海洋小説の作品概要に掲載しているプロフィールです。
海洋小説を執筆するまでの経緯
雷恐怖症と家庭医学大事典
私が『科学』に魅了されたのは、幼少時より、NHKや民放で良質な科学番組に親しんできたこと(昭和の時代は「目指せ! 技術立国」でユニークな科学番組がたくさん制作されていた)、学研の「こどもの科学」が非常に魅力的な内容であった理由も大きいですが、やはり決め手になったのは、「正しく識れば、恐怖は克服できる」を身をもって体験したことでしょう。
現在はそうでもありませんが、幼少時は非常に病弱で、「10歳まで生きられないだろう」と言われていたこともありました。10歳になるまでに、入院4回、手術1回、病欠は毎年30日以上に及び、犬に顔に噛まれて、片目を失明しかけたこともあります。
そんな私にとって、ドイツ語を駆使する「白衣のお医者さん」は憧れの人でした。
昭和50年頃まで、日本の病医院ではドイツ語が使われ、ドイツ語で独り言を口にしながら、万年筆ですらすらとドイツ語の医学用語をカルテに書き付ける姿が、子ども心に非常にクールに見えたのです。
(病院でドイツ語が使われていた事は、山崎豊子の医療小説『白い巨塔』にも描かれています。がんはクレブス、患者はクランケ、ブドウ糖はツッカー、生理食塩水はワッサーと呼んでいました)
また、昭和時代には、スマホもパソコンもありませんから、病児の暇つぶしといえば『読書』一択。
子ども部屋にTVを置いてもらえるほど裕福でもなかったので、一日中、じーっと白い天井を見上げて過ごす子どもにとって、最大の娯楽といえば、『ぐりとぐら』や『保健と人体の図鑑』や『学研のこどもの科学』でした。
高熱でふらふらになりながらも、布団の上で、こどもの科学の付録を必死に組み立てたこともあります。
しかも、私の枕元には厚さ10㎝の『家庭用医学事典』がいつも置かれ、それが自分の愛読書になるまで時間はかかりませんでした。難しい漢字は読めなくても、色鮮やかな内臓の写真や症例のイラストは子ども心にで、毎日、飽くことなく眺めては、身体機能や発症・治癒のメカニズムなど、いろんなことを直観で理解しました。
小学校に上がる頃には、そらで解剖図を描けるほどの医学マニアになり、中学の頃には保健の先生より詳しいので『教授』と呼ばれるほど。とにかく医学を筆頭に、何でもよく知っていたのです。(参照→ SF医療ファンタジー『Tower』)
私がそうまで図鑑や医学事典に興味を引かれたのは、「自分の身に起きていることを正しく識りたい」という動機と「できれば自分で治したい」という思いからです。
喉の痛みも、40度近い高熱も、全身に酷く広がった水疱も、正しく理解すれば、恐るるに足りません。
白血球の働きを知れば、「いつか治る」という希望がもてるし、解剖学を知れば、あの鋭い注射針が骨まで到達するわけではないと理解できます。
私にとって「学び」とは恐怖の克服に他なりませんでした。
そして、そのように、つらい病児時代を乗り越えてきたのです。
似たような経験に、雷恐怖症があります。
幼い頃、雷が非常に怖くて、ちょっとでも「ゴロゴロ」を耳にしたら、頭からすっぽり布団をかぶって、押し入れに隠れるほどでした。身動きが取れなくなるほどの重症だったのです。
ところが、小学3年生の時、『なぜなに お天気のふしぎ』という科学マンガを読み、発生の機序を理解したら、あれほど深刻だった雷恐怖症がぴたりと治りました。
それどころか、夕立の中をジャブジャブ駆け回るほど元気になり、空に向かって、「カミナリ! 落ちるものなら、落ちてみろ~」と喧嘩を売るほど強くなったのです。
その時、つくづく思いました。
正しく識れば、恐怖は消える。
と。
以来、地学、天文学、遺伝子工学をはじめ、矢追潤一のUFOスペシャルや川口宏の探検隊シリーズに至るまで、幅広く親しみ、毎月、京都市立青少年科学センターに通うほどの科学オタクになりました。
純粋に科学のみを信奉するのではなく、月刊『ムー』のオーパーツ特集やグラハム・ハンコックの『神々の指紋』にはまったり、矢追潤一の『UFOスペシャル』に感化されて、毎晩、夜空を見上げたり。
星から星へ、宇宙から神秘へ、好奇心はとどまることを知りません。「こんな都会で天体望遠鏡を買って、何を見るねん」という両親の一言がなかったら、今頃、NASAに行ってたかもしれません(気持ちだけでも)。
海洋科学との出会い ~マンガン団塊のように生きる
そんな私が海洋科学に魅せられたのは、27歳の時。
図書館でたまたま手にした海洋学の本がきっかけです。
本作の『あとがき』にも記しているように、私は「海に浮かぶ半閉鎖式生命圏(海洋都市)」のビジョンを探し求め、海洋関連の本を片っ端から読み漁っていました。
その時、心引かれたのがマンガン団塊(海底鉱物資源)であり、日本が誇る深海調査船『しんかい』でした。
その流れで、一生の恩人となる堀田宏先生の著書「深海底からみた地球」に出会い、全てが頭の中で一つの線に結ばれました。
暗くて深い海底に、じっと眠っているマンガン団塊に己を重ね見たからかもしれません。
当時愛読していたニーチェの著書『曙光』の冒頭に記された『いまだ光を放たざる いとあまたの曙光あり』という言葉が、これほどしっくりくるモチーフもまたとないと感じたことも大きいです。
知れば知るほど興味を引かれ、いつしか深海を潜航する『しんかい6500』が白馬の王子さまになりました。
本作の主人公が潜水艇のパイロットである所以です。
私は実際に海洋調査に行ったことはないし、海洋機関のスタッフでもありませんが、執筆中は、想像力の中で深海を旅できて本当に幸せでした。
本作と通じて、一人でも多くの方が海洋科学とJAMSTECに興味をもってくだされば幸いです。