2005年2月4日、私の現住地から少し離れたプシェミシルという町で、The Boomの宮沢和史さんのコンサートがありました。
(その時の模様は、こちらで無料配信されていたようです。
(現在はリンク切れ)
このコンサートは、宮沢さんのヨーロッパツアーの一環として行われたもので、TUK TUK CAFE日記さんの記事(リンク切れ)によれば、
首都のワルシャワではなく、プシェミシルとヴロツワフという町をポーランドの公演地に選んだのは、2003年にポーランド・ワルシャワでライヴがあった際に(僕も行った)、宮沢和史の「ポーランドは広くて、美しい町がたくさんある。
そういった町を今度はバスでまわっていつかツアーしたい」という発言があり、その後、「自分たちの町に来てほしい」という主催者がプシェミシルとヴロツワフに現れたから。
こういうのってすごくうれしいことです。
だって言葉も文化もまったく違うポーランドでですよ。
私も、最初、「プシェミシル」と聞いて、「冗談やろ?? うちより、もっと小さい町やん」とビックリしたものです。
私の住まいもたいがい小さいですが(日本の大都市やワルシャワ・クラクフあたりに比べて)、プシェミシルはさらに輪をかけて地方色が濃い所です。(ウクライナの国境沿い)
ポーランドで最も貧しいと言われるこのエリアには、日本のアーティストはおろか、ポーランドの有名人でさえ来やしません。
そもそも、有名ミュージシャンを招いての音楽コンサートなど、年に一度開かれるかどうか――みたいな地域なのに、「本当にそんな所で、日本でも有数のミュージシャンがコンサートなどやれるのか??」と不安を覚えたものです。
私は、関係者筋からコンサートの招待状を頂いて、雪の積もる中、生後六ヶ月になって間もない息子をベビーカーに乗せて、夫とプシェミシルのコンサート会場に出掛けました。
そして、そのライブ環境は想像を絶する厳しさでした。
日本の有名ミュージシャンのコンサートにもかかわらず、会場は、昭和50年か60年代の木造体育館みたいな所で、まともな座席や音響設備もなく、まるで高校生のロックバンドが文化祭で演奏するようなステージだったからです。
その上、観客も、団体でやって来た地元の小学生や、会場の飾り付けを手伝ったポーランド軍のお兄さん方、好奇心と暇つぶしで立ち寄ったようなおじさん、おばさん、デートがてらの若いカップル、共演のポーランド人のアイドル歌手が目当ての女の子など、「宮沢さんの歌が聴きたい」というよりは、興味本位の人が大半で、一言で言えば、「何も和分かってない人」の集団だったんですね。
まるでカラオケ大会でも見学に来たような外国人観客を相手にライブなんて、私が有名人なら間違いなく逃げ出します。
人によっては、激怒するかもしれない。
「日本有数のミュージシャンであるこのオレ様に、こんな所で歌わせるつもりか」ってね。
本当に大丈夫かしら、宮沢さん――と、私の方が泣きそうなほどでした。
そして、予想通り、コンサートが始まっても、観客は何のことだか分からず、ポカーン状態。
暇つぶしのおじさん、おばさんは、音量に圧倒されるようにボーっとしているし、若い子は隣人とペチャクチャお喋りしたり、携帯電話で連絡を取り合ったり、コンサートそっちのけで友達同士ではしゃいだり、宮沢さんの歌なんて完全にそっちのけ。まるでBGM状態です。
ステージの上で、宮沢さんは一所懸命に歌っておられましたが、これは本当に「キツい」と思いました。
言葉の通じない異国でのコンサート。
観客の大半は、宮沢さんの事などまったく知らなくて、おまけにロックコンサートなど10年に一度、見るか見ないかみたいな、場慣れしていない人ばかりです。(まさに村のカラオケ大会)
宮沢さんほどのベテランでも、いくら歌に集中しようと思っても、会場の気抜けした雰囲気は十分伝わるでしょうし、「日本では名の知れたアーティスト」というプライドがあれば、こうまで軽く扱われると辛いだろうと思います。
宮沢さんも、ある程度、予想はされていたでしょうけど、あまりにも日本の観客とはかけ離れた雰囲気に、大きな戸惑いを感じられたのではないでしょうか。
それでも必死に歌い続ける宮沢さん。
見れば見るほど気の毒で、周りのお客さんの肩を叩いて、「日本からわざわざ来られたんですよ、ちゃんと聴いて下さい」と言いたいぐらいでした。
それでも、「さすがプロだな」と感じたのは、これだけ観客のノリが悪くても、いっさい手抜きはされなかった点でした。
ロックコンサートに限らず、バレエでも、演劇でも、ノリが悪ければ、全然やる気を出さなかったり、露骨に不機嫌な顔をしたり、名の知れたプロでも「演ってやってる」みたいなアーティストは少なくありません。(→ロシアの有名バレエ団、お前のことダ)
何万円もする高額チケットを買わせたくせに、口パクみたいな歌を一時間ほど歌っただけで引っ込んだ、超有名ジャズシンガーのライブも、私はいまだに恨みに思っています(`ヘ´)
だから、宮沢さんにしても、「このオレ様が、なんでこんなボロっちい体育館みたいな所で、なんで田舎者を相手に気合い入れて歌わなあかんねん」と、手抜きしようと思えばいくらでも手抜きできたでしょう。
またそうされても、誰も文句は言えないライブ環境でした。
だって、日本の有名ミュージシャンなのです。
でも、「宮沢さんは凄い」と思ったのは、たとえ相手が無関心でも、ノリが悪くても、観客は観客として真摯に受けとめ、きっちり舞台を務められたことでした。
短気なミュージシャンなら、途中でやる気をなくして、ダラけそうなのに、宮沢さんは最後の最後まで手抜きせず、なんとか自分の歌を届けよう、異国のお客さんに楽しんでもらおうと、一所懸命に頑張られたのです。
その姿を見ながら、私は美輪明宏さんの無名時代のエピソードを思い出しました。
美輪さんが地方でドサ回りをしていた頃、貧しい村に招かれて、公民館で歌うことになったそうです。
公民館といっても、今にも床に穴が空きそうなボロボロの建物で、客席は、煎餅布団が無造作に並べられた畳の間、集まったお客さんの数はたったの4人で、さすがの美輪さんも泣きそうになったそうです。
いやいや舞台に上がり、だらだら歌い続けるうち、美輪さんはふとお客さんの表情に気が付きました。
たった4人の観客だけど、聴いている人は真剣で、それもお金を払って聴きに来ているのです。
そう悟った瞬間、美輪さんは、顔から火が出そうに恥ずかしくなったそうです。
「お客さんは、お金を払って来て下さっているのに、私は鼻歌みたいな歌を歌っている」と。
以来、美輪さんは、どんな小さな場所であろうと、お客さんが数人であろうと、絶対に手抜きをなさらなかったそうです。
プロの歌手のプライドがあれば、誰だって、一流のステージで、何千何万という熱狂的な聴衆を前に、王様のように歌う方が気分がいいでしょう。
でも、歌を聞きにくる人は――お金を払ってまでやって来る観客は――たとえ自分が何千何万の聴衆の一人に過ぎなくても、最高のものを期待します。
自分にとって、その歌手は、世界中でたった一人の価値ある人だからです。
プロならば――いやプロであるからこそ、
「狭い公民館だから」
「お客さんが10人しかいないから」
手を抜いていい、という理屈は通用しないのではないでしょうか。
私は、古びた体育館で熱唱する宮沢さんの姿を見ながら、宮沢さんも美輪さんと同じプロの精神をもった方だと痛感しました。
最初のドッチラケ状態から気持ちを切り替えるのは大変だったと思いますが、本当によく頑張られたなあ、と。
プロとしてコンサートを引き受けたからには、自分の名において成功させなければなりません。
まるで意味の分かっていない外国人の観客が、ざわざわ、がやがや騒ぎ立てる中、どれほどプレッシャーであったか、想像して余りあります。
世の中には、「プロのミュージシャンになりたい」「有名になりたい」という人がたくさんいますけど、この精神があるか無いかの差は大きいですし、好きな時に、好きな歌だけ、好きなようにやれるなら、誰だって喜んでやるのです。
歌いたくない時に、歌いたくない場所で、観客にそっぽ向かれながらも、ハイレベルの仕事をきっちりこなすから、「プロ」と言うのです。
「プロのミュージシャンになりさえすれば、みんなが自分の音楽を支持してくれる。好きなことを好きなようにやって、人気者になれる」というのは大きな勘違いです。
好きで始めたことも、義務や利益が絡めば、たちまち気が重くなるし、無責任にやっていた頃の伸び伸びした気持ちも失われます。
そこに酷評、ファン離れ、落ち目といったものを経験すれば、誰だってその場にしゃがみ込むでしょう。
が、あえて、その厳しさに身を置き、葛藤や不振や無理解と闘って、前に進み続けた人だけが、プロとして大成するのではないでしょうか。
たとえば、大阪あたりでは、JRの高架下やシャッターの下りた繁華街の一角などで、ガチャガチャ演奏しているストリート・ミュージシャンって、たくさんいますよね。
それを遠巻きに眺めて、「あんな事をやっても無駄なのに」と醒めて見ている人よりは、無視されながらも身体をはって頑張っている若い子の方が、私は大好きです。
ただ、見ていて思うのは、もう少し道行く人に語りかけるものがあってもいいんじゃないかな、と。
「俺の音楽は、解るヤツにだけ解ればいい」
「みんなに聞いて欲しいとは思わない。俺が満足すれば、それでいい」
みたいな子がけっこう多くて、精神的に引きこもっているような印象を受けることもしばしばです。(1990年代の話)
もしかしたら、道行く人に一心に語りかけても、拒絶されるのが怖いから、最初から「オレ様の世界」に閉じこもっているのかもしれません。
だとしても、、目の前をこれだけの人が歩いているのだから、もうちょっと外に向かって演奏すればいいのにな、と。
自己満足で十分なのかもしれませんけど、それなら、こんな人通りの多いところでガチャガチャやらず、人気のない川原か公園でやればいいのですよ。
でも、そうじゃない。
「解ってもらえなくていい」と引きこもりながらも、やっぱり人通りの多いところでやるのは注目されたいからで、それなら、道行く人の無関心や拒絶と正面から闘えばいいのに……と、私なんかはちょっと意地悪く思ってしまうのです。
そうした点でも、宮沢さんは本物のプロ精神をもった強い人だと感じました。
宮沢さんのプシェミシル公演をお手伝いされた在住者の方が、エッセーの中で、
「宮沢さんは、無関心な観客を前に、歩行者天国時代のことを思い出されたんじゃないかな。道行く人に語りかけるような、そんな気持ちです」
といった事を書いておられましたが、プシェミシルのステージも、そんな感じだったのかもしれません。
そんな風に、日本を代表する有名ミュージシャンになっても、大勢がいつも拍手喝采してくれる訳ではなく、無視される時は無視されるものです。
それでも、自分の音楽を信じ、「お客さんに楽しんでもらう」という気持ちでベストを尽くす――という点で、やはり宮沢さんと梅田の高架下でガチャガチャやっている子は、心構えからして違うと思わずにいられません。
多分、宮沢さんは、無名の歩行者天国の時代から、自分の世界に引きこもったりせず、気持ちを外に向けて、一所懸命、やっておられたのではないでしょうか。
近頃は、「自分のやりたい事が分からない。何にも興味が持てない」という若い子も多い一方、「人に注目されたい」という気持ちだけは一人前だったりしますが、果たして、こういう厳しさに打ち克つだけの度胸と覚悟があるのでしょうか。
そして、その厳しさを「厳しい」と思わず、「やっぱり、これがやりたい」「これしかない」と思えるような『何か』を持っていること自体が才能であり、人間として一番幸せなのかもしれません。
*
宮沢和史さんのポーランド公演を実現されたのが、以前、海外青年協力隊としてポーランドに在住しておられたyashimaxさんです。
その経緯などを綴った著書第一号です。
EU加盟前、日本から海外青年協力隊が派遣されていた頃の、ポーランドのリアルな生活風景がつぶさに綴られていますので、興味のある方は是非。
ちなみに、ポーランド公演が実現したのは、八島さんが宮沢さんの大ファンで、ポーランドの子供たちに『島唄』を聴かせたら、みな大喜びで、そのエピソードを宮沢さんサイドに伝えたら、ポーランドに興味をもたれて、公演に至った……と関係者から伺っています。
宮沢さんのヨーロッパツアー(ポーランド公演含む)の模様はこちらのDVDに収録されています。
私もちょろっと映っています(後ろ姿のみ)。
プシェミシル以外では、大成功だったんですよ。
プシェミシル公演は、喩えるなら、伊豆大島・大島町の公民館でKAYAHがコンサートを開くようなものです。
日本人にしてみたら、「KAYAHって、誰?」でしょ。
ポーランドの国民的歌手です。
プシェミシル公演は、そういうシチュエーションでのコンサートです。
まだYouTubeもない、Spotifyもない、スマホさえ無かった時代の海外公演です。
EURO ASIA ~MIYAZAWA – SICK EUROPE TOUR ’05 [DVD]
こちらはプシェミシル体育館でのコンサート
この写真からも、決して上等な場所ではないことが分かるでしょう。
まあ、ホントに、すごい所で、言葉の通じない、それも場馴れしていないお客さんを相手に歌われた。
誰にでも出来そうで、決して出来ないことです。
たとえお客さんの反応が思うように返ってこなくても、決して手抜きはしない。
それがプロ。
宮沢さんの気概と本物のプライドが感じられた舞台でした。
このCDの中からも何曲か歌われました。
「TOKYOストーリー」「マンダラ」「ゲバラとエビータのためのタンゴ」がいいですね。
初稿: 2010年5月2日
※ コンサートの写真をウェブサイトに掲載するのは違反らしくて、関係者の方もこのページをチェックされたようですが、今のところ、お目こぼしで継続させて頂いています。また事情が変わって、NGになれば、いつでもご連絡ください。