新しい愛を育もうとしている人へ
このページを開いたあなたには、いま、人生を共にする理想の男性と出会い、時間をかけて愛を育んでいくチャンスが訪れています。
愛は、人類にとって永遠のテーマです。愛は人々によって語られ、歌われ、綴られてきました。情熱的な恋、ひとめぼれ、花束を捧げたプロポーズ。私たちは映画や小説など、さまざまな芸術作品を通じて、ゾクゾクするような恋の興奮やときめき、胸が張り裂けそうな失恋の悲しみ、せつない思いを味わってきました。その結果、恋をするのなら、そういったロマンティックな経験をしたいと期待してしまうのです。
ところが、こういったイメージや描写をそのまま信じていると、理想化され、脚色された愛だけを探し求めてしまいます。
あなたは、ほんとうは好きでもないし、信頼もしていない相手を深く愛しているような錯覚をしていませんか?
いまこそ、相手との愛をじっくりと見つめ、その本質を見きわめましょう。
ほんとうの愛が成長するには時間がかかります。いくらクラクラするほど魅力的な相手でも、出会ったばかりの人に自分の内面をすべて見せてはいけません。ほんとうの愛を育むためには、お互いが進んで歩み寄り、共に成長し、学んでいかなければならないのです。「逃げていく相手を追いかける」ことが愛ではありません。愛とは自分自身を押し殺し、傷つけ、押さえつけることではありませんし、他人の望みに合わせて生きていくことでもありません。
愛を育むには、ゆっくりと時間をかけるのがいちばんです。ですから、相手とわかり合うための時間をたっぷりとり、あなたの愛にふさわしい相手かどうか、じっくり見きわめましょう。
人を愛するとは、高級ブランド店のショーウィンドウに商品を陳列するような、美しくて見栄えのいいことだけではありません。店の裏手に回れば、そこには売れ残った商品が山積みになり、ゴミが散乱しています。人を愛していくことは、きれいごとではすまされないのです。自分の感情を正直に相手に伝え、これまで自分の心に鍵をかけて閉じ込めていた恐怖や疑念を打ち明け、恥ずかしがらずに自分の夢や希望を語ることなのです。つまり、お互いのほんとうの気持ちを相手と分かち合うことなのです。
そのためには、あなたはいま以上に勇敢になり、素直にならなければなりません。心を開き、自分のいやな部分も知ってもらわなくてはならないのです。ですから、何よりもまず、相手を心から信頼してください。
たとえ夫や恋人の感情や信条があなたのそれとは違っていても、彼の希望や夢があなたには理解できなくても、相手のすべてを受け入れましょう。
つまり愛とは、自分を知り、相手にありのままの自分をさらすことであり、同時にまた、ありのままの相手を受け入れることでもあるのです。
愛する人のほんとうの姿を知り、愛する人にも、自分のほんとうの姿を知ってもらう――こうした愛を知ることが、人生における最大の歓びなのです。
出典 :愛はあせらずに ~新しい愛を育もうとしている人へ 『恋に揺れるあなたへ 56の処方箋』より
全力で取り組んだ思い出は一生の財産になる
愛とは誰にとっても難しいものです。
女性の場合、若くて美しい人なら、簡単に愛が得られるイメージがありますが、人気女優でも振られる時は振られるし、スーパーモデルが人生に絶望して薬物中毒に陥ったり、最悪、自死してしまう事もあります。
若さも美しさも、幸せの入口に過ぎず、そこから長続きするか否かは、思いやりや忍耐といった心の能力にかかっています。
どれほど若く美しくても、世界的人気があっても、身勝手で、冷淡な女性が嫌われるのは、我々庶民も、スーパーモデルも同じなんですね。
恋愛コラムの中でも繰り返し書いていますが、どんな人間関係も次第に変化するもの。
あんなに仲の好かった同級生も、高校から大学に進学すると、まったく話が噛み合わず、次第に疎遠になってしまうように、ラブラブの恋人同士も、いつかは熱狂から冷めて、お互いの日常に戻っていきます。
電話やデートの回数も減るし、会うことが日常になれば、高級レストランからファミレスにダウングレードすることもあります。
でも、それは「熱が冷めた=愛されない」ではなく、あなたの存在が日常になり、見栄を張らなくても良くなった証拠です。
いつもいつも高級レストランに誘わなければ満足しない彼女など、どれほど顔が可愛くても、負担なだけでしょう。
その点、ファミレスでOKな彼女は、新鮮味はないかもしれませんが、お互い、肩肘を張る必要もなく、自然体で一緒に居られるのは、何にもまさる安心感だと思いませんか。
その分、クリスマスや誕生日は奮発して、高級レストランを楽しめばいいだけの話。
その工夫と思いやりこそが愛の果実です。
クリスマスディナーを楽しめるか否かは、平素の付き合いにかかっており、日々の気遣いをおろそかにすれば、クリスマス前に壊れてしまうのは当たり前なのです。
誰もが望む通りの愛を得られるわけではありませんが、それに向かって努力することは、強い心をを育み、人間としての魅力をいっそう増します。
たとえ最後は別れに終っても、全力で取り組んだ思い出は、一生の財産になるのではないでしょうか。
Love 愛はもともとファンタジーのようなもの。だから育てることに価値がある
この章の原題は、Loveです。
loveには、「愛」「いつくしみ」「恋人」「好意」といった意味があります。 [ジーニアス英和辞典第5版]
いつの時代も、どこの世界でも、Loveに関する話が溢れかえっています。
映画でも、音楽でも、Loveをテーマにした作品が圧倒多数ですし、人が感動するのも、その部分です。
では、なぜ、こんなにも人はLoveにこだわるのかといえば、誰もが経験しているからではなく、それだけ得るのが難しいからでしょう。
若い子たちが、魔法や超能力ファンタジーに惹かれるのと同じです。
Loveも、多くの日常においては、ファンらジーみたいなものなので、ファミリードラマのエンディングで親子が和解したり、たくましい騎士が命がけでお姫さまを救うラブストーリーに、じ~んとするわけですね。
現実には、愛を構築することは、怒りと不満の修羅場のようなものだし、あるカップルが修羅場の只中にいるからといって、その二人が険悪というわけでもありません。
お互いに口汚く罵り合っても、何年も別れないカップルもいます。
愛とは、傍目には決して分からない、不可思議な営みであり、映画や漫画に描かれる愛は、すべて「こうなりたい」というファンタジーなのです。
だから、「求めるだけ無駄」という話ではなく、若い起業家が未来のスティーブ・ジョブズを目指すように、若い女性も、真実の愛を育てるように、必死に努力すればいいのです。
その結果、失敗に終わっても、それはそれ。
若い起業家の失敗談が恥ではないのと同じです。
「愛なんて、くだらない」と斜に構えて、誰をも愛そうとしない人より、うんと濃密と言えるのではないでしょうか。