夢をかなえる四〇からの生き方 ~池田理代子
『ベルサイユのばら』で有名な漫画家の池田理代子氏の言葉より。
二十代や三十代ともなると、やはり人間としてこの世に生を受けたからには、何かしら生きた足跡を残さねば、できれば素晴らしい仕事を成し遂げねばと気負ってがむしゃらに生きた。
恋も結婚も子供も、人間として女として普通の人が手に入れるものは何もかも手に入るのが当然だとも思っていた。
四十代になったとき、そのように考えていた自分の不遜さに卒然と気付いた。
その不遜さが、また自分をどれほど苦しめていたかということにも。
すべてを超越するような悠遠な宇宙の摂理の前に、人間一人の存在などいったい何ものなのだろうかという、言ってみれば十代の頃の懊悩に再び還ったような思いがあった。
ただ十代の頃と違うのは、その問に対して、「自分の存在など、何ものでもない」という答えを出せたということだ。
(略)
他人の評価も、遺した作品も、何ほどのことはない。地
球でも消滅してしまえば、何も残るものなどない。
そもそも自分が人間として生まれてきたことそのものさえ、大した意味のないことなのだと諦められるようになった。
そうだとしたら、つまらないことを思い詰めるのなどやめて、失敗も恐れず、自分のやりたいことをやって残された時間を生きようと腹をくくることができた。
池田氏は、漫画家のキャリアに終止符を打ち、47歳で音大受験に挑み、現在は声楽家として活躍されています。
私が感銘を受けたのは、『不遜』という言葉です。
三十代から四十代にかけては、まだ若さの延長上にいて、望みさえすれば、何でも叶うような気分でいるものですが、「自分など大した人間ではない」と割り切ってしまえば、かえって生き方に幅が生まれるもの。
何が何でも、三十代と同じようにドライブしようとするから、大台に乗るのが苦しくなるのではないでしょうか。
池田氏は「諦めるところから、諦めない人生が始まる」と書いておられますが、本当にその通りで、一度「死んだ」と思えば、意外と新たな活力が生まれてくるものです。
この五十歳という人生の大変な節目を迎えるにあたって、私の心の内に、これまでにはさして強く意識したことのなかったある感慨がわいてきました。
それは『私は生まれてからこのかた、自分自身のためにのみ生きてきて、他人のために生きたということがない』という思いです。
振り返ってみれば、本当に私は、自分のやりたいと思うことに力いっぱい没頭し、人一倍の努力もし、ある程度の満足がいくように自分の時間を目いっぱい有効に使う生き方をしてきました。
けれども、それらは全部自分自身のためでした。
私が人生において一番なりたかったのは『お母さん』なのですが、様々な肉体的事情からそれを叶えることができないままこの年齢にまで達してしまった結果、どうやら私は『無償で他人に愛を与える』ということを経験しないで来てしまったような気がするのです。
母親の、何の見返りも求めずに自分の時間の大部分を犠牲にして我が子を愛するという態度こそは、無償の愛の最たるものではないでしょうか。
≪中略≫
もちろん、経済的に自立できているということが真に自由であるための基本的な条件であるのは言うまでもありませんが、けれども、自己確立や自己実現というのは、必ずしも外に出て働くということだけで得られるものでもないと思うのです。
それに『自分ではない他人のために生きる』という経験を、人生のある期間もつことは、ほかのどんな経験もが与えることの叶わない素晴らしいものを自分に与えてくれるはずです。
≪中略>
他人のために生きるというのは、決して犠牲を自分に強いることではなく、より満ち足りた生の実感を得ることなのだと、この年齢になってようやく分かりかけてきた私です。
私も二十代後半から三十代前半にかけて、自分の持てるもの全てを趣味と生き甲斐に注ぎ込んできたことがありました。
そして、何をも顧みることなく、「それが自分にとって正しい」と信じて疑わなかったのです。
しかし、ある時から、「自分の為だけに生きる虚しさ」を感じ、今度は逆の方に行ってみようと考え、結婚・出産に踏み切りました。
24時間を自分の為だけに生きる(稼いだお金も自分のもの)。
それも一つの贅沢な生き方と思います。
しかし、守る相手もなく、支え合う人もなく、何を得ても自分一人で使い切ってしまうような暮らしが、人間を幸福にするとは到底思えません。
池田氏もまた、結婚を通して、義家族の世話をし、『自分以外』を経験した方です。
『自分ではない他人のために生きる』という気持ちはよく分かるし、あれほどの名声を得ても、自分の為だけに生きることが物足りなく感じる気持ちも分かります。
他人のために生きるというのは、決して犠牲を自分に強いることではなく、より満ち足りた生の実感を得ることというのは本当に同感です。
あきらめない人生―ゆめをかなえる四〇からの生きかた・考えかた
初稿 2006年6月20日