彼は非常に高いプロ意識をもって仕事に取り組み、器用にマニピュレーターやサンプラーを使って、学術的に価値のある生物や堆積物のサンプルを数多く持ち帰った。動きが不安定な中、対象にぎりぎりまで近付いて、熱水活動や泥火山のビデオ撮影もやってのけた。
第2章 採鉱プラットフォーム
心の底から海を愛し、一つ一つの潜航に己の矜持を懸ければこそ、異例の早さで潜航回数一二〇回を達成したのだ。
本作の主人公は、深海調査の潜水艇パイロットです。
商船学校の特別研修で、海洋調査船に同乗し、有人潜水艇『プロテウス』のミッションを間近に見たのがきっかけです。
それまで、深海というのは、真っ暗な死の世界だと思っていました。彼の父親が故郷の大洪水で命を落とし、海の彼方で行方不明になっていたからです。
しかし、プロテウスの水中カメラを通して目にした深海は、惑星のダイナミズムと不思議な生き物で満ちた生の世界でした。
彼は潜水艇パイロットになることを志し、それが彼の人生を大きく変えていきます。
宇宙開発に比べて、深海調査や有人潜水艇など、海のことは、ほとんど注目されることがないですが、少しでも興味を持ってもらえたら幸いです。
深海調査と潜水艇パイロットについて
パイロットの使命
日本でも、国外でも、宇宙飛行士のことはよく話題になりますが、有人潜水艇のパイロットのことは、ほとんど話題になりません。
NASAで活躍する日本人宇宙飛行士やロケット、人工衛星など、宇宙開発に関する動向はよく伝えられますが、水深数千メートルに挑む有人潜水艇『しんかい6500』とそのパイロット、水中無人機や自律型探査機など、海洋調査の事は知らない人の方が多いのではないでしょうか。
現在、水深6000メートル級の有人潜水艇を所有するのは、アメリカ、フランス、ロシア、中国、日本の五カ国にだけです。めざせ水深1万メートル・・という話もありますが、スポーツ競技のように、一番深い所まで潜れるのが一番優秀という訳ではなく、深海調査の意義は別の所にあります。それ以前に知るべき事がたくさんあって、何が何でも1万メートル、という訳ではないんですね。
また、ドローンに代表されるように、空も、海も、無人化の技術が飛躍的に進み、深海調査も例外ではありません。現在は、複合ケーブルを介して操作する有索無人機(ROV)が主流ですが、いずれ、イルカのように、自在に深海を動き回る自律型探査機(AUV)がさらなる進化を遂げて、無人で、広範囲に調査できるようになるでしょう。
そうなると、多くの人手とコストを要する有人潜水調査は需要がなくなるように感じますが、人間の眼とカメラは異なりますし、その場その場で臨機応変に対応できるのは、有人の方がはるかに優ります。
本作では、「コスト削減の為」に有人潜水艇プロテウスが廃船になるというエピソードが登場しますが、現実にはそうならないと思います。場面によって使い分け、最初に無人機で予備調査をじっくり行い、ポイントを絞り込んで有人潜水艇を投入する、というような、より効率的な調査が可能になるのではないでしょうか。
ただ、どれほど技術が向上しても、深海調査に用いる有人潜水艇は、海軍の原子力潜水艦みたいに、何十日も、何百キロも、連続して潜航するパワーはありませんから、運用の難しさは、将来も変わらないと思います。
それでも有人潜航が求められるのは、人間の目と感性でしか見出せないものがたくさんあるからです。
フランスの潜水艇ノーチラス号と支援船
本作に登場する『潜水艇プロテウス』のモデルは、フランス国立海洋開発研究所(IFREMER)の潜水艇『Nautile(ノーチラス号)』と支援船『Le Pourquoi Pas?』です。
日本の「しんかい」のオペレーションに比べて、ずいぶん荒っぽい印象がありますが、世界の先駆的存在です。
クロムイエローのボディカラーが綺麗。
こちらはミッションの過程を紹介する動画。
フランスの誇る『Le Pourquoi Pas?』
海洋調査船らしく、内部は「洋上の研究所」のよう。
こちらは、フランス国立海洋開発研究所(IFREMER)の全容が分かる2分動画。
フランスも大西洋、地中海、北海(やや遠いが)に面し、世界屈指の海洋大国で知られています。
海軍では英国の方が有名ですが、海洋調査では仏国が有名なんですね。英国も四方を海に囲まれて、海洋大国というイメージがありますが。
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上記のエピソードは『第2章 採鉱プラットフォーム』に収録されています。