ド・ゲメネ公爵のだまし討ちとオスカルの怒り ~人間としての怒りが世の中を変える

ベルサイユのばら 第2巻 『栄光の座によいしれて!』』  ド・ゲメネ公爵は、空腹のあまり、パンを盗んだ幼いピエール坊やを背中から騙し討ちにする。その場に居合わせたオスカルは、ド・ゲメネ公爵に決闘を申し込む。エピソードに基づくコラムです。

ポーランドには、第二次大戦下におけるユダヤ人虐殺の史実を伝える『オフィシエンチム戦争博物館』があります。日本では『アウシュビッツ』というドイツ名の方が分かりやすいかもしれませんね。ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害は、ポーランドのみならず、欧州全土に及びました。その中心となった施設は、当時のままに残され、史上最大の犯罪を今に伝えています。

初めてオフィシエンチム戦争博物館を訪れた時、あまりの残酷さに、「これは現実にあったことなのか」と茫然とするばかりでした。一人二人ならともかく、一度に数千人も殺戮するような、桁外れの暴挙に対しては、かえって想像力が働かなくなるからです。

その酷さを痛切に感じたのは、自分に子供が生まれてからでした。収容所内には、犠牲になった子供たちの展示室があるのですが、むごたらしい写真の側には、ガス室に送られる前に身に付けていたであろう手編みのおくるみやベビー服、人形の頭や、大人の掌より小さなベビーシューズなど、たくさんの遺物が展示され、壮絶な史実を物語っています。絶滅収容所では、労働力にならない子供やお年寄り、妊婦や病人などは、囚人移送列車を降りた時点で選別され、ガス室に送られていたのです。

私も子育てしながら、つくづく思いますが、子供というのは本当に何も知りません。自分のしていることも、大人の思惑も、この世にどんなルールが存在するかも分からず、食べたい時に食べ、泣きたい時に泣き、彼らなりに小さな世界を精一杯生きているという印象です。

そんな無邪気で可愛い子供をガス室に送り込み、まるでネズミか害虫みたいに毒ガスをかがせて殺戮するなど、どうやったら思いつくのか――。

そう考えた時、絶滅収容所の残酷さが初めて生々しく感じられ、戦争というものに強い憤りを覚えずにいられませんでした。そして今、自分が平和なポーランドに暮らしていることや、我が子が戦争や飢餓の恐怖からとりあえず離れた所で、のびのび暮らせることに、感謝の念を抱かずにいられなかったものです。

「ベルばら」では、ひもじさのあまり、ド・ゲメネ公爵の馬車からお金を盗み出したピエール坊やを、公爵が後ろからだまし討ちにする場面があります。一度は許しておきながら、幼い子供の背中に向かって、容赦なく銃弾を浴びせるのです。

その様を間近で見ていたオスカルは、今にもその場に飛び出して、公爵につかみかかりたい衝動に駆られますが、「よせ、相手は公爵家だ、どうしたってかなうわけがない」とアンドレに諭され、一度はその場を離れます。

しかし、国王夫妻の晩餐会でド・ゲメネ公爵と再会したオスカルは、「女の分際で連隊長などと、かたはらいたい」と侮蔑した公爵に対し、「まだものの善悪もわからぬ子どもを背中からピストルでだましうちにするような男がいっぱしに公爵などとは、こちらもかたはらいたい」と切り返し、決闘騒ぎになります。

幸い、王妃のとりなしによって、オスカルは謹慎処分で済みますが、それまで貴族社会しか知らなかったオスカルが、庶民の置かれた現実や階層の違いを垣間見た瞬間でした。d

私がオスカルに惹かれる理由の一つは、相手が誰であれ、正々堂々と自分の怒りを表明できる点です。「怒り」というと「悪いこと」と考える人も多いですが、不満や激情と異なり、自己の信念に支えられた怒りは、人間としての誇りの証しに他なりません。オスカルが若い女性に支持されるのも、怒るべき時に怒り、またそうした自分を恥じない強さがあるからではないでしょうか。

人間としての怒りは、絶滅収容所やド・ゲメネ公爵のような暴挙に対抗し、世界を変える原動力になるものです。

いつの時代に生まれても、オスカルは怒りや疑問をうやむやにせず、『自分の思想のためには命もかける(注1)』ような生き方を選んだのではないでしょうか。

(注1)
「自分の思想のためには命もかける」という言葉は、オスカルがフェルゼンへの想いを断ちきる為に、ドレス姿で舞踏会に現れた時、フェルゼンがそうとは気付かず、「あなたにたいへんよく似た人を知っているのです」と、オスカルの印象を語る場面に登場します。オスカルの人生を象徴するような一言です。

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第2巻では、ロザリーとジャンヌの生い立ちも描かれ、それまで貴族社会にこもっていたオスカルがロザリーとの交流を通して、庶民との接点をもつ過程が描かれています。

ルイ15世が制御し、国王が替わっても、庶民の暮らしは貧しいまま、一体、我が国はどうなっているのか……という中でのエピソードです。

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第2巻『栄光の座によいしれて!』では、ルイ15世が崩御し、若くして即位したルイ16世とマリー・アントワネットの運命、地位と権力に溺れ、賭け事やお芝居に夢中になるマリーの暮らしぶり、ポリニャック夫人らを贔屓して、他の貴族との関係が悪化する過程などが描かれています。マリーとフェルゼンの恋がメインです。

ベルサイユのばら(2) Kindle版
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この投稿は、優月まりの名義で『ベルばらKidsぷらざ』(cocolog.nifty.com)に連載していた原稿をベースに作成しています。『東欧ベルばら漫談』の一覧はこちら

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