海を想う人の詩

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存在理由と深海の生き物

なぜ 人間だけが
自分は無意味などと思うのだろう

深い海の底を覗けば
何のために生きているのか分からないような
生物がごまんといる
誰に知られることなく
息づいているような生き物が

その一つ一つが
何のために生きているのかと疑いだせば
生命(いのち)なんて
この世からすべて死に絶えてしまうだろう

噴き上げる熱水の側で
硫化水素の中で
彼らは生きるために
生きる

人間だけが生を疑い
自らを無意味と思う

こんな海の底にも
生きている命があるのだけれど

海が美しいのではなく 海を想う人の心が美しいのだ

海岸に打ち付ける波の一つ一つにも生命の営みがある。

波は微生物や細かな堆積物を運び、海岸の地形や地質を少しずつ変えてゆく。

それは時に人間社会に不便をもたらすが、こうした変化があればこそ、自然のシステムは生き続けることができる。

たとえ生きて行く為に漁が必要だとしても、乱獲は巡り巡って人間そのものを滅ぼす。

海が美しいのではなく 海を想う人の心が美しいのだ。

海が好きというよりは、海に込められた思い出がいとおしいのだ

海が好き──というよりは、海に込められた思い出がいとおしいのだ。

子どもの頃、はしゃぎ回ったあの海は、眩いほどの青色をしていた。

遠い故郷に帰って来たような懐かしい気持ちになる。

『海は生きとし生けるものすべての故郷よ』

と母は言った。

『生命は、すべて海から生まれ、巣立っていったの。陸に上がった人間が今もこうして海を懐かしむのは、 海に暮らした何億年もの記憶を留めているからかもしれないわね』

海は生きとし生けるものの故郷  ~アルベールⅠ世とモナコ海洋科学博物館より

たった一言を書くために、何千枚もの原稿を綴ることがある。

思い起こしてみると、本当に書きたいことは、いつも『たった一言』なのだ。

何万、何十万というその他の言葉は、その一言に至るまでの壮大な助走に過ぎない。

時に迷い、時に躓きながら、その一言に突き進んでゆく。

いつか出遭う、最高の瞬間を追い求めて。

思えば、海はいつでもそこにあるのだ。何億年と変わらぬ姿で。

曲がりくねった夜の道を抜ければ、曙光の下に、いつもその輝きを見ることができる。

遠く思うのは、夜の深さのせいだ。

海はひとりでに遠ざかったりしない。

今年も、あの夏の海を思い、海の響きを懐かしむ。

貝殻のように耳を澄まして。

初稿:2000年7月24日

海月(くらげ)~ひと夏の命

最近、クラゲを飼うのが流行らしい。
英名[Jellyfish]。
洒落た言い回しでは、Sea Moon ともいうらしい。

クラゲ。
刺されたら痛いが、よく見ると可愛い。

あのフニフニとして、何も考えていないような存在感が、疲れた現代人には癒しになるようだ。
ヒーリング・ミュージックならぬ、ヒーリング・クリーチャー。
クラゲばかりを集めた綺麗な写真集も出ている。
光の当て方によっては柔らかな宝石にも見える、不思議な海の生き物だ。

子供の頃、家族で小豆島に遊びに行った。
夏も終わりの海岸を、黄昏時に姉と歩いていたら、浜辺に一列に打ち上げられた、おびただしいクラゲの死骸を見つけた。

海の中ではゼリーのように透けて見えるクラゲも、死んでしまえば、頭のもげたエノキダケのよう。
硬く、ずっしりとして、波間に遊ぶJellyfishの面影はどこにもない。
腐った寒天のように砂にまみれて、遠く波の音を聞いている。

どうして、こんな、おびただしいクラゲの死骸が、浜辺に一直線に打ち上げられているのかは分からない。
ただ、夏の終わりとともに死を定められた、クラゲの儚さを感じる以外は――。

私は姉と二人で棒キレを探すと、その先にクラゲの死骸を引っかけ、「クラゲのお葬式ぃ~」と叫びながら、一つずつ海に還してやった。
白く固まったクラゲの死骸は、緩やかな弧を描きながら、黄金色の波間に次々と消えていった。

「これでまたクラゲに生まれ変わるよ」
姉が言った。
「砂の上では分解されへんけど、海の中ならキレイに分解される。そしたら、またクラゲの細胞になって蘇るんや」

私は“そうか!” と納得し、せっせとクラゲを葬り続けた。
今から考えたら無茶苦茶なリクツだが、その時は本当にクラゲの細胞に分解されて、生まれ変わるような気がしたからだ。

それに、海の生き物が浜辺で朽ちていくのはあまりに哀しい。同じ朽ちるなら、海の底で朽ちたいだろうに……。

そうして陽が沈みかけるまで、私と姉は葬式ごっこに夢中になっていた。

気がつけば、宿からうんと離れた所まで来ていたが、死骸の列はその先にも延々と続いていた。

「もう帰らんとね」
「……ウン……」
私と姉は棒切れを波間に放ると、宿へ急いだ。

振り返れば、まだ夏を懐かしむクラゲの死骸が、彼方まで一直線に続いている。
もう二度と還れぬ海に思いを馳せながら。

時が過ぎ、秋が深まる頃には、波に運ばれて、別のものに生まれ変わるのだろうか?
それとも、海の見える所にずっと身を横たえたまま、少しずつ砂の上に崩れていくの──?

クラゲの仲間には、様々に形を変えながら、永久に生き長らえるものもあるという。
だとしたら、どうしてあの子達は、夏の終わりに一斉に打ち上げられて、海から離れた所で静かに朽ちていかなければならないのだろう?
初めから、ひと夏の命と定められて……。

今も、夏の終わりになると、あの浜辺にはおびただしい数のクラゲが打ち上げられるという。
同じように、死骸を棒切れに引っかけて、葬式ごっこにいそしむ子供がいるかは知らないが、沈む陽に秋の気配を感じるようになると、砂の上で朽ちていく、たくさんのクラゲのことを思い出すのである。

初稿:1999年10月9日 メールマガジン 【 Clair de Lune 】 より 

誰かにこっそり教えたい 👂
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