今や芸能人のセカンドキャリアと化しつつある『政治家』。
実は2000年には、コラムニストの中野 翠さんが、次のように指摘されています。
文:中野 翠
満月雑記帳より
サンデー毎日00/07/23号
「就職」という言葉である。
あの人たちはべつだん政治家になったわけではないんだな。たんに政界という特殊業界の中の、自民党という特殊会社に就職しただけの人たちなんだな。だから一般サラリーマン同様、自分の会社のことしか考えないんだな。内側(業界内競争と社内人事)にしか目が行かないんだな──と。
政治家というのは国の運命を左右する空おそろしい職業だなんて、政治家自身も一般国民も、もはや全然考えていない。
…(中略)…
社民党公認、比例区で最年少当選した女性銀(25歳)が初登院した時に、
「いい就職しました」「政治家は楽しい仕事です」「25歳になったらみんなどんどん立候補しましょう」
うんぬんとコメントしていたのだ。
こういうコメント、他の人はなんとも思わないのかなあ。若い子らしくてほほえましいなんて思ってしまうのかなあ。私は凄く不愉快だったんですけど。
何が不愉快かというと、政治家になるということを「私の人生」の中でしか語っていないところだ。個人的サクセスストーリーとしてしかとらえていないところだ。
「国」だの「社会」だのより、「自己実現」だの「私探し」だののほうがたいせつと思っている種類の人という感じが匂ってくるからだ(そういう人はいてもいいけれど、政治家にはなるべきではない)。
与党おやじ議員は権勢欲や金銭欲を求めて政界に就職した。野党議員の女の子議員は「自己実現」を求めて政界に就職した──もしもそうなら、どっちもどっちじゃないか。
「俺」だの「私」だのだけがあって、「公」という意識が希薄なのは同じじゃないか。
ところで、つい先日、『もろびとこぞりて──思いの場を歩く』(与那原恵 著 、柏書房)という本を読んだ。
ドクター・キリコ事件や不妊治療問題や「ひきこもり」問題などが投げかける謎を鋭敏な感覚で探ったノンフィクション。快著である。
その中の一章に、政治家志望の若者たちに関するリポートがある。
著者は政治家志望の若者たち数名に会った感想をこう記している。
「彼らの政治家への動機は、つきつめれば彼ら“個人の物語”にあるのかもしれない。価値観が溶解した現在、自分の在処を求める選択のひとつとして政治家への道があるのではないか」
「それはたとえればこんな話に似てないか。文芸雑誌がまったく売れないのに、新人賞の応募には販売部数以上の人が作品を送ってくる。プロの作家の作品をパラパラと読み、“この作品ぐらいなら私にも書ける”と思うらしい」
「現在の日本の政治も、若者たちにとっては“これなら私も政治家になれる”と思う程度のものなのだ」
同感。まったくその通だと思う。
…(中略)…
「見て見て、私を見て」タイプの女の子の中には俄然、政界に注目した子も多いのではないかと思う。芸能界より政界のほうが目立ちそう、比例区なら案外ラクそうじゃない?──なんて。
書いていて、我ながら厭な性格だと思った。こと政治に関しては、私は「女」にあんまりファンタジーは持てないのだ。
社会問題や外交に真剣に取り組んでおられる方もいらっしゃるのだろうけど、不祥事があまりに目立つので、今や就職先としてもお勧めできないものになりつつあるような気がする。
治められる側も、「誰かがやってくれる」という感覚で、大半の人は、自分自身の問題と深く受け止めてないだろうしね。
本来、政治は、野心やチャレンジ精神に満ち溢れた若者向けの仕事なのだけども、なんせ、権力を握っているのが、既に欲しいものは全部手に入れて、老後も安泰、十年後、二十年後など、どうでもええのん、わしゃ、その頃にはこの世におらんから、、、みたいな、年寄り連中ばかりなので、どうにも発展性がない。
若者も、自分たちが参加できない活動には何の関心も無いし、ろくに自分たちの意見に耳も傾けようとしない年寄り相手に才能を磨り減らすぐらいなら、持てる力をフルに使って新規産業を創出したり、グローバル企業でチャンスを掴む方が楽しいだろう。
ゆえに、年寄りはますます安泰、旧態依然とした社会で若者の未来は萎み、希望も活力も失われていくという悪循環。
でも、そこまで必死にならなくても、そこそこに生きていける環境がある限り、若者が一致団結して旧い勢力を打ち破ろうとか、大改革に着手しようという動きにはならないだろう。
そして、そういう生ぬるい環境を作り出しているのは、他ならぬ年寄りであり、老害だの、上級国民だの、激しく罵られようと、今の若者を手懐けるなど、犬に餌をやるくらい簡単だと、内心ではほくそ笑んでいるに違いない。
だが、本当の嵐は、今の年寄りが政治の場から去った後にやってくる。
あんな老害でも、そこそこに社会を守っていたことを、いつか思い知る日が来るだろう。
なぜなら、今の年寄りの後を継ぐのは、セカンドキャリア系や世襲系であり、今の年寄り以上に「他人のことなど、どうでもいい」かもしれないからである。
この10年(2020年代)が浮くか沈むかの分かれ目というけれど、若い大多数が「誰かが適当にやってくれるだろう」という感覚である限り、V字回復を実現するのは難しい気がする。