ピアノというのは不思議な楽器だ。
鐘の音、水の音、そよぐ風、夜のしじま。
地上に存在するあらゆる音はもちろん、
死、聖霊、悲しみ、希望。
目には見えないものまで音にして紡ぎ出す。
音には形が無い。
だからこそ変幻自在に響きを変え、聴く人の心にダイレクトに飛び込んでくる。
弦楽器が霊的な音を奏で、管楽器が天にこだまするように、ピアノは世界中の音を映し出し、心をふるわせる。
『ダイヤモンドの音がした』――
昔、ピアノの調教師を主人公にした『四季・奈津子』というドラマで、奈津子が初めてピアノの音を耳にした時の印象を、そんな言葉で表していた。
全ての中心である『A;アー』(ラの音)。
まろやかな『E;エー』(ミの音)。
『B;ベー』(シの音)にはきしむような響きがあるけれど、
『B♭;ベーフラット』には遠い秋のような懐かしさがある。
ダイヤモンドの音がしたのは、高い方のAだったか――
誰もいない冬の音楽教室で初めてピアノを聞いた奈津子は、大人になってからもずっと輝くような音色を追っていた。
私がピアノを弾き始めたのは、四歳の時だ。
でも本当の意味でピアノの弾き方を知ったのは、十五歳になってから。
それまではただ楽譜に書かれた通りに指を動かし、記号に従って音を膨らませたり、伸ばしたりするだけだった。
一応、曲にはなっていたけれど、そこに“私”は無かった。
『表現する』――
先生の口から何度その言葉を聞かされたかしれない。
「音を使って表現するの。分かる?」
うんうんと頷き、自分では目一杯、音を盛り上げてみせるけど、先生の言う“表現”からはうんと遠いらしく、
「あなたは曲を理解できるのに、どうしてそれを表現できないの」
と嘆かせた。
それを不思議と感得できたのが、十五歳の時。
高校で吹奏楽を経験するようになってからだ。
その頃、吹奏楽コンクールの地区予選に向けて、連日特訓に励んでいたのだが、一番難しいのが、指揮者のタクトを見ながら合奏することだった。
管楽器は、空気を吹き込んでから音が出るまで、0.0*コンマ秒の時間を要する。
しかし打楽器は、打てばすぐ音が出てしまう。管楽器と合わそうと思ったら、この0.0*秒の微妙な時間差を意識してアタックしなければならない。
初めて打楽器を手にした私には、その0.0*秒の感覚が分からず、何度も飛び出しては指揮者に叱られた。
友達に手伝ってもらって、何度も合わせる練習をしたが、その微妙なタイミングをなかなか体得することが出来ず、焦りは日に日につのっていった。
そして、総合練習が始まってから、一週間ほど経ったある日、指揮者の先輩が行った。
「タクトの動きが分かるか?」
「ハイ……なんとなく」
「タクトは見るものじゃない。心で感じるものだ。目で見て、合わそう合わそうとするから、君だけ音がズレてしまうんだよ。
音は呼吸。呼吸は気持ち。
タクトを感じて、皆と呼吸を合わせられるようになれば、自然に良いタイミングで音が出せるようになるよ」
『音は呼吸』――
その言葉を何度もかみ締めながら、私は楽器と向かい合っていた。
曲の感じは分かるけど、それを技術で表現できない、もどかしさが心を覆っていた。
そうして息の詰まるような重圧感を抱えながら、気晴らしにピアノに向かった時、不思議と私は呼吸を吐き出すことを知ったのだ。
弾いたのは、ドビュッシーの『月の光』。
水面に映る月の光が、音にとけ出したような透明な響きが好きで、いつもしんと静まり返った夜をイメージしながら弾いていたもの。
音が、水の音にも、光の粒にもなるのを知ったのは、この曲を聴いてからだ。
いったい音にはどれほど無限の色彩があるのだろうと、いつもうっとり聞き入っていた。
その日も、私は水面に跳ねる月の滴や、夜の静寂を想いながらピアノを弾いていたが、ある時、ふっと指揮者のタクトが脳裏に浮かび、音を導き始めた。
指先ではなく、身体のもっと奥深いところ――己の源泉から音が溢れ出すような感覚だ。
いつしか私は自分が指を動かしていることも忘れ、ただ音を紡ぎ出すだけの、別の何かになっているような気分だった。
しまいに自分の奏でる音に感電したみたいに弾くのを止め、しばし茫然と鍵盤に見入った。
今のは何だったんだろう――?
まるで高みに舞い上がり、ただただ音だけが広がる世界――心象に溶け込み、音と霊を繋ぐ為の道具になったみたい。
その時、私はなんとなく理解したのだ。
音に、自分の霊を注ぐことを。
音の向こうにいる作曲家の魂と、自分の魂を重ね合わせ、一つの音楽を作り出すことを。
音楽における表現。
それは一つの媒体になることだ。
心象を形に表し、音として奏でることだ。
人の目に映る世界で、同じものはこの地上に一つとしてない。
なぜなら、私たちは心を通じて世界を見ているからだ。
一人の作曲家がその心象を音に描く。
演奏家は、楽譜の向こうに広がるその霊を感じ、自らの肉体を使って、再びこの世に現わす。
自分の内なる世界を音に織り交ぜながら。
その人の目に映る世界が唯一無二であるように、人の奏でる音楽も同じものは二つとして存在しない。
そして、すべての演奏は一瞬で過ぎ去り、二度と同じ音色は響かない。
だが、幾重にも広がる響きの中に、私たちは永遠に生き続ける作曲家の魂を感じ取ることができる。
ピアノは輝かしい音の結晶であり、作曲家の霊と現し身を結ぶ霊媒師でもある。
黒色と白色の高雅な姿を誇りながら、今日も何処かで絶対無二の世界を紡ぎ出している。