怠惰な生活をしている人へ
「責任」とは、何か問題が起きたときに、適切な判断を下し、確実な方法で問題を解決できる能力のことです。
「あの人なら任せられる」と判断するのは、その人がいつもこちらの期待を裏切らないやり方で行動するので、安心してものごとを任せられるとわかっているからです。
また、責任には「言行一致」が求められます。言うこととすることが全然違うのではお話になりません。必ず、言ったとおりに行動することが求められるのです。
現代社会では、「請求書の料金をきちんと払う」「一人前の大人として行動する」といった社会人として当たり前のことと、一人の人間としての責任とが、混同してとらえられがちです。
そのため、若い人たちの多くが、
「責任を持つなんて格好悪い」
「責任なんて誰かがとるよ」
と責任を軽視するようになっています。そして、真の意味での「責任」の重さが、人々の心から忘れ去られているのが現状です。
しかし、真実の愛には、みずから進んで責任を負うことが不可欠です。相手を深く愛しているからこそ、私たちの心の中に、
「言ったことはやり抜こう」
「堅実に行動しよう」
という決意が芽生えるのです。
「愛してるわ」と口にするだけでなく、きちんと行動にあらわすことで、相手に自分の愛情を伝え、愛を深めようとするのです。
さあ、いますぐ、自分の態度を見直しましょう。あなたは、自分を誇りに思えるようなやり方で、恥ずかしくない行動をしていますか?
嘘のない態度で、恋人と接していますか?
結局のところ私たちは、自分の行動に対して責任を持たなければなりません。
そして、責任ある行動と正反対のものは、「言い訳」と「非難」です。言い訳をしたり、相手を非難したりするのは、自分だけがよければいいという、わがままな願望なのです。おいしいものを食べたい、思いやりを持ってもらいたい、こちらの自尊心は尊重してもらいたい……言い訳や非難の陰には、たいていこんな願望が隠されているのです。
また、あなたの心が欲しているものもあるでしょう。霊的なもの、超自然的なものを求める思いが、あなたにはあるのかもしれません。
あなたは、そういった自分の思いに応えていますか?
自分の身体と心のさまざまな欲求に応えられるよう、休息をとり、エネルギーを取り戻す努力をしましょう。
あなたは、自分にたっぷり栄養を与えていますか?
定職に就き、一定の収入を得ていますか?
借金を増やしていませんか?
お酒を飲みすぎ、自己否定をしていませんか?
真剣な恋愛を始めたいのであれば、自分に対しても、そして相手に対しても、あなたは責任を持たねばなりません。
そして、私たちの言葉と行動が一致したとき初めて、愛は花開くのです。
言い訳は無用です。あなたなら、できるでしょう。
出典 : 責任を持つ ~怠惰な生活をしている人へ 『恋に揺れるあなたへ 56の処方箋』より
責任=安心感こそ愛の基本
愛される秘訣は、容姿や人柄と思っているかもしれませんが、愛の基本は「安心感」であり、安心感の元になるのは「責任」です。
お金を預けるにも、ころころ規約が変わって、預けたお金がどこかに消えてしまうような銀行に、とても預ける気はしませんね。
また、いくら料理人の腕が良くても、しょっちゅう注文を間違えたり、隠れ料金で上乗せするようなレストランで食事を楽しむ気にはなれません。
人間関係も、それと同じ。
いくら美人で、人当たりがよくても、平気で嘘をつき、約束もコロリと忘れて、謝りもしない人と付き合って、安らぎは感じませんね。
逆に、容姿や能力はいまいちでも、「約束は必ず守る」「ありがとう、ごめんなさい」が言える人の方が安心すると思います。
約束を守ることも、「ありがとう、ごめんなさい」が言えることも、突き詰めれば、自分の言動に対する責任感があるからです。
「午後五時に駅前で待ち合わせね」と約束したら、それを守らなければなりません。
急用ができて、どうしても無理なら、電話一本、入れれば済む話です。
それが出来ないのは、相手の事情や気持ちを考える想像力が欠けているからで、言い換えれば、責任感とは、思いやりに他ならないんですね。
銀行が預金者の利益を守るのも、レストランがきちんとサービスするのも、顧客に対する思いやりがあるからです。
人間関係もそれと同じ、常に相手の気持ちを考えれば、無責任なことはできません。
にもかかわらず、平然と酷いことができてしまうのは、そうした想像力が欠けているからです。
愛を掴みたければ、「安心できる人」であるのが不可欠ですし、安心をもたらすのは相手に対する責任です。
相手に対する想像力と責任感を欠いて、幸せな恋人関係はあり得ません。
Responsibility ~人生を真っ当するのも大事な仕事
この章の原題は、Responsibilityです。
responsibilityには、「責任」「責務」「職責」といった意味があります。 [ジーニアス英和辞典第5版]
責任の対象は、人間関係のみならず、自分の人生も同様です。
なぜ、自分の人生に責任を持たなければならないのか。
それは、人生を真っ当するのも、人間な大きな仕事のうちだからです。
多くの人、特に若い人は、「人が普通に生きるのは当たり前」と思っていますが、全然そんなことはありません。
食べる、寝る、働く、学ぶ、といった、当たり前のことが当たり前にできない人は少なくありません。
そうした人にとっては、「朝、決まった時間に起きる」「洗濯したシャツを着る」「寝る前に歯を磨く」という当たり前のことさえ、ハードルが高いからです。
誰しも心身が疲れている時は、昼までグウグウ寝てたいですし、お風呂も面倒、歯を磨くのも面倒、何をするのも面倒で、布団から出たくないものです。
それでも、自分の人生に責任をもつ気があれば、いやいやでも起き出して、顔を洗うし、ご飯も食べます。
病気で身動きが取れないならともかく、洗面、掃除、洗濯、調理など、当たり前のことを当たり前にやるのは、自分自身に対する「大人の義務」なんですね。
心身を健康に保つには、自制が不可欠であり、飲みたい時に飲み、食べたい時に食べる、というものでもありません。
いわば、自分の心身に対して責任を持つことが、真っ当に生きるための基本と言えるでしょう。
そして、それは面倒だからこそ、毎日きちんとやり遂げて、人生を真っ当できる人は偉いのです。