそ、いまあなたがしなければならないことなのです。
あるいは、連日連夜、新しい出会いを求めて街をさまよっているあなたにとっては、家静かに過ごすことがいま必要でしょう。ふらふらと出歩くのが好きな人には、家でじっと座っていることがたいへんな苦痛に思えるかもしれません。しかし、自分の心を深く掘り下げ、これからの人生に思いを馳せることが必要な場合もあるのです。
自分を鍛えるつもりで、他人を優先し、あえて自分にとっての困難に挑戦しましょう。歯を食いしばってこらえ、困難を克服したあとには、大きく成長したあなたがいるはずです。
出典 : いまは、自分を犠牲にするとき ~充実した生活を送っていない人へ 『恋に揺れるあなたへ 56の処方箋』より
【コラム】 犠牲とは、痛みを伴う改革
ラブ・ウィズダムでは「犠牲」という言葉で表現されていますが、「献身」「忍耐」と解釈してもいいかもしれませんね。
自己の都合ばかりで生きていると、「相手のために何かしよう」とか、「ここは私が我慢しよう」という発想に至りません。
そればかりか、「自分ばかりが我慢させられる」と相手を逆恨みし、人間関係を壊してしまうこともあります。
また、楽なことばかり追い求めていると、本当に解決すべき問題が後回しになり、人生も台無しになってしまいます。
人によっては、そうした努力や忍耐を「犠牲」と考え、「なぜ、私ばかりが犠牲にならなければならないの」と理不尽な思いに駆られるものですが、ラブ・ウィズダムでは、あえてその犠牲を受け入れ、今は相手のために我慢したり、辛い気持ちを乗り越えて、今解決すべき問題に取り組む重要性を訴えているんですね。
政治でも、「痛みを伴う改革」というような表現をしますが、人生も同じと思います。
家のリフォームも、壊すことから始めるように、個人の環境も、今ある形を壊すことから始めます。
それを「自分ばっかり」「犠牲」と思うか、痛みを伴う改革と前向きに受け止めて、問題に取り組むか、そこで将来も大きく違ってくるのではないでしょうか。
Sacrifice より良いものを手に入れるために
本章の原題は、Sacrifice です。
sacrifice には、「犠牲にする」「犠牲になったもの」という意味があります。 [ジーニアス英和辞典第5版]
似た単語に victim がありますが、victim には、「(犯罪、病気、事故などの)犠牲者、被害者」「(悪意や冗談の)対象、えじき」といった意味があり、より不幸で、一方的な傷害を表すのに対し、sacrificeは良い意味での犠牲(痛みを伴う改革)です。
たとえば、親が溺れた子供を助けようと川に飛びこむのは sacrifice 、高校生が同級生を川に突き落とすのは victim ですね。
ラブ・ウィズダムの言う「犠牲」は、sacrifice で、sacrifice は、あるものを犠牲にしますが、それはより良いものを手に入れるための犠牲です。
喩えるなら、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」「手を濡らさずして、魚を獲ることはできない」といったところでしょうか。
個人の人生にも、何かを犠牲にすべき時があって、今は「これが大事」というこだわりを捨てる時なのかもしれません。