心の海が凪いでいる
目の前は
未だ黒い雲が垂れ込め
水面には陽も射さないけれど
それを見つめる眼は
不思議なほど穏やか
まるで心の海を映し出すように風は荒ぶり
波は切り立つそれでも彼は水際に立ち
一人静かにつぶやくのだ「世界中で この海を生かせるのは 私しかいない」
心の海が凪いでいる
目の前の嵐とは裏腹に
それは深く確かな未来への決意
本当の強さはいつでも物静かなものだそうして彼は二たび
無の平原に向かうそこには何も見えないけれど
確かに何かが存在するから
彼にだけ感じる
何かが在るから「世界は変わる。変わると信じた人間が変えるのだ」
いまだ目覚めぬ未明の力よ
闇を貫く一条の光よ無の彼方より立ち上がり
眠れる海を照らせ
尽きることなき創造の光でその輝きに
世界が震える日まで
上記は、2000年頃、曙光の初稿に取り組んでいた頃に書いた詩です。
ヴァルター・フォーゲル……というより、小説『曙光』は、現在もアフシュライトダイク(締め切り大堤防)から海に臨むコルネリス・レリーをモデルにしています。
たまたま手にした土木関係の専門書で、アフシュライトダイク(締め切り大堤防)の建設のエピソードを知ったのが生涯の出会いとないました。
オランダの治水と締め切り大堤防 ~意思が世界を形作るでも書いていますが、全長32キロメートルという長大さもさることながら、オランダ建国精神を象徴する、『この世界は神が創り給うたが、ネーデルラントはネーデルラント人が作った』(God schiep de Aarde, maar de Nederlanders schiepen Nederland)という諺に心惹かれたんですね。
日本もかつてはそうした建国精神を持っていました。
でも、今はすっかり出来上がったせいか、もうそうした精神も失われ、逆に昭和時代のインフラが足枷になりつつあります。
オランダの堤防や治水施設が1000年先まで見越して建設されているのと違い、昭和の建設ラッシュは、行き当たりばったりの開発も多かったかもしれません。
というより、これほど急速に少子化が進み、経済も衰退するとは思ってもみなかったのでしょう。
だとしても、インフラは国家の礎、とりわけ、治水は、ひとたび決壊すれば甚大な被害を引き起こしますから、「今すぐ必要ない」では済まされません。
自国が水害で崩壊しても、誰も助けになど来てくれないのです。
それもこれも、誰か大人がやってくれる……ではなく、今の10代20代がいずれ直面する切実な問題であることを、もう少し注意喚起していただけたらと思います。
*
ところで『曙光』は人生を変えたでしょうか。
もちろん、YESです。
20代の頃の、最初の志の通りになりました。
今でも、海洋小説の中では最高傑作だと自負しています。
海に向かうコルネリス・レリーの志は、私の志でもあり、レリーがやり遂げたように、私もたった一人でやり遂げたのです。(堀田先生という励ましを得て)