人生はあなたの神様に出会う旅  #ミニエッセイ

少し立ち止まって考えたいあなたへ。

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人生はまだ開かぬ薔薇のつぼみ

イギリスの誇る詩人ジョン・キーツの詩句、【人生はまだ開かない薔薇の希望】を私流にアレンジしたもので、うちの可愛いミニバラを見る度、いつも思い浮かべる言葉です。
花というのは、発芽する時以上に、開花にエネルギーを要するものです。
硬い種子の殻を破る瞬間も大変ですが、蕾をほころばせ、美しい花を開かせる過程はなお苦しい。
蕾は思った以上に硬く、厳く、“あと一歩”がなかなか突破できないものです。
花を見ていると、葉や根っこから得たエネルギーを、一心に蕾の一点に送っているのがよく分かる。
これでもか、これでもか、というくらい力を入れても、まだ壁を破れない。
中には、そのまま花開くことなく、落ちてしまう蕾もあります。
だからこそ、立派に花開いた姿が、こんなにも愛しく、美しいのでしょう。
硬い種子から芽を吹き、葉を広げ、陽に向かって成長していく過程の集積が「花」であり、そこには生命と創造の輝かしい結晶作用が見て取れます。
それはまた蕾に隠された希望の象徴であり、人は、本物の開花の時期を迎えるまでは、あらゆることに希望がもてる――
また、もたねばならない、ということを教えてくれるのです。

初稿:1999/04/02(金)

青空の美しさは雨後によく分かる

「虹を見るにはスコールが必要」と言うように
青空の美しさは
雨に降られた者にしか分からない

そして、その雨がいつ上がるかは
誰も教えてくれないのです

それでも雨に耐えられるのは
青空の美しさを知っているからかもしれません

運の本質

運というのは、あの手もこの手も出尽くして、「もうダメだ」と兜を脱いだ次の瞬間に、突然、開けるものです。
多くの人は、手を尽くす前に、「ダメ」が見えた時点で諦めてしまうので、その先にある甘い果実を逃してしまうんですね。
「これでもか、これでもか」というくらい粘り強く頑張れば、運の方から、あなたに跪くもの。

言い訳の中に人生を埋もれさせてゆく

幸せを求める気持ちは皆同じ──特別な人など何処にもいやしない。
心にいろんな誤魔化しを強いながら、私たちは事実から目を背け、代替品ばかりを求め歩く。
「気付き」こそ真実に至る第一歩であるにもかかわらず、言い訳の中に人生を埋もれさせてゆく。
なぜ私たちはそれほどまでに自分自身に対して──真の希求に対して──臆病なのだろう。
私たちが真に求めているものは、そんなにも遠いのだろうか。
一生かかっても、巡り会えないほどに──?
間違ったやり方で、私たちは私たち自身をいっそう追い詰め、討ち滅ぼしてしまう。
目を持ちながら、盲いた人間の何と多いことか。

心の旅 ~物事の意味に気づく時

ぐるっと一周、心の旅を終えたら、同じゼロ地点に戻ってきた。
その時、私は、どんなに彼に愛されていたか、心の底から実感することが出来たよ。
あの悲しみも苦しみも、私には絶対必要なものだった。
神様に与えられた愛の課題を見事に解いたような気がするわ。
そうして心の旅を終えたら、何倍も大きくなった私がいた。
もう二度と、夜に心を閉ざしたりしないだろう。
全ての出来事には意味が有る。
その意味を見出すのが、私たちの仕事であり、人生だと思う、今日この頃。

初稿:2003年

悲しみや苦しみは知ることの代償

知れば知るほど苦しみも増すが
知らなければ、得るものも無い。
いわば、悲しみや苦しみは、知ることの代償なのだ。
実のあるものを求める限り、影も付いてくる

表現は月の光と同じ

表現は、月の光と同じ。
人の目に映るのは、月そのものではなく、投影された光だから。
それは月に見えるが、月自身ではないのだ。

愛の本質は、愛が終わる時に分かる

愛の無い人だったからこそ、私は掛け値なしの想いをあげた。
そして、それを、あの人は心から受け取り、大事にしてくれた。

私はあの人に、自分の想いが偽りでないことを証さねばならない。
あの人が、私の想いを心底信じ、自分のものにしてくれて初めて、私の想いも生きるのだから。
あの人の想いが続く限り、私も降りるわけにはいかない。
自分の孤独や苦しさを押し殺しても、この想いを貫きたいと思う。
貫いたところで、何も無いのは分かってる。
……分かってるけど、全てを無駄にしたくないのだ。

愛の本質は、愛が終わる時に分かるという。
ならば私も最後まで見届けたい。
この出会い、この想いが、“何もの”であるかを。
たとえ、それが無意味なお祭り騒ぎだったとしても、 私はそこからまた何かを学べるはずだから。
人を愛せた自分を誇れるはずだから。

記 1998年秋

運命の出会いと別れ

他人の運命の歯車が、否応なしに自分の運命の歯車を回し、その歯車は、また別の人間の歯車を回していく。
人と人を出会わせ、また別れにいたらしめる運命とは一体なんなのか。
人は個々に独立した存在だが、運命は確かに人智を超えた次元に存在し、大いなる力で人間を支配しているのだ。

この世に完全に「一人」で存在する人など有り得ないし、また誰にも影響されず、影響もしない人も有り得ない。
人が動けば、運が動き、運が動けば、また別の人が動かされる。
人の繋がりとは友情や義理だけでなく、運命の利害関係にも支配される。
それに飲み込まれたら、自分では制御できない事態にも遭遇する。
謙虚さとは人間に対してではない。
世の全てに対する敬虔な気持ちでもある。

-運命に関する覚え書き-

周囲に『孤独な奴』と思われるのがイヤなだけ

世の多くの人は
孤独が苦手というよりも
周りの人に『ぼっち』とか『孤独な奴』とか思われるのが苦痛なんだよね
世の多くの人は
案外 一人で居るのが好きなはずだけど
周りの目が気になって 一人で居られない
そして だんだん 強迫神経症みたいになっていく
しかし 周りの人間は あなたが思っているほど
あなたのことを気にしてない
だから 好きにしよう
一人で居たい時は 一人で
一人が心地いい時も 一人で

成長に最も大切なのは間違いと向き合う勇気

成長に最も大切なのは
間違いと向き合う勇気
間違いを受け入れる度量
間違いを分析する能力
間違いを正す行動力
穴だらけのバケツで水は汲めない

愛を嗤う者と憎む者

愛を嗤う者は、愛の奇跡からますます遠ざかり、
愛を憎む者は、いっそう孤独になる.
愛を求める気持ちにも 素直でいること
それが愛に至る一番の近道

幸せの感じ方と心の空白に気付くこと

“私には、私の愛を糧にして生きてくれる人が必要だった。
貪りもせず、無駄にもせず、その全てを自分の血と肉にしてくれる人が。
どんな人間にも、魂に空白がある。
プラトン風に言えば、人は自分の魂の片割れを求めて彷徨っているわけだが、その空白に気付かなければ、片割れにも出会いようがない。
言い換えれば、自分の魂の空白に気付くことから幸福が始まるわけだ。
ところが、幾多の人が、その空白に気付きもしなければ認めもせず、無駄な回り道ばかりして人生を虚しくしている。
空白を意識するのが怖いからだ。
人間は自分の弱さや欠けを直視しないかぎり、決して幸せにはなれない。
幸せになるということは、その前に、非常に痛みを伴うものなのかもしれない。

初稿:2002年5月1日

自分について真剣に考えることは 生きる道を開いてくれる

自分について真剣に考えることは
生きる道を開いてくれる。
相手について真剣に考えることは
愛することを教えてくれる。

「考える」と「悩む」は違う。「考える」と「悩む」は違う。

悩みには終わりがないが 考えは解決をもたらすからだ。
それは必ずしも自分の望む形でないかもしれないが 少なくとも目の前は清明になる。
目の前が清明になれば 生きることも少し楽になる。
生きるのが少し楽になれば まったく違う道が見えてくるだろう。
もちろん、人との付き合いも。

人生はあなたの神様に出会う旅

人生はあなたの神様に出会う旅

目を閉ざして 耳を澄ませば
遠く 空の彼方から
あなたを見守る あたたかな眼差しに気付くはず
神様は あなたが来るのを待っている

あなたが道を歩ききり
あなただけの答えをもって
天国への階段を 
ゆっくり 静かに 昇ってくるのを

その時 神様は
あなたの肩を優しく抱き
「よくがんばったね」
と褒めてくれるだろう

誰よりも深い愛の言葉で
あなたを慰めてくれるだろう

その時 すべての重荷がとけて
背中に天使の羽根が生える

もう辛いことは終わったのだと
心の底から思えるだろう

あなたが生まれた時からずっと
あなたを見守っている神様がいる

人生は 
その神様に出会うまでの長い旅

本当に「生きた」と思えるのは
もっと ずっと 先のこと

そして その時が来たら
人は はじめて 
自分が生まれてきた本当の意味を知る

初稿:2000年

誰かにこっそり教えたい 👂
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