ロシアの偉大な作曲家、セルゲイ・ラフマニノフ Sergei Rachmaninovは1873年ロシアに生まれました(1943年没)。
希代の名ピアニストでもあったラフマニノフは、名曲中の名曲『ピアノ協奏曲No.2』をはじめ、『交響曲No.2』、『ヴォカリーズ』、『ピアノ・ソナタNo.2』など、様々な傑作を残しています。
その哀愁に満ちた美しい旋律は、映画やCMのBGMとしても効果的に使われており、「曲名は知らなくても旋律は知っている」という人も多いのではないでしょうか。
誰もが生涯に一度は耳にするであろう、ラフマニノフの世界。
ここでは私の最愛の曲『ピアノ協奏曲 第3番』と、これを題材にした映画『シャイン』について紹介しています。
映画『シャイン』 あらすじと見どころ
シャイン(1996年) ー Shine
監督 : スコット・ヒックス
主演 : ジェフリー・ラッシュ(デヴィッド・ヘルフゴット)、ノア・テイラー(青年期)、アーミン・ミューラー=スタール(父ピーター)、リン・レッドグレイヴ(妻ジリアン)
実在の名ピアニスト、デヴィッド・ヘルフゴットの生涯を、美しい音楽と共に描く伝記映画。
父との葛藤や中年期の彷徨など、心を病んで苦悩するデヴィッドが輝きを取り戻すまでの過程をドラマティックに描いている。
ジェフリー・ラッシュの名演もさることながら、青年期を演じたノア・テイラーの演技も凄まじく、コンクールに向けて猛特訓する場面はメフィストフェレスが乗り移ったかの如くだ。
効果的に流れるラフマニノフ『ピアノ協奏曲第3番』の旋律が深く心に残る秀作である。
あらすじ
オーストラリアに住む移民の子、デヴィッド・ヘルフゴットは、幼い頃より、厳格で音楽に造詣の深い父にピアノを教わっていた。
彼の才能に感嘆した音楽教師は、「デヴィッドはコンクールで賞のとれる子だ。ぜひ、私に預けてください」と申し出るが、頑固な父ペーターはこれを拒み、あくまで自分自身でデヴィッドを育てようとする。
デヴィッドがそこそこに大きくなると、息子にラフマニノフを弾かせたいペーターは、地元の音楽教師を訪れ、「ラフマニノフを教えてやってくれ」と頼み込む。
だが、音楽教師は、「子供にあんな情熱的な曲は無理だ。まずはモーツァルトから」と言い聞かせ、デヴィッドを預かる。
優れた指導のもと、デヴィッドはめきめきと上達し、数々のコンクールで入賞するようになる。
そんな彼に、アメリカの音楽学校から招待が舞い込むが、デヴィッドを手放したくないペーターは、息子の気持ちなどお構いなしに、これを撥ね付けてしまう。
やがて青年になったデヴィッドは、親交のあるロシアの女流作家の支えもあり、ついに父から離れることを決意。
一人、ロンドン王立学校に旅立つ。
名教師のもとで研鑽を積むデヴィッドは、ピアノ協奏曲コンクールの最終選考に残る。
デヴィッドが選んだ曲目は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。
教授は、「第三番は大曲だ。正気の沙汰じゃない」と懸念するが、「では正気でなければいいんですね?」とデヴィッドは受けて立つ。
コンクールに向けて、壮絶な練習が始まった。
絡み合うスケール。嵐のようなカデンツァ。
デヴィッドは全身全霊をかけて、この大曲に挑む。
「まずは正確に暗譜を! 指使いを覚えるのだ! 目隠ししても弾けるように! そうすれば音楽は自然にハートからあふれ出す」。
教授の言葉どおり、目隠ししてピアノに向かうデヴィッド。
彼の頭の中は「第三番」で今にも弾けそうだった。
コンクールが近づくと、教授はデヴィッドに、「素晴らしい演奏をした記憶は永遠に残る。次は君の番だ」と言って励ます。
デヴィッドはステージに立ち、ピアノに向かうと、鍛えぬかれた指先からラフマニノフを見事に奏でる。
もはやこの世を離れ、音楽という至上の世界に全身全霊を捧げ尽くすデヴィッド。
彼の演奏は万雷の拍手でもって称えられる。
ところが、その直後、デヴィッドは心の糸が切れたようにステージに倒れ込む。
デヴィッドは傷つき、疲れ果て、父の元に帰ろうとするが、ペーターは自分から離れた息子を決して許そうとせず、冷たく突き放す。
精神を病んだデヴィッドは、10年間も病院で過ごすことになった。
ピアノを弾くことは禁じられ、自由に外出することもできない。
そんな彼を気の毒に思った婦人が自宅に引き取るが、もはや日常生活さえままならないデヴィッドと一緒に暮らすことはできず、新しい身元引受人に託される。
が、そこでも夜中にピアノを弾きまくって引受人を怒らせ、とうとうピアノの蓋に鍵をかけられてしまう。
それでもピアノを諦めきれないデヴィッドは、レストランに飛び込み、『熊ん蜂の飛行』を即興で演奏する。
その場に居合わせた客たちは感動し、心から拍手を送る。
やっと自分の居場所を見出したデヴィッドは、かつての輝き(Shine)を取り戻し、自分の為、聴衆の為に、ピアノを弾き続ける。
やがて、生涯の伴侶となる占い師のギリアンと巡り会い、結婚。
彼女の深い愛に支えられ、再びステージに立つのだった。
挿入曲 『話を聞かせて、キャサリン』
本作は、デヴィッド・ハーシュフェルダーの手がけたサウンドトラック盤も素晴らしく、特に、ロシア人作家、キャサリンとの交流の場面で流れる『話を聞かせて、キャサリン(Tell Me a Story, Katharine)』も、心にしみるような小曲である。
吹替え版では、次のような台詞が入る。
あなたの弾くピアノって、言葉では表せない何かを完璧に表現している
神々しいわキャサリン、話を聞かせて。しずくの話なんかどう?
私は人生の野に咲く草花を
あなたの為に摘みました
そしてあなたの足下に捧げましょう
それは香料でも没薬でもない
あなたはクリシュナであり キリストであり ディオニュソス
あなたの美と優しさと力
花のように
Spotifyで視聴する
『シャイン』のサウンドトラック全曲は、Spotifyで視聴できます。
曲順もストーリーに沿って並んでいます。
ピアニストは眠らない ~デヴィッド・ヘルフゴットの人生
映画の大ヒットの後、日本でもにわかにデヴィッド・ヘルフゴッドのブームになり、CDも大ヒット、来日公演も大盛況だった。
筆者も大阪公演に出掛けたが、本当に映画通りの人で、演奏後、ステージの上をぴょんぴょん駆け回りながら、満場の聴衆に応えていた姿が今も記憶に残っている。(演目はもちろん、ピアノ協奏曲第3番)
デヴィッドの病名は、現代風に言えば、統合失調感情障害だそうだが(※ Wiki)、私が読んだパンフレットでは、特定の病名は挙げておらず、様々なプレッシャーから、心の変調をきたした・・というような記述であった。
映画では、19歳の時にロンドン王立音楽大学に留学し、コンクールの後に倒れるが、実生活では、様々な出来事が重なった上での発症であり、「ピアノの弾きすぎ」は演出といったところ。
サウンドトラック盤のライナーノートでは下記のように紹介されている。
デヴィッド・ヘルフゴット、”神の助け”。
映画「シャイン」の主人工は、そんな象徴的な名前を持つ、実在するオーストラリア出身のクラシック・ピアニストである。
父親の過剰な愛と厳格な教育を受けた彼は、少年時代から天才的な才能をみせながら、父親のそんな重圧によって身体と精神を病み、ピアノから遠ざけられるが、やがて出会った年上の女性(ギリアン)との大きな愛の中で感動のカムバックを果たす。
≪中略≫
この映画の大いなるキイとなっているのは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番である。ピアノ教師がまずモーツァルトから、というにもかかわらず、少年時代の彼にラフマニノフを惹かせようとする父親。
しかし感情過多で、しかも情緒不安定なラフマニノフはデヴィッドの運命を良くも悪くも大きく支配することになる。繊細な彼の心と体を極限まで引き裂いたのもラフマニノフであり、同時に、彼の魂を極限まで高めたのもラフマニノフだった。
青年時代の彼がロンドンに留学してコンクールでラフマニノフを弾く息をのむような場面は、最上の音楽が神のものであり悪魔のものでもあるという芸術の神秘を見事に表現している。
私はこの場面でノア・テイラーの演じる主人工に、なぜかふと青年時代のグレン・グールドの姿を重ねあわせてしまった。ひょっとしたら、あの天才グールドだって、もし運命の歯車がどこかで狂っていたら、彼デヴィッド・ヘルフゴッドの道を辿っていたかもしれないのではなかったか。
成人時代の彼を演じるジェフリー・ラッシュは彼のことをシェークスピア劇の道化に形容する。道化、聖なる愚者(ホーリー・フール)。デヴィッド・ヘルフゴットもまた、神が造り出した精神のアウトサイダーだったのである。
- 河原晶子
サウンドトラック『シャイン』 ライナーノートより
デヴィッド・ヘルフゴット氏自身の演奏。ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 第一楽章。
指揮、サラ=グレース・ウィリアムス。メトロポリタン・オーケストラによる。
演奏中に歌ったり、大きく身体を揺すったり、コンダクターにサインを送ったりするのが、一般的なピアニストとは異なる。
完全に独我の世界。
メトロポリタン・オーケストラのコメントによると、正式に記録されている唯一の映像とのこと。
「ピアニストは眠らない」――ある世界的なピアニストから聞いた言葉である。
ピアニストはベッドに入る直前まで楽譜を離さず、常に頭のなかには練習している曲が渦巻き、次なる演奏会への準備をしている。眠っていても夢のなかでスコアが出てくることがあり、いつもいまより上の、いい演奏をしようと考えている。
他人が聞くと苛酷とも思えるこの状態は、しかしながらピアニストにとって必須のものであり、第一線で活躍している音楽家にこそ課せられているものである。
≪中略≫
「あんな情熱的な曲は子供には無理だ」
ローゼン教授がヘルフゴットの父親に向かっていうこの言葉は、ラフマニノフの協奏曲第3番の難解さをよく物語っている。ラフマニノフやよく流れるように甘く美しく弾かれがちだが、作曲者自身は幼少のころから親の離婚や姉妹の病死、ロシア革命時の亡命など、重い人生を背負って生きた人である。その心情を伝える魂を揺さぶるような演奏は、並大抵のことではできない。
ヘルフゴットはこの曲を学び、練習し、本番で弾き終わった途端にいままで夢中ですがっていた一本の糸がプツンと途切れたかのように崩れ落ちる。
≪中略≫
しかし、やがて彼は好きな場所でだれにも強制されず演奏することができるようになる。小さなワイン・バーで、ヘルフゴットはいきいきとピアノと対話する。リムスキー・コルサコフの「くまんばちは飛ぶ」に宿るオープンな音楽性は、もう以前の彼ではないことを証明している。
ここに父との再会がはさみこまれるが、ヘルフゴットはすでに父のがんじがらめの愛情から自分を解き放つ術を心得ていた。そして無償の愛を捧げるギリアンと、自己の人生をまっすぐに歩んでいこうとする。
ヘルフゴットは実在するピアニスト。ここには彼の実際の演奏が多く登場するが、そのいずれもが極度の集中力に富んだ研ぎ澄まされた演奏だ。繊細で感情表現が深く、何かを訴えるようなそのピアノは決して流して聴けるようなものではない。世紀末の混沌とした世の中に、こんなにも純粋で一途な心を持ったピアニストが存在したことを知らしめるこの映画は、感動を失った現代人の、止める心のひとつの救いとなるかもしれない。
ー 伊熊よし子
サウンドトラック『シャイン』 ライナーノートより
こちらは、インタビューを交えながら、第三番の第三楽章のソロの部分を演奏する動画。
インタビュアーとぺらぺらお喋りしながら、こんなクソ難しいピースが弾けるなんて、ただただ羨ましいとしか・・・
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番について
作品の概要 ~ライナーノーツより
ラフマニノフが1897年に発表した第1交響曲の不評から、作曲家としての自信を喪失し、強度の神経衰弱にかかっていたところを、精神病の医師ダール博士の暗示療法によって救われ、1901年にピアノ協奏曲第2番を書き上げたという話は有名であるが、その第2狂想曲の予想外の成功によって、ラフマニノフは自信を取り戻し、またその名も世界的に知られるところとなって、以後も創作活動がつづけられたのである。
そのラフマニノフは、作曲家としてよりもむしろ、優れたピアニストとして早くからヨーロッパ各地で知られており、ピアノ協奏曲を含むピアノのための作品のほとんどは、みずから演奏するために作曲されたもので、この第3狂想曲も、以前から熱心に誘われていたアメリカ演奏旅行を、ついに1909年から翌年にかけて行うことになって書き上げられたものである。
≪中略≫
この第3協奏曲の全体のスタイルは、前作の第2協奏曲の延長線上にあるといわれるほど、きわめて国事している。実際にいくつかの点で共通するものが見られるが、第3番においては、ピアノ・パートはいっそう困難な技巧が用いられ、またピアノとオーケストラとの書法も第2番より遙かに複雑になっており、構成的にも緻密で魅力的なものとなっている。
これらの点はピアノの名手であったラフマニノフがみずからのテクニックの冴えを最高度に発揮させるように意図されたものであると同時に、作曲技法上の円熟を物語るものでもある。
ただ第2番が、不安定な精神状態から脱して王制な創作意欲に燃える時期の作品であるのに対し、それから8年を経て、すでに自己のスタイルを確立したラフマニノフが、十分な余裕を持って念入りに書き上げた第3番は、それだけに洗練されてはいるが、その一方で個性的な要素はやや薄れ、旋律の魅力といった点で第2番に比べて、いささか遜色があるといわれる。
それが人気の面でも第2番にやや劣る原因となっているのだろうが、充実した構成や名技性およびロシア的な情緒などのバランスのよい調和は、それg亜大2番に劣らぬ操作であるといわれるに十分なものである。
ピアノ協奏曲第3番 アシュケナージ / ベルナルド・ハイティンク指揮 CDライナーノートより
1909年、ニューヨークにて、ラフマニノフ自身の演奏で初演となった第3番は好評を博し、ラフマニノフの名声を不動のものにした。
第2番の抒情的な世界をいっそう昇華し、ドラマティックで、力強い響きを生み出したが、ラフマニノフの技巧をアピールする為に作られたピアノ・パートはいっそう困難となり、ピアニストにとって一つの試金石となっている。
現在では、ウラディミール・アシュケナージをはじめ、マルタ・アルゲリッチ、エフゲニー・キーシン、アレクシス・ワイセンベルク、エミール・ギレリス、ホロヴィッツといった、世界に名だたるピアニストが優れた録音を残している。
エミール・ギレリスのラフマニノフ
私が一番最初に聴いたのが、エミール・ギレリスの演奏だった。
ギレリスが若かりし頃の録音だけあって、怒濤のようなカデンツァに圧倒される。
動画情報によると、1949年、モスクワでの録音。
指揮は、キリル・コンドラシン。
私も輸入盤のCDを持っていたが、現在は入手不可。
Spotifyのプレイリストはこちら。
ウラディミール・アシュケナージのラフマニノフ
ラフマニノフの名盤は多いが、筆者のおすすめは、ウラディミール・アシュケナージ。
少女漫画のようにロマンチックでありながら、テクニックは上等で、安定感もある。
あまりに教科書的で、こだわりのある人には物足りないかもしれないが、大衆向けのムーディーな演奏であり、初心者にはもちろん、耳の肥えたクラシック・ファンも大満足の出来映えだ。
特に第三楽章に関しては、アシュケナージの持ち味がいかんなく発揮され、ここまで盛り上げが上手い弾き手も稀ではないだろうか。
カップリングの『パガニーニの主題による狂詩曲』もおすすめ。
ベルナルド・ハイティンク 指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番
ブックオフ楽天市場店(中古)
Spotify(欧州)でリリースされているジャケットは異なるが、内容は同じ。(ハイティンク指揮)
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第1番~第4番まで、通して聞きたい場合は、下記リンクからどうぞ。(ハイティンク指揮)
https://open.spotify.com/album/5CVx525wsVcG7mzpFMMhj5?si=j_A7MsahR32gqhdqG4N-wg
パガニーニの主題による狂詩曲(ハイティンク指揮)はこちら。
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