子供たちを見ていていつも感じるのは、ママは神様なんだと言うことです。
ママがいないと、多くの子供たちは不安になります。
必ず、「ママ~」と騒ぎます。
長い仕事の経験で言うと、「パパ~」と騒いだ子は数人です。
男も一生懸命育児に参加しているとは思うのですが・・・。
それはさておき、子供にとって「神様」は人生の指標でもあります。
子供は「神様のやり方」をまねます。
当たり前のように・・・。
マム園長さんの言葉
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2006/08/16
「神様」――私にとって、そのニュアンスは、「絶対的存在」ではなく、
「困った時に、いつでも頼れる存在」です。
大人でも、普段は、神様のことなど忘れているけど、
病気したり、事故にあったり、失業したり、いろいろトラブルに見舞われたら、
神様に手を合わせて、「力を貸して下さい」とお願いするでしょう。
私も、子供にとって、かのような存在でありたい、と。
たとえ、普段は忘れ去られていても、思い出して、頼られた時には、
しっかり力を貸せるような存在がいいな、と。
都合の良いときだけアテにして・・なんて、悪態ついたりせずにね。
そしてまた、本当に「ママは神様」なら、ママの祈りは必ず通じると思うの。
だって、神様なんだから。
そうそう。
イライラしたり、自信を無くしたり、ダメ人間になりそうな時は、
この言葉を唱えたらいいと思う。
「私(ママ)は神様なんだ」って。
自惚れとか、なんとかじゃなくてね。
自分は神様だと思えば、バカは出来ないじゃない。
すごくいい言葉だと思いますよ。
それから、こちらは、今日ヒットした言葉。
子供が好きだから最低3人は欲しい、そのためにはお金をかせばなければと考える人もいます。
どちらが子供を育てきる事が出来るでしょうか?
園長は古いかもしれませんが、がんばる方を選びます。
計算して人生を送るのは、それはそれで良いと思います。
しかし、それだけの計算された人生です。
計算できないところに、人生の奥深さがあります。
人生一回、張ったれや・・・。
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私が今、一番、決断に苦しんでいるのが、土地・家の購入問題なんです^_^;
独身時代に作った貯蓄があるので、手に入れることは可能なのですが、
専業主婦で収入がストップしている今、
夫の収入だけをアテにして、大きな買い物をするのは、非常に不安なんですね。
これが日本なら、「いざとなれば働きに出ればいいや」って、腹を括れますけれど、
言葉に不自由している外国では、やはりいろいろ慎重にならざるを得ないです。
それも経済先進国ならまだしも、いい大学を出ても仕事に就けない人が多い、この国ですからね。
となると、やっぱり、強い『円』を子供に残したい。
なんだかんだいっても、日の丸JAPANマネーですもの。
いつか、子供が、日本で学びたいとか、働きたいとか言い出した時に、
ポンと、まとまったお金を出してやりたいのが親心でしょう。
そう思うと、経済力の定まらぬ現地の不動産に使って良いのか、
いろいろ考えてしまうワケです。
そのようなことを思いあぐねていますと、こちらの記事に出会いました。
すると、その記事のコメントに、「その子の喰いぶちはその子が持って産まれてくる」という言葉がありましてね。
親があれこれ計算して、貯め込んだり、使ったりする以前に、物事というのは、親の計算を超えて動いていくのではないか、と、ふと思ったわけです。
もしかしたら、子供は、自分の力で奨学金を得て、日本に行くかもしれないし、あるいは、そんなことは微塵も望まないかもしれない。
収入の道が完全に閉ざされたようでも、どこからか思いがけなく収入の道が開けるかもしれない。
無ければ無いように、動き続ける限り、状況も変化するし、運の流れも変わる。
それが人生のダイナミズムではないか……なんてね。
そう――。
今は、オムツをはめた、お猿のような我が子の姿しか知らないけれど、
彼らも大きくなるんですよ。
ヒゲの生えたオッサンに。化粧の似合うお姉ちゃんに。
そして、その頃には、私も、もっといろんな能力を兼ね備えているだろう。
……となると、未来は一つではないんですよね。
主婦になって、保守的になると、どうしても物事に対して近視眼的になってしまうけれど、
う~む。
いろいろ考えさせられます。
初稿 2006年8月16日