底辺にしか分からぬ感情がある 映画『モンスター』(2003年) シャーリーズ・セロン主演

自己責任か、境遇か。

シャーリーズ・セロン演じる連続殺人犯アイリーン・ウォーノスは一見、無節操・無計画に見えるが、底辺には底辺の苦しみがあり、自己責任では割り切れないものがある。アカデミー賞に輝いた捨て身の熱演を画像付きで解説。

「みんな私のことを、生き残ることしか考えないクズと思ってる」

「わかるよ、君の気持ちが――君が生きるためにしていることは、好きでやってることじゃない。置かれた環境が違うんだ」

「その通りだよ。私には”選択肢”がなかった」

バーで友人と語り合う台詞が階層社会の苦しみを物語っている。現代社会の病巣を描いた力作。

この記事はネタバレを含みます。未見の方はご注意下さい。

↑ 凜としたセロンのイメージしかないファンが見たら、相当にショックを受けそうなルックス。
これをまた美しい体型に戻せるところが、ハリウッド美容界の凄いところ

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底辺の女 アイリーン・ウォーノス

『底辺』という言葉は日本でも言われて久しいが、美人女優シャーリーズ・セロンが10キロ以上も体重を増やして演じた、実在の連続殺人犯アイリーン・ウォーノスもまさに底辺に属する女性だ。

Wikiによると

『アイリーンによれば、彼女は祖父から肉体的、性的な虐待を受けた。また祖母はアルコール使用障害であった。彼女はかなり若い頃から複数の異性と性的な関係を持ったと語っており、その中には兄のキースとの近親相姦も含まれていたという。14歳で妊娠した彼女は家族から縁を切られ、1971年にデトロイトの病院で子供を出産。その子はすぐに養子に出された。アイリーンは森の中の廃車の中で暮らすことを余儀なくされるが、後に未婚の母親たちのための施設に送られた。1971年に祖母が亡くなった後、アイリーンは学校を辞め、娼婦として生計を立てるようになった。1974年、飲酒運転中に車から銃を発射し、コロラドで逮捕された』

その半生は決して裕福でも通常でもない。そして、そのまま大人になり、友人の持ちガレージで生活するなど、メチャクチャな生活を続けていた。それでも女は身体を売れるだけいい、と思う人もあるかもしれないが、売り物になるのは、10代、20代の、若くてキュートな間だけ。

女性も30代、40代と年齢を重ね、シミだらけ、贅肉だらけのオバサンになれば相場も下がり、買ってくれる男といえば変態レベル……という地獄になる。

アイリーンも、どうにか食いつないでいたが、ある時、バーで、同性愛者のセルビー(クリスティーナ・リッチ)と出会う。二人はその場で意気投合し、瞬く間に恋仲に。

地元で問題を起こして、父親から勘当されていた世間知らずのセルビーは、「あんたと一緒に居たい」というアイリーンの願いに頷き、二人は車を乗り継いで逃避行に出る。

とはいえ、何日もモーテル暮らしが続くわけがなく、二人はたちまち険悪に。

そこで、アイリーンは、売春から足を洗い、まともな仕事に就くことを決意。スーツに身を包み、法律事務所など、あちこちのオフィスを面接して回る。

しかし、まともな職歴も無ければ、資格や技術があるわけでもない。アイリーンはどこへ行っても胡散臭い目で見られ、揉め事を起こす。

結局、再び、身売りせざるを得ず、アイリーンは国道沿いで客を拾っては相手を殺害し、金と車を巻き上げるようになる。

やがて、二人の足取りは警察の知るところになり、もう逃げられないと悟ったアイリーンは愛するセルビーを実家に帰し、自らの身の振り方を考えるが……。

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アイリーンの転落は自業自得なのか?

