まずは、『ぴっかりさん』こと荻原光さんの記事の抜粋をご紹介します。
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“良い親”になろうと頑張りすぎると、子どもに対しても、“よい子”であることを、過大に要求しがち。でも、良い意味で“いい加減な親”であれば、子どもの非も、おおらかに許してあげられる余裕が出てきそうですね。
家庭というのは、良くも悪くも“素顔の自分”でいてよい場所なのではないでしょうか。親にとっても、子どもにとっても。だからこそ、ホッと安心できる場所なのです。
“まあ、人間、怒りたい時もあるさ”とおおらかに構えるていると、“ニコニコ”と“大爆発”の中間ぐらいの、“プチ切れ”ぐらいですむようになります。そうなると、しつこい叱り方になりにくく、かえって、親子共々、気持ちの切り替えが早くなるはずです。
親のイライラが溜まりすぎるような子育てのアドバイスは、どこか変なのではないでしょうか。親がそんなに無理をしなくても、子どもの心の中には“ちゃんと育っていく力”が生まれながらに備わっているのです。だから肩の力を抜いて、自然体でいっていいのですよ。
私の子育てに対する考え方も、荻原光さんや、『ダダこね育ちのすすめ』の阿部秀雄さんとほとんど同じで、「普通」「自然」「人間らしく」です。
ある日を境に『親』という名の特別な何かになろうとするから、しんどくなるんじゃないかと、いつも思います。
そもそも、「いい親」か否かを決めるのは子供であって、教育者や育児評論家ではありません。まして親である、あなた自身でもない。
世間では 「いい親」= 一流校に合格するような、優秀な子を育てている人 みたいなイメージがありますけど、子供から見れば、必ずしも、人格者がいい親ではないし、社会的には地味で、寡黙で、真面目なだけが取り柄で、何の面白みもなくても、子供にとっては「いろんな思い出のある、よき父親」だったりします。一緒に野球したとか、キャンプで蜂に刺されたとか、たまにボソっと哲学者みたいなことを呟いてたとか、亡くなった後も、きょうだいや親族が集まれば、思い出話に花が咲くようなキャラクターです。取り立てて何も無いのだけども、よくよく振り返ってみれば、叱られたことも、一ヶ月ぐらい口を利かなかったことも、懐かしいような、不思議な感じ。
それら、嫌な出来事もひっくるめて「我が親」とでもいうのですか。
甘みも、渋みもある、スルメのような存在ですよね。
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母親もそう。キラキラママでもなければ、キャリアウーマンでもない。けっこうