僕の居場所 ~淋しい野良猫の詩
僕は淋しい野良猫で、帰る場所を探している。
いつでも、どこからでも、帰って行ける場所だ。
夕べ、犬に言われたよ。
「犬はどこででも眠ることができる。自由を愛しているからさ」
だけど帰る場所のない自由なんて、ただ浮いてるだけだ。
もし君が死んだら、君には泣いてくれる人がいるの?
次の日、交差点で、車に轢かれた犬を見た。
待つ人のない犬は、そこに放置されたまま、誰かに名前を呼ばれることもない。
ずたずたになって、跡形もなくなっても、次から次に人に踏まれて、静かに眠ることさえできない。
これが君の望む自由なら、僕は鎖で繋がれても、僕の帰りを待ってくれる人を探すよ。
二人の間が窮屈なら、鎖は幾らでも伸びる。
肝心なのは、その端っこを、誰かがしっかり握っていてくれることなんだ。
僕は交差点を通り過ぎると、大きな和菓子屋の軒先にうずくまった。
今はまだ誰に気付かれなくてもいい。
とりあえず空腹さえしのげれば。
たとえ雨に打たれても、百夜ぐらいなら一人だって平気だ。
僕はそんな夜にもうずっと馴れているんだ。
そして、いつか僕の帰る場所を見つけたら、
僕はもう二度と自由を羨んだりしない。
いつまでも君の側にいるよ。
心地良い距離の間で。
記 2005年? いつ、何の目的で書いたのか、まったく記憶になし。
ある午後の風景 ~今度、生まれ変わったら~
ベランダに出たら、中庭で居眠りする猫を見つけた。
あんまり気持ち良さそうなので、
今度生まれ変わるなら、猫でも良いなあと思った。
人間はよけいなことを考え過ぎる。
ただ陽の温もりだけを感じて生きていればいいのに。
日の出とともに目覚め、日の入りとともに眠る、
原始の時代が懐かしい。
自分が何者であるかなど考えもしなかったのだろう
あの頃は。
初稿:1999/06/12
存在するだけで愛される猫
愛について悩むなど不毛で愚かしいことだ。(主に愛されない病)
うちの飼い猫なんて、私に何もしてくれないけど、存在するだけで愛されている。
ご飯を食べる時だけ私の所にやって来て、ご飯を食べた時だけゴロゴロ、スリスリする、ジゴロみたいな存在だけど。
しかし、猫には猫の気遣いがあって、私が台所で忙しくしている時はニャー(窓を開けてよ)と鳴かない。
私が一段落するまで窓の前で待っている(これほんと)。
それでもどうしても外に出たい時だけニャーと鳴き、それ以外はひたすら待っている。
どうやら猫にも思いやりがあるらしい。
そんな風に、存在するだけで愛される猫もいる。
人間も、多分、同じ。