21世紀の正義と教育 ~本物のヒーローとは 映画『LOGAN/ローガン』が教えてくれること

ウルヴァリン・シリーズの最終話となる本作では20世紀のヒーローを否定し、日常の善人こそ本物の英雄と子供達に教える。老いたプロフェッサーを介護するローガンの姿が印象的なドラマの見どころを名台詞と画像で紹介。

目次 🏃

映画『LOGAN/ローガン』について

あらすじ

2029年、XーMENのウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)は、メキシコ国境に面した製錬工場でチャールズの介護をしながら、ミュータントのキャリバンとひっそりと暮らしていた。
ある時、ローガンの素性をしる男が現れ、ローラという11歳の少女を「エデン」という施設まで送り届けて欲しいと依頼される。だが、その後、すぐに悪徳企業『リーヴァーズ』の手下に襲撃されたことから、ローガンはローラとプロフェッサーを連れて、エデンを目指す。
そこにはローラと同じミュータントの子供たちが集まり、カナダ国境を越えようとしていた。
果たしてローガンはリーヴァーズの野望を阻止し、子供たちを逃すことができるのか……。

見どころ

本作の見どころは、超人的な能力に恵まれた20世紀のヒーロー像を否定し、「普通の人々」こそ真のヒーローであると、新たな価値観を打ち立てた点だろう。
X-MENのウルヴァリン・シリーズの最終作でありながら、びっくりするほど地味だし、ローガンも、プロフェッサーXも、まるで隠居のおじいさんみたいに物静かである。
だが、それこそ『この世の現実』。
能力に優れた若いヒーローが、いつまでも年を取らず、人生を疑うこともなく、ひたすら戦い続けて勝利を収める物語は『虚構』なのだと教えてくれる作品だ。
それも決してキャンセルカルチャーのノリではなく、「実の人生はこうだよ」「君たちも立派なヒーローなんだよ」と優しく訴えかける点が好ましい。
ハリウッドに限らず、社会の価値観も大きく変わったと、つくづく考えさせられる良作である。

逆に言えば、XーMEN的なノリを期待すると肩透かしにあう。
本作はあくまで、一時代を築いたウルヴァリンと、ウルヴァリンを演じたヒュー・ジャックマンに、「ありがとう」と「さよなら」を言う映画である。ついでに、プロフェッサーも^_^

21世紀の正義と教育 ~本物のヒーローとは何か物語は終わらなければならない

長年連載したヒーローものをどう終わらせるかは、案外難しい問題と思う。

梶原一騎の『愛と誠』みたいに、「終わったものは、終わったの! 続編もスピンアウトもあるか!!」みたいに、最後のコマの『完』で永遠に終わる作品もあれば、だらだらだらだら無意味な展開を繰り返し、とってつけたようなエピソードで収入を繋ぐ作品もあり(トランスフォーマーとか、スターウォーズとか。北斗の拳も最後はそんな感じだった。作者はラオウとの死闘編で終らせたかったようだが)、私がオリジナル原理主義に拘るのも、この一点に尽きる。

すべての物語は終わらなければならない

過去の連載がどれほど優れたものであろうと、きちんと展開にけりを付けて、話を収拾しなければ意味が無い。

美内すずえの『ガラスの仮面』で、さんざん失望させられた私としては、特にそう思う。
(あれは未完の大作になるかも)

2000年にスタートした『X-MEN』もその一つ。

一作、二作までは熱心に見ていたが、三作あたりからダレてきて、その後はほとんど見てない。

後から取って付けたようなエピソードが多くなるし、無敵のスーパーヒーローを演じる役者が現実には年を取り、ビジュアル的にも辛くなるケースが圧倒多数だからだ。

17年間続いたヒュー・ジャックマンのX-MENも、どんな形で収拾するのか、私には想像もつかなかったが、2017年公開の『LOGAN/ローガン』を見て、納得。

ダニエル・クレイグの007シリーズ最終作、『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』みたいに、話をめちゃくちゃこじつけて、存在そのものを抹殺することもなければ、宇宙戦艦ヤマトみたいに「ヤマトを愛して下さった皆さん、これで永遠にお別れです」を売り文句に空前の売り上げを達成したくせに、ファンの涙も乾かぬうちに、「新ヤマト」だの「新たなる旅立ち」だの、無節操に新バージョンをリリースし、往年のファンが松本零士の画風を大きく歪めて、森雪をデカパイにするほど恥知らずでもない。

ウルヴァリンやプロフェッサーXのキャラクターはしっかり守りながら、非常に現実的に終止符を打つという、見事な終わり方だった。

下手すれば、ブーイングの嵐になりかねない中、このシナリオを出した制作者も、オファーを受けたヒュー・ジャックマン&パトリック・スチュワートも大したものだ。

恐らく、作中で語られることは、ヒュー・ジャックマンやパトリック・スチュワートが、一人の人間、一人の社会人として、常々考えていた事だからかもしれない。

21世紀の正義と教育 ~本物のヒーローとは何か これを読んでたのか?(XーMENのコミック)
そうだよ、XーMENのファンだ。
デタラメだって知ってるよな?
四分の一ぐらいはあったことだが、実際とは違う。
現実の世界じゃ人が死ぬ。
ヒーロー気取りの馬鹿野郎が、レオタードで止められるか。
こんなの弱虫の慰めだ。

上記の台詞は、コミックにけちをつけているように見えるが、その前のショットで、少女はプロフェッサーXと一緒に『シェーン』の決闘シーンを見ている。
西部劇史上に残る、早撃ちの名場面だが、当時は『暴力的』と評された。
ローガンは、そうしたTVの決闘シーン――恐らくは戦争やテロの報道も含めて――「TVやコミックは、現実の四分の一ほどしか伝えない。実際はもっと凄惨だ」という現実を言い聞かせているのである。

少女に暴力の現実を諭すローガン

この場面だけでも、まぜ制作サイドが、ウルヴァリン・シリーズの最終話を「病人と要介護者」みたいな話にしたのか納得がいく。

現実には、ヒーローが戦えば、そこには試写が生じるし(たとえ悪人であっても)、人を殺すことは、決して美談ではないのだと。

参考 : 戦争とは国家によって正当化される殺人 寺山修司の『死者の書』より

そんな彼らを執拗に追う悪徳企業『リーヴァーズ』のドナルド・ピアースと武装部隊だ。

逃避行の途中、彼らをもてなしてくれたマンソン一家を殺害し、『エデン』に逃れてきたミュータントの子供たちにも容赦なく銃口を向ける。

今や子供たちの父親代わりとなったローガンは、最後に力を振り絞って戦うが、その力も昔のように万能ではない。

ようやく決着し、生き残った子供たちは希望を胸にカナダ国境を目指すが、旅を共にしたローラだけは、しばしその場に留まり、弔意を示す。

その際、ローラが口にする言葉は、ホテルでプロフェッサーXと鑑賞した西部劇の傑作『シェーン』の有名な台詞だ。

人の生き方は決まっている。変えることはできない。
一度人を殺した者は、もう元には戻れない。
正しくても人殺しの烙印を押される。
早くママの所に帰って伝えろ。「もう大丈夫だ」って。
もう谷から銃は消えた。

この台詞に、21世紀の新しい正義を感じる。

これまでは、バットマン VS ジョーカー のように、単純な善悪の構図だった。

悪い奴は徹底的に悪くて、超能力をもった正義のヒーローが、ボカスカにやっつけて、万事解決する。

だが、現実はそれほど単純ではない。

『あの国はジョーカーだ、だからやっつけろ』という、1 か 0 かの裁きは、双方に多大な犠牲を強いるだけで、何の解決にもならない。

それに、本物の戦争は、コミックとは違う。

血が流れ、手足が吹き飛び、凄惨な地獄絵図と化す。

本当にそれが正しい解決策なのか。

どちらがバットマンで、どちらがジョーカーなのか。

それは誰が、どのようにして決めるのか。

単純な勧善懲悪思考では、誰も幸せにしないし、世界を救うこともない。

X-MENも、バットマンも、所詮、マンガの世界であり、たとえそこに正義が存在しようと、戦いは何も生まないのだと。

また、真のヒーローは、一人の優れた超人がマントを翻して、悪の軍団を粉砕するようなものではなく、身体の不自由な高齢者に手を差し伸べたり、家族そろって食卓を囲んだり、年下の女の子に音楽プレイヤーを貸してあげるような、日常の親切や思いやりこそが真の英雄的行為だと教えている。

すなわち、世界を救うのは、一人の超人ではなく、優しい心をもった普通の人々、ということだ。

振り返れば、テロ、内戦、暴動、デマなど、21世紀は、ネット世論も巻き込んで、20世紀に夢見た「新世紀」とは全く異なる方向に走っている。

その中で、私たちは、影響力のある人の声を正義と思い込み、また、周囲もそれを正義と宣伝し、誤った勢力に手を貸してきた。

さながら、X-MENのコミックスに歓喜し、その世界観を疑いもしないように。

だが、本当にこのままでいいのか。

今、ここで踏みとどまって、何が真実か、考えるべきではないのか。

LOGAN/ローガンの最終話は、従来のヒーロー物語を否定することから始まる。

今の状況を作り出したのは、20世紀に活躍したヒーロー世代に他ならないからだ。

本作では、21世紀に生きる子供たち――前世紀よりいっそう複雑、かつ計略的な社会を生きていかねばならない若い世代に対し、20世紀的なヒーローものを牽引してきたローガンとプロフェッサーXに、生々しい現実を語らせ、「善き人々の日常」を描くことで、一つの回答を示したように思う。

西部劇のヒーロー、シェーンが去ったように、ヒュー・ジャックマンのウルヴァリン・シリーズも、ようやくその役目を終えた。

20世紀のヒーロー映画のように、悪役を倒して格好よく去って行くのではなく、年寄りの介護をしながら、生々しく死んでいくエンディングが、いかにも21世紀らしい。

印象に残った場面

ローガンが足腰の弱ったプロフェッサーを介護する姿をじっと見つめる少女ローラ。
世に様々な教育があるが、これほど説得力のある教えがまたとあるだろうか。
きっと少女は生涯忘れない。大人になってからも確かな行動の指針となるだろう。

足腰の弱ったプロフェッサー

ホテルの一室で一緒に『シェーン』を鑑賞するプロフェッサーXとローラ。これは何と首をかしげるローラに、「初めて見たのは故郷の劇場だった。君ぐらいの年齢の時だ」と説明するプロフェッサーX。まさにおじいちゃんと孫娘の情景。

その後、「X-MENのコミックなんか読んで!」と激高するウルヴァリン(=父親役)に、「そう興奮するな。ローラだって、人が死ぬことぐらい理解しているさ」と弁護するのが、またまたおじいちゃんぽくてよい。

ローラとシェーンを鑑賞するプロフェッサーX

マンソン一家の団らんの後、プロフェッサーの最後の言葉。

今夜は間違いなく、長いこと味わってなかった最高の夜だった。私にはふさわしくない。そうだな。
とんでもない事をした。言葉にできないことだ。
ウェストチェスターで起こったことを思い出した。
今回初めて人を傷つけたんじゃない。
今日の今日まで知らずにいた。黙っていたが……。
だから、ずっと私たちは逃げ続けていた。
やっと君の気持ちが分かったよ。

ウェストチェスター事件について語って聞かせる

ウェストチェスターの事件については、【もう一度『LOGAN/ローガン』を観るために①】本編からカットされた「ウェストチェスターでの事件」その詳細を監督&脚本家が語る で詳しく説明されているように、この事件に限らず、ウルヴァリンも、プロフェッサーXも、その仲間たちも、マグニートーや、その他の勢力との戦いのために、たくさん傷つけ合ってきた。

結局のところ、何が正義で、誰が間違いであれ、死んだ者は二度と帰ってこない。

たとえ自分の側が正義と証が立っても、人を殺めた事実は生涯残るし、許されることもない。

それほどに虚しく、苦しい。

「君の気持ちが分かったよ」というのは、スーパーソルジャー製造計画「ウェポンX」において、世界最強の金属アダマンチウム合金を体内に注入され、鋭い爪を持つ人間兵器に仕立て上げられたウルヴァリンの苦悩だろう。

それゆえに無敵のヒーローとなったが、同時に、人を傷つける凶器ともなった。

ミュータントの守護者たるプロフェッサーXにも、その苦悩を完全に救済することはできなかった。

そうした悔恨も含めて、この台詞かと。

こちらがシェーンの決闘と別れのシーン。日本語字幕付きでUPされているので、興味のある方はぜひ。

https://youtu.be/lOmsbhqs95s

作品の概要

LOGAN/ローガン (2017年) - Logan

監督 : ジェームズ・マンゴールド
主演 : ヒュー・ジャックマン(ローガン / ウルヴァリン)、パトリック・スチュワート(チャールズ・エグゼビア / プロフェッサーX)

LOGAN/ローガン (字幕版)
LOGAN/ローガン (字幕版)

ヒュー・ジャックマンはこちらの記事でも紹介しています

初稿 : 2020年6月24日

誰かにこっそり教えたい 👂