ヨーロッパの夏の日照時間は長い。
夏至の頃には、夜の九時を過ぎても、まだ顔の見分けがつくほど明るく、広場も、食後のビールを楽しむ人々でごった返している。夏のこの季節、「夜」と言えば、十時以降を差し、「十時になったから帰ろう」ではなく、「さあ、これから街に繰りだそう」なのである。
もっとも、マリー・アントワネットの時代には、サマータイム制度(時計の針が一時間進む)というのはなかったから、どんなに日照時間の長い夜でも、九時にはとっぷり暮れていたことだろう。
それでも、朝四時には日が昇り、夜は八時頃までぼんやり明るい日が続けば、一日に対する感覚も違ってくるし、心身ともに非常に活動的になる。
だから、夏に限って言えば、「夜通し遊んだ」といっても、実際には、深夜から明け方までの数時間、「ちょっと遊んだ」ぐらいの感覚だろうし、私の実感から申せば、いくら時計の針は午後八時、九時を指していても、まだ日が沈みきらぬうちから、ワインで乾杯しても、ちっとも美味しくないのである。 こうしたヨーロッパ独特の季節や時間感覚を想像しながらベルばらを読むと、またひと味違う風景が見えてくると思う。
たとえば、三部会が荒れて、バスティーユ襲撃へと至る過程は、季候も良いし、日照時間も長くなる頃だから、パリの人々も、遅くまで戸外で集会を開いたりして、一日中、活動しやすかったのではなかろうか。
革命が起きたのが『夏』のせいとは言わないが、それも大いに一役かったのではないかな……と、私なんぞは想像して楽しんでいるのである。
しかし、この夜の短さは、一時の逢瀬を楽しむ恋人たちには、非情なものである。早く遭いたくても、夜はなかなか更けないし、朝は早々と白んで、恋する二人を否応なしに引き裂く。
パリ祭の頃に、フランスを旅行された方ならご存じだろうが、あの時期の夜は、本当にあっけないほど短い。
「お前と一晩をいっしょに」の一晩も、「たっぷり一晩中」ではなく、ほんの数時間のことだっただろう。
短い夏の一時に、全身全霊をかけて愛を交わしたからこそ、あの場面は、永遠の美しさをもって、読む人の心に響く。
二人が求めたのは、死をも超える一体感であり、それこそが夫婦になることの悦びなのである。
ヨーロッパの夏の夜は、日本のように蒸し蒸ししておらず、空気はひんやりとして、クリスタルのような透明感がある。
ベルサイユの恋人たちが過ごした夜も、北の星座が天高く輝き、さぞかし美しかったことだろう。
真夏の夜の夢も甘美なものである。
コミックの紹介
『ベルサイユのばら 第8巻 ~神にめされて……』と言えば、誰もが知っている、オスカルとアンドレのベッドシーン。
私が読んだムック本では、少女漫画でベッドシーンを描いたのは、ベルばらが初めてだそうです。
当時、小学生も週刊マーガレットを読んでいたことを思えば、これは大胆な挑戦でした。
しかしながら、「過激な性表現」「ワイセツ」みたいな論調にならなかったのは、8巻に描かれたベッドシーンが美しいエロティシズムに彩られていたからでしょう。
竹宮恵子の漫画『風と木の詩』と非実在青少年の性愛について / 性的描写と物語における必然性にも書いているように、大事なのは物語における必然性です。
オスカルとアンドレのベッドシーンも、非常に自然で、ロマンティックで、読んだ誰もが甘い、幸せな気持ちになる演出でした。
ワイセツ云々の物議を醸さなかったのは、誰が読んでも、美しく感じたからだと思います。
その後の二人の運命を思うと、胸が詰まりますが、きっと天国でいつまでも幸せですね。
生まれて初めて目にした漫画のベッドシーンが『ベルばら』で、本当にラッキーだったと思っています。
こちらがオリジナルの扉絵。これだけで小学生にはドキドキでした。
ドラマティックな絵柄のKindle版。この扉絵も有名です。