アイリーンの生き様は、一部の人には、自業自得にしか見えないだろう。

どんな境遇に生まれようが、どれほど苦労しようが、皆が皆、娼婦やギャングになるわけじゃない。努力しないお前が悪い、と。

本作でも、セルビーのおばがこう言って聞かせる。

『あの女が好きなのはわかるし、頼ってるでしょうけど、生まれつきの落伍者よ。ニガーと似てるわ。彼らが悪いんじゃないの。私は差別主義者でも何でもないわ。でも彼らは常に選択を誤るの。そして、そのツケを払うのよ。あなたも同性愛者として、カノジョみたいに安易な……』

『彼女は苦労してきたのよ』

みんな苦労を抱えながらも向上するのよ。でないと世の中は娼婦や麻薬中毒者ばかりになる』

それがまともな感覚。

社会の大多数をしめる、真っ当な考え方だ。

だが、人も底辺まで落ちれば、考えも変わる。

普通の人々の「明日の不安」と、底辺の「明日の不安」は、内容も切迫感も異なるからだ。

「不安」といっても、とりあえず冷蔵庫に食べる物があり、年内まで続く仕事もある。家賃も払えるし、身分も保障され、家族もある人はまだいい。

貯金もない、仕事もない、住む場所もなければ、保証人になってくれる人もない……となれば、この社会では到底生きていかれない。

それこそ、盗み、欺し、住まいと食べものを得るためなら何だってやるような状況まで追い込まれたら、努力だの、向上心だのと言っておれなくなる。たとえ、そこそこに社会保障制度が整っていたとしても、だ。

だからアイリーンは、たった一人の友人トムに言う。

「みんな私のことを、生き残ることしか考えないクズと思ってる」

「わかるよ、君の気持ちが――君が生きるためにしていることは、好きでやってることじゃない。それしか方法がないからだ。君が今感じているのは罪の意識だ。でも、君の力ではどうしようもない。俺たちは戦争から戻り、君と同じことを感じ、何人もが命を絶った。誰も理解しない。今までも、これからも。置かれた環境が違うんだ。」

「そう、環境が違う。その通りだよ。私には”選択肢”がなかった。」

「そうとも。生きる術だけ。――生きなくては」

「そうだね。そのとおり」

それでも生きる。

生きていく。

だが、こんな状況になっても、人がこの社会を生きていかねばならない理由とは、何なのか。

生物としての本能か。

それとも、人間としての矜持か。

アイリーンの「負けやしない」は、理不尽な運命への抵抗にも聞こえる。

たまたま生まれ落ちた場所が「離婚家庭」「精神異常者の父親」「小児性愛者の祖父とアル中の祖母」というだけで、死ぬまで底辺に打ち付けられ、這い上がる術も持てないのだから。

「私は神さまに対して何も恥ずかしいことはない。あんたが属する世界のことは百も承知さ。みんな偉そうに教えてる。”汝、殺すなかれ”って。でも、現実は甘くない。身体を張って生きている。神さまの望みが誰に分かる? 人は日々、殺し合ってる。何のために? 政治? 宗教? そいつらは英雄? 違う。でも、殺しは私にとって方法なんだよ。暴力男やレイプ魔は許しておけない」

「でも、それは一人だけ。大勢じゃない」

「この私に他のやり方があると思う? 私は悪人じゃない。すごくいい人間なんだ。悩むことなどない。私たちのような人間は虐げられる運命だけど、負けやしない。わかったね」

そんなアイリーンが意を決して面接に臨んでも、相手にしてくれる人などない。「ビーチ・パーティーで散々遊んだ女が、勉強した人間と同じになれると思うな」と侮蔑され、行く先々で、自分は普通の暮らしも望めない底辺だと思い知らされる。

医学を勉強したこともないのに、獣医になると言ってみたり。

何のスキルもないのに、仕事熱心をアピールしてみたり。

傍は「真面目に努力しろ」と言うけれど、一体、何を、どう努力すればいいのか。

一般人なら誰もが知っている常識も、アイリーンにとっては無縁の世界で、社会に対する感覚からして違う。

そんな相手に正論を説いたところで、劣等感を刺戟され、余計で社会に対する恨み辛みをつのらせるだけだ。

そうして、いよいよ行き詰まったアイリーンは、親切に手を差し伸べようとしてくれた人まで撃ち殺してしまう。

こうなってしまえば、二度と人の道に戻れないと思われたが、そんなアイリーンにも深い愛があり、贖罪の気持ちもあった。

警察の追跡を察知したアイリーンは、前からの約束通り、セルビーの為にバスの切符を買い、どん底から逃そうとする。

この場面のシャーリーズ・セロンの演技は圧巻。アカデミー主演女優賞も納得の出来映えだ。

「私は愚かな過ちをおかしてしまった。もし誰かが手を差し伸べてくれたら……あんたが助けてくれるなら、どうか助けて……どうしても自分が許せない。私のしたこと、全部……」

シャーリーズ・セロン モンスター

そして、アイリーンは警察に逮捕され、死刑宣告をされる。

法廷でも、アイリーンは毒づくが、誰が彼女に言えるだろう。

不幸な境遇に生まれても、努力すれば幸せになれる、と。

実際、努力だ、生き甲斐だと思えるうちは、まだ救いがある。

なぜなら、努力するにも、時間とお金が必要だからだ。

でも、いよいよ全てを失い、明日の生活も立ちゆかない状況になったら、人はどうやって努力し、救いを求めればいいのか。

アイリーンの言動を見ていると、この世には、心の善悪も、能力もなく、ただ境遇の違いがあるだけ――と思い知らされる。

人間が環境を作るのか。

それとも、環境が人間を作るのか。

こんな暮らしでなく、本当の人生を送るんだ

というアイリーンの台詞が重い。

【コラム】 『底辺と自己責任』に関する考察

職業柄、真性ド底辺の住人と正面から向き合うと、この世のことは「紙一重」という事がよく分かる。

それまで、商売も順調で、金も女も望みのままだった人。

トントン拍子に出世し、この世は自分のものみたいな人。

だが、この世のことは、紙一重。

ある日突然、一家の大黒柱が病気で倒れたり。

自分自身が事故で大怪我を負ったり。

順調に見えた会社が倒産したり。

身内が愚かな振舞をして、賠償責任を問われたり。

一生遊んで暮らせる資産家でもない限り、庶民の人生に「安泰」などという言葉はないし、今イキってる人だって、十年後にはどうなるか分からない、

不幸は、ある日突然やって来て、普通の暮らしを粉々にしてしまう。

そして、何もかも失われた時、人は初めて気付くのだ。努力も、向上心も、お金があればこそと。

どんな人も、いつか老いて、病気になる。

女性も妊娠して、子供を産めば、退職せざるを得ない状況に追い込まれるし、本人にどれほど能力があっても、家庭やもろもろの事情で、仕事も貯金も失うこともある。

たとえ放蕩三昧が過ぎたとしても、「こんなはずじゃなかった」は誰の身の上にも起こり得ること。

それらすべて「自己責任」で切って捨ててしまうのは、あまりに乱暴ではないだろうか。

人を責めたところで物事は好転しないし、本人の努力でどうにかなるものなら、みな努力するだろう。

「自己責任」「自業自得」の言葉が浮かんだら、今一度、社会の教科書を開いて、考えて欲しい。

会社が利益追求のために存在するなら、政治は何のために有るのかを。

DVD紹介

アイリーン 「モンスター」と呼ばれた女 [DVD]

こちらはアイリーン・ウォーノス本人にインタビューをしたドキュメンタリー映画。

YouTubeにも処刑前日のインタビュー動画があります。歯抜けの顔でにーっと笑うのが異常者みたいだけど、受け答えもはっきりして、ちょっとエキセントリックな普通の人の印象。ただ、処刑前日にこんな風に話せるものかと思うと、やはり、罪の意識が希薄というか、、、社会のせい、環境のせい、と腹の底から考えてそう。

英語ですが、7分ほど。 【Aileen Wuornos gone insane?

アイリーン 「モンスター」と呼ばれた女 [DVD]
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アダムス・ファミリー

セルビーを演じた女優さん、どこかで見た記憶があるのに、なかなか思い出せず、視聴後、キャストを見て初めてわかった。

アダムス・ファミリーの女の子なんですね。こんなに大きくなったんだ。 

クリスティーナ・リッチ(Wikiで見る)

クリスティーナ嬢の演技もよかったけれど、セルビーがなんとも腑に落ちないキャラでした。

なんで、君は働かないの??  

面倒は、全部、アイリーンに押し付けるの?? 

という印象がなきにしもあらず。

ただ、セルビー自身、常識やコミュニケーション力が欠落したようなところがあるので、社会性においては、まだアイリーンの方が上向きだったのかもしれないですね。

「アダムス・ファミリー2」のレビューはこちら。
現代の魔女狩りとキャンセルカルチャー 映画『アダムス・ファミリー 1 & 2』(1991年~1993年)

アダムスファミリー 2【字幕版】
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個人的には初作の「アダムス・ファミリー」の方が好きですが、このシリーズはカルト的な人気があるにもかかわらず、動画配信で上がってこないですね。著作権的に難しい問題があるんでしょうね。

誰かにこっそり教えたい 👂
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