この時期になると、人生の恩師のことをよく思い出す。
何故なら、年末に亡くなったからだ。
多分、あちらは、私に『一生の恩』になるような事をしたとは思ってないだろうし、小さな親切心に過ぎなかっただろう・・とも思う。
私があまりに真剣というか、必死だったので、放っておけなかった――まあ、そんなところ。
何が相手にとって一生の恩になるかなど当人にも分からないし、何年、何十年と経ってから、その重さに気付くこともある。
もし、恩を施す前から、「これがお前にとって一生の恩になるはずだ!」と思いながら施す人があるとしたら、それはとんでもない勘違いだし、相手には重荷でしかない。
吉田秋生の漫画『カリフォルニア物語』にも、同居人の事故死に際して、「オレはあいつに何もしてやれなかった」と嘆く主人公のヒースに、先輩格のインディアンが「何が救いになるかなんて、本人にも分からんさ」と慰める場面があるが、まさにその通り。
何が助けになるかなど、本人にも分からないし、まして、施す側がこれと定めて押しつけるものでもない。
が、分からないからこそ、人生のちょっとした触れ合いが相手にとっては一生の思い出となり、大恩ともなる。
それが人生の機微というものだろう。
何が、どう助けになるかは誰にも分からない。
だからこそ、一生の恩人を持てた人は幸せだし、誰かにとって一生の恩人になれた人は、もっと幸せと思う。
ところで、あなたは人に感謝されるような事をしましたか?
いえいえ、その問いかけ自体がナンセンス。
だって、何が救いになるかなど、本人にも、誰にも、分からないものだから。