子供の言いなりになるのはラクだ。
欲しがるだけ、甘いヨーグルトを与えておけば、子供は始終、機嫌がいいし、私も癇癪の相手をせずに済む。
世の中には「お母さんをラクにする方法」なんて子育て論がいっぱいあるけど、それなら、子供の言いなりになるのが一番ラクだ。
子育てしていると、必ずと言っていいほど、
「一個ぐらい」
「一日ぐらい」
「100円ぐらい」
「一回ぐらい」
という場面に直面する。
それが良い時もあれば、悪い時もあり、私にはその線引きの仕方がよく分からない。
多分、一生考えても、「これが正しい」なんて結論には達しないような気がする。
でも、いつもいつも、誰もが適切な判断を下せるわけではないし、「何が正しいか」なんて、後になってみないと分からないことも多い。
自分ではそれが正しいと信じても、思いがけない方向に転がっていくこともある。
かといって、親の試行錯誤が全てムダかといえば、決してそうではなく、あの失敗も、この間違いも、人間らしい積み重ねだ。
その人間らしさは、いつか「思い出」や「哲学」といった形で、子供に返ってくると思う。
理屈どおりに、善悪を判断するのは、コンピュータ。
何が起ころうと、無関心なのは、サル。
「どうしよう」「どうしたらいい」と迷うのが、人の子の親。
この世に完全無欠な子育てなどあり得ないし、またそのように育てられる子も存在しない。
親も子も、欠点があっていいじゃないか。
だって、人間なんだから。
ちなみに、相田みつをさんの作品は、
『つまづいたって いいじゃないか 人間だもの』
です☆