相手のことが気になって仕方がない人へ
このページを開いたあなたはいま、他人のことに干渉しすぎています。
他人のために、いらぬ世話をやいているのです。それではいけません。いまは、もっと自分の世話をしなくてはならないときなのです。
あなたは、夫や恋人が困っているように見えると、つい口や手を出しています。あなたは相手のためによかれと思ってやっているのですが、相手にとってそれは迷惑以外の何ものでもありません。
「人の世話をやくのはいいことだ」
と考えがちですが、えてしてそれは、「大きなお世話」に当たるのです。よく考えてください。何か問題が起こったとしても、問題を解決する役目はあくまでも当事者にあるのです。部外者のあなたではありません。それに、そもそも、相手はあなたに助けを求めていなかったはずです。
お節介のいちばん悪い点は、自分だけ高い位置に立ち、相手を見下すところです。私たちは二つの前提条件に基づいて、相手にお節介をやきます。
①相手にとって何がベストであるのか、自分にはよくわかっている。
②自分が手助けしなければ、相手は何もできない。
ところが、他人の世話をやくのは、思った以上に体力を消耗します。まるでわがことのように他人のために駆けずり回るのですから、疲労困憊して当然です。「これほど尽くしているのに、まったく報われない」と嘆いている人は、あなたのお節介が相手には迷惑だと思われているのです。そんなこと、いますぐにおやめなさい!
いまは、自分のことだけ考えましょう。
残酷なようですが、他人のことなどかまうことはありません。放っておけばいいのです。愛する人に、自分のことは自分でさせましょう。だいじょうぶ、もう一人前の大人なのですから、誰だって自分のことぐらいできるのです。
相手に干渉するのをやめると、あなたは罪の意識を感じるかもしれません。というのも、自分のことを自分でせざるをえなくなった相手は、あなたに戻ってきてほしいとやっきになる場合があるからです。でも、絶対にそれに引きずられないことです。
常に人の援助をあてにしている人は、しだいに相手からコントロールされていると錯覚し、ついには怒りはじめます。すると、助けてくれた相手を逆恨みし、憎しみさえ覚えるようになるのです。
ところで、あなた自身は、夫や恋人に助けてもらいたいと心の中で願っていませんか?
「誰かが私の問題をすべて解決し、私の責任まで負ってくれたら、どんなに楽だろう」と思っているのではありませんか?
しかし、他人に責任を負わせたところで、ちっとも楽にはなりません。そんなことをすれば、相手への怒りと不満が増殖するだけです。
自分が他人の世話ばかりやいていることをよく認識してください。そしていまは、他人のことは他人に任せ、自分のことにだけ専念するようにしましょう。
出典 : お節介をやかない ~相手のことが気になって仕方がない人へ 『恋に揺れるあなたへ 56の処方箋』より
人助けは気持ちがいい ~自己有用感と勘違い
「ところで、あなた自身は、夫や恋人に助けてもらいたいと心の中で願っていませんか?」の問いかけにもあるように、本来、救われたいのは「自分自身」なのに、それを他人に転嫁して、人助けに躍起になる人もあります。
有名な心理学用語にメサイア・コンプレックス(キリストコンプレックスまたはメシアコンプレックス、救世主妄想とも呼ばれる。個人が救済者になることを運命づけられているという信念を抱く心の状態を示す言葉。狭義には誇大妄想的な願望を持つ宗教家などに見られる心理状態を指すが、広義には基底にある自尊心の低さを他者を助けることからくる自己有用感で補償する人々をも含める)がありますが、救世主とまではいかなくても、根本的な心の問題を、人助け=感謝と承認によって埋めようとするケースは少なくないと思います。
しかし、そんな事を言いだせば、どこまでが親切心で、どこからがコンプレックスなのか、見分けがつかなくなりますが。
確かに、人助けは気持ちがいいし、何ものかになったような気分になるものです。
自己の存在価値がぐらついている時、他人に感謝されたら、一気に万能感を得ることができるでしょう。
だからといって、「かわいそうな誰か」を自分が幸せになる為の手段にしてはいけません。
あまりに他人に無関心なのも困りますが、自分が救われたいが為に、他人を利用するのは、たとえ人助けであっても、不幸の元。
もともと優しい性格にしても、時折、自分を省みることが大切かもしれませんね。
Rescuing 救うべき相手を間違えない
この章の原題は、Rescuingです。
rescue 「救助」「救出」という動詞の現在分詞です。 [リーダーズ英和辞典第5版]
ラブ・ウィズダムでは、「他人を助けるのをやめて、自分自身を見つめ直しなさい」といった意味で使われています。
レスキューすべき相手を間違えると、人間関係はおろか、どちらの人生も台無しにしかねません。
自分が救われるために、相手の不幸を利用してはいけません。