子供は子供に磨かれる ~本当の「いい子」の育て方

世の中、いろんな「いい子」「出来る子」の育て方が出回っていますが、私は、「子供を素晴らしく成長させる秘訣は何ですか?」と聞かれたら、

「たくさんの子供の輪の中に身体一つで飛び込ませること」

と答えます。

『子供は子供によって磨かれる』

とでも言うのでしょうか。

子供が、他の子供から得る刺激は何よりも大きいからです。

うちは、昨年11月からこの1月上旬まで、義姉さん宅に滞在していたのですが、義姉さんには、大学生の娘さんと中学生の男の子、小学1年生の女の子があって、特に、下の男の子と女の子が私の二人の子の遊び相手をよく務めてくれました。

また、もう一人の義姉さんの娘さん(6歳)も毎日のように遊びに来て、それはもう賑やかだったものです。

そして、子供同士だけで遊び、喧嘩し、年長の子に叱られ、下の子に手を焼かされ……を繰り返す中で、うちの子達も著しく成長したし(特にボキャブラリーの増加))、他の子たちも、普段あまり接することのない3歳児と1歳児に揉みくちゃにされて、何か心に大きく感じるものがあったようでした。

「子供に成長=母親力」みたいに思われているフシがありますが、私は、母親一人の力で与えられるものなどたかが知れているし、日常の生活行動や情緒面での発達に加えて、創造力、忍耐力、思考力、反射力、協調性といったものを、閉じた世界の中で培うのは難しいと思うんで
すね。

よく「人は人によって磨かれる」と言いますでしょう。

大人でも、誰とも接することなくじーっと内にこもっているより、他人との、たとえ1時間の触れ合いでも、得るものははるかに大きいのではないでしょうか。

子供だって同じことで、母親との閉じた世界にこもっているより、どんどん他の子供と接した方がいいし(必ずしも仲良く遊ぶ必要はないと思います)、大きい子や小さい子、いろんなタイプの子供に揉みくちゃにされた方が、はるかに大きな刺激になると思うのです。

特に、年上の子の影響力は凄いですよ。

たとえば、母親に叱られてもブーっとふくれるだけなのに、年上の子に「そんなことをしたらダメだっ!」と一喝されると、いつもはおふざけが過ぎる上の子が神妙な顔で聞き入ったり。

あるいは、年上の子の高度な遊びについてゆけなくて、仲間はずれにされると、「自分もこれぐらいは出来るようになろう」と必死になったり。

母親がいくら口で説いたり、手を取り足を取り教えようとしても、まるで効果の無いことでも、相手が年上の子供だと、どんどん吸収したりするんですよね。

私は前に、早期教育に関する記事で、こんな話を読んだことがあります。

じゃあ、子供に友達を作ってやればいいのだろう――と、あちこちの○○教室に連れてゆく親も多いですが、教室で起こる出来事というのは、『あらかじめ予定されていること(何をどうするか)』であり、そこに子供の世界観をひっくり返すような『ハプニング』は起きません。

お絵かきの道具も、机も、飲み物も、ちゃんと人数分そろっていて、揉め事が起きれば親や教師が割って入り、何もかもが整えられた中での体験に過ぎません。

しかし、公園の砂場などに行けば、オモチャは取られる、よその子に引っかかれる、ブランコの順番が回ってこない……など、ハプニングの連続です。

そして、そういう思いがけない体験の中で、子供はどんどん成長していくのです。

私もこの意見に一票です。

「○○教室が悪い」という訳ではありませんが、何もかもお膳立てされた中での体験と、揉みくちゃにされる中でのサバイバル体験では、物事に対する反射力、忍耐力、応用力など、いろんな面で培われるものが違うと思うのです。

たとえば、今回、親しくしてもらった義姉さんの6歳の娘さんは、一人っ子で、これまでお姫様のように大事、大事に育てられてきた女の子でした。

そこに突然、うちの手乗りザルみたいなやんちゃ坊主が乱入してきて、せっかくきれいに組み上げた人形の家を壊す、大事にしていた車のコレクションをバラバラにする、お気に入りのオモチャを持って逃走する……など、これまでのお姫様ライフからは想像もつかないような厄災(子供にとっては、まさにそのものです)にみまわれ、この娘さんは、うちの息子が遊びに来たら、自室に鍵をかけて閉じこもり、ドアの外で息子が「開けてー、開けてー」と泣き叫んでも、絶対に開けなかったんですね。

そして、この娘さんには、もうすぐ弟が誕生するのですが、うちの息子の暴れっぷりを見て、「弟が生まれたら、自分のお姫様ライフはめちゃくちゃにされる」と、恐れおののき、お母さんの出産を前向きに受け入れられないところもあったようなのです。

そして、うちの息子と揉める度に、彼女のお母さん=義姉さんから、

「あなたは人と分かち合うことを学ばなければならない」

「自分がされてイヤな事は、相手にはっきり『No』と言う力を身に付けなさい。これから小学校に上がれば、あなたはもっと大勢の中で生き抜かなければならないのよ」

と何度も諭されて、その度に、「あの子(息子)が悪い」と泣いてグズる……の繰り返しだったのですけど、その娘さんが心に大きなもの感じたのは明らかで、うちの子たちと過ごした二ヶ月間の体験というのは、計り知れないものだったと思います。

その証拠に、今まで「弟が出来る」ということを具体的にイメージできなかったのが、「姉弟になるというのは、こういうことなのだ」と6歳なりに理解したようで、これから自分のオモチャをどう管理するか、どうやったら弟と仲良く遊べるか……といったことを、お母さんにボチボチ語っていたそうです。

こうした事からも、子供が言葉を覚えたり、忍耐力や思考力を養ったりするのに知育玩具だの、ビデオだのって、そういうのはあくまで補助的なもので、生きた体験に勝るものはないと思います。

教育にしたって、必ずしも、真面目で、整然と、心地良いものが、子供の心を育てるとは限らないし、他の子供に体当たりされて、泣いて、怒って、落ち込んだりする中で身に付く応用力や反射力、理解力というのもあるのではないでしょうか。

それよりも、子供同士の輪の中に身体一つで放り込んで、子供たちのなすがままに任せていた方が、得るものもはるかに大きいように感じます。

そう考えれば、保育園や幼稚園も、いい刺激には違いないのでしょうけど、教室はやはり同じ年の子の集団ですしね。

「似たり寄ったりの寄せ集め」という点では、あくまで等身大の世界であって、大きなお兄ちゃんお姉ちゃん、あるいはうんと年下の子が巻き起こすような『天地がひっくり返るような出来事』は期待しにくいかもしれませんね。

保育園や幼稚園でも、年齢の超えて子供達が深く交わる機会をたくさん設けて下さったらいいのですけどね。

とはいえ、これだけ少子化が進めば、近くにいろんな子供の集団を探すのは難しいかもしれません。
今時、公園で、屋外遊びに興じている小学生や中学生など少数派でしょうし、子供の輪に入れるにも、ママ友だの何だのって、妙なこだわりから入っていけないケースもあるでしょうしね。

近くに従兄姉などがいるなら、どんどん遊ばせたらいいと思いますよ。

「中学生と3歳児では年齢差が開きすぎる」なんて言う人もあるかもしれませんが、そういう大きな子にこそ、ベビーシッターをさせればいいんですよ。

アメリカやポーランドでは、中学生にもなれば、小さな子供の相手はお手の物ですし、親の方から率先して面倒を見させますよね。
自分たちが楽したいからではなく、これぐらいの年齢になれば、責任をもって小さな子供を見るぐらいの器量がなければ……という考え方です。

よく「いい子」「出来る子」と言いますけど、その究極の目標とするところは、『この人間社会において役に立つ』という事でしょう。

いくら才能だけ伸ばしても、人の役に立たないものは、無いのと同じだと私は思います。

たとえば、世界大会で優勝するような腕力の持ち主も、駅の階段でベビーカーを押したお母さんが困り果てている時、見て見ぬ振りで通り過ぎるようでは、そんな腕力は無いに等しいのと同じでしょう。

才能や心の力というのは、人の役に立って始めて生きてくるものだと私は思います。

そして、子供にとって「成長」というのは、子供同士の関わりの中で、その子の力が発揮されてはじめて、本当に身に付くのではないでしょうか。

【メールマガジン『コラム子育て・家育て』より】

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