インテリは回っているけど、前進しない 『あゝ、荒野』より

「すべてのインテリは、東芝扇風機のプロペラのようだ。まわっているけど、前進しない」

あゝ、荒野 (角川文庫)

これに関連する言葉。

風車は進歩的文化人

ケサダが、自らを騎士ドン・キホーテと命名し、百姓のサンチョを従者として、風車と戦う有名なエピソードは、いったい何を物語っているのだろうか?

≪中略≫

風が出て来て、風車はまわり出し、突き出したドン・キホーテの槍は折れ、ドン・キホーテの体はロシナンテもろとも、風車のはねにひっかけられて空中に舞いあげられ、地面に投げ出されて、足をくじいてしまうのである。ここで、しぶとい風車は何の喩えであるのか?

それは、たとえば進歩的文化人を連想させることができる。
「まわっているが前進しない」からである。
ふつう、私たちは輪が回転するとき、その分だけ距離を獲得し、前進すると思っているのだが、風車はまわってもまわっても前進せず、他からの攻撃に対してはかたくなに身を守ろうとする。

風車には自転はあるが公転はない。だが、それではドン・キホーテは風車の中に、正すべき不正、新たむべき非理、果たさねばならぬ負債のいずれかを見出したのだろうか?

さかさま世界史 英雄伝 (角川文庫)

回っているのに前進しない、とはどういう意味だろうか。

たとえば、オピニオンリーダーと呼ばれる人はたくさんいる。どれもが先鋭的で、ユニークな意見の持ち主だ。

しかし、5年、10年と、同じ主張を繰り返している人も少なくない。

通常、人間が成長すれば、考え方も感じ方も変わるものだ。

右が左になったり、左が右になったり、強固な独身主義だったのが、結婚もいいかも……と考え始めたり、熱心な幼児教育推進者だが、いつの頃からか、自然に育つ面白さに気付いたり、起業やフリーランスに憧れていたのが、組織の一員として活躍することにも意義を見出したり。

新しいことにチャレンジしたり、新しい知識を得たり、新しい出会いがあれば、その都度、己を省み、変化するのが『前進』だろう。

ところが、己の主義に拘ったり、排他的であったり、硬直した部分があると、まったく前に進まない。

それどころか、ますます批判に敏感になり、自分と異なるものを攻撃するようになる。

既に、○○主義で売り出してしまっているが為に、引っ込みがつかない人も少なくないだろう。

そうなると、社会の為の思想ではなく、己が存続する為の思想となる。

己のポジションの為に主張するのは、もはや押しつけであり、思考停止だ。

繰り返されるだけで、ちっとも前に進まない思想に、どんな気づきや発展があるというのだろう。

思想界においては、インテリが悪いのではなく、自己保身こそが最大の弊害と思う。

語り口調はブンブンと活きがいいが、五年たっても、十年たっても、同じ主張の繰り返し、広がりも奥行きも感じさせないのは、飛行機ではなく、ただの『扇風機』である。

書籍案内

60年代の新宿。家出してボクサーになった”バリカン”こと二木建二と、ライバル新宿新次との青春を軸に、セックス好きの曽根芳子ら多彩な人物で繰り広げられる、ネオンの荒野の人間模様。寺山唯一の長編小説。

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