親とは『プロの子供』である

2003年、発刊と同時に一大センセーションを巻き起こし、日本に『負け犬』という言葉を定着させた酒井順子さんのベストセラー『負け犬の遠吠え』にこんな一節があります。

つまり私が三十五歳でなった『大人』というのは、精神的に成熟していった結果として到達した地点ではなく、年齢によって自動的に与えられた役割、のようなもの。あらゆる手を尽くしてそこまで逃げまくっていたけれど、とうとう追いつかれたか、という感覚です。

酒井さんは、実年齢が三十五歳になっても大人の実感が湧かない気持ちを「おばあちゃん嬢ちゃん」と表現されていて、上手いこと言うなあ、と思ったものです。なぜって、四十代になって

も、五十代になっても、高校時代の同級生と話をすれば、あの頃の気分でキャピキャピするし、実際、感覚的には何も変わってない自分に愕然とするからです。知識や処世術は身に付いても、中身は高校生のまんま、いや、高校生どころか、中学生か小学生の頃から何も変わってないように感じることもあります。機動戦士ガンダムに喩えたら、年齢や経験値のモビルスーツは年々パワーアップするけど、中の操縦席に座っているのはアムロのまんま、という感じです。アムロもいろんな出来事を通して成長しますが、いくら鍛えたからといって、北斗の拳のラオウみたいにマッチョになるわけではないですよね。

親も似たようなものです。

「高校生のあなたと五十代のあなたを明確に線引きせよ」と問われても、どこに違いがあるのか、明確には答えられません。親になったからといって、突然別の何ものかに変身するわけではないし、四十になっても、五十になっても、アムロはアムロのままですよね。違いがあるとすれば、子供以外に『親』という視点が新たに加わったことでしょう。それまでチームの一員だったのが、マネージャーに抜擢されて、物の見方が変わるのに似ています。

ある意味、親というのは、子供心を何十年と経験し、なおかつ青春期の問題を克服してきたキャリアがありますから、『プロの子供』と言えます。子供の悩みや葛藤を知り尽くしているから、子供に口答えされても(自分もかつてはそうだった)と受け止めることができるし、脱出の仕方も助言できるのです。そのあたりは会社の上司と同じ、助言に説得力があるかどうかは、子供時代をどう乗り越えてきたかにかかっていますよね。現場で何の苦労もしたことのない上司がガミガミ言っても説得力はないし、逆に、現場の辛さを知り尽くした人の言葉は、地位によらず、心にしみます。

親としての力量に自信のない人も、自分はプロの子供であることに誇りをもってはいかがでしょう。あなた自身、子供の悩み苦しみは知り尽くしているはずです。親になったからといって、なぜ急にそれを恥じたり、別の優れたものに置き換える必要があるのでしょうか。親として対峙するより、長年、子供を経験してきた者として、同じ子供目線で語り合うのも一興だと思います。

親もかつては子供だった……という視点は、子供に歩み寄る大きな架け橋ではないでしょうか。

負け犬の遠吠え (講談社文庫)  酒井順子
負け犬の遠吠え (講談社文庫) 酒井順子

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