ふと目に入る広告や新聞の片隅の記事も、心を傾けてみれば、いろんな気付きがある。
情報の海から『運命の一滴』を拾い出すのは奇跡のようなもの。
だが、探し求めれば、いつかは巡り会うことができる。
現代は『超』が付くほどの情報化社会で、GoogleやSNSで検索すれば、何でもすぐに分かるけども、人生を変えるほどの情報にはなかなか巡り会えないものだ。
「もっと稼げる」「もっと痩せる」みたいな文言も、たいていは煽り文句だし、その分野で一流とされる人の考えが必ずしも正しいとは限らない。
むしろ、紙面の小さな記事や、たまたま出会った人の何気ない言葉に、より多くのヒントを得ることがある。
情報を活かすも、殺すも、突き詰めれば、本人の知性や感性の問題で、誰が、どのように役立つことを言っても、響かない人の心には響かないし、分かる人には何も言わなくても分かるものなのだ。
では、そうした知性や感性はどこから来るのかと問われたら、第一には目的意識、第二に謙虚さ、第三に飽くなき情熱と思う。
目的意識というのは、「起業したい」「音楽家になりたい」という目標とは異なり、「どういう人生を生きたいか。その為に何を為すべきか」という明確なビジョンと手立てを指す。
漠然と起業したい、音楽家になりたいと思い描いていても、動機として弱すぎる。
起業したいとしたら、「この事業を通して、農業者をサポートしたい。農業を充実して、豊かな社会を作りたい。その為に、何が必要で、いつまでに何をすべきか」という道筋がはっきり見えていることが肝要だ。漠然と地位や肩書きに憧れても、それを手に入れた途端、満足して、道を見失う。
音楽家も同様。肝心なのは、自分の音楽を通じて、何を伝えたいか、どんな人生を生きたいかという、明らかな展望だ。漠然と音楽に憧れても、個性は育まれない。
情報は、こうしたビジョンや手立てが明確な人の感性に引っ掛かるものであり、漠然と「起業したい」「音楽家になりたい」と憧れるだけだと、「100万円で自分の店がもてます」「50万円で音楽家を養成します」みたいな話に易々と絡め取られるだろう。
いわばビジョンは登山における地図と同じ、人生は「どの山に登りたいか」と自身に問いかけるところから始まる。
山小屋の情報も、天気予報も、ルートが明確な者に初めて役立つものであり、漠然と登山に憧れるだけで、「何を、どのように」という道筋を持たないものには、どんな有益な情報も紙のチラシでしかない。
第二には、謙虚さが大切だ。
あるいは、柔軟性と置き換えてもよい。
「誰の言うことなら聞く」「誰の言うことは興味ない」という態度では、目の前に有益な情報があっても、自分から排除してしまうので、役には立たない。
また、目の前の情報が、「自分の価値観と合わない」「気持ちが傷ついた」といった理由で、一方的に退けるのも、有益なものから遠ざかる原因となる。
謙虚さとは、あらゆるものに心が開いていること。
いったん、自分の思い込みや知識をゼロにして、吟味する器の大きさを言う。
謙虚さを欠けば、誰の、どんな言葉も響かないし、ひたすら無駄なトンネルを掘り続ける暗愚に陥る恐れがある。
第三に、情報を求める情熱や貪欲さが不可欠なのは言うまでもない。
ちょっと気に入らないことがあると、すぐに止めたり、見切ったり。
あるいは、少し得ただけで、全てを得たような気分になる人もある。
そういう人は、ちらと見かけた文鳥を、幻の青い鳥と思い描いて、つまらぬ事に全財産を突っ込んだりするものだ。
運命と呼ぶにふさわしい情報に巡り会うには、掘って、掘って、掘り続ける根気と執念が不可欠で、それと分かる人にしか分からないものだ。
行き交う情報は多ければ多いほどいいが、本当に活かせる人は稀で、『運命の一滴』とも言うべきものに巡り会うのも、それ以上に稀少で、果てしないものである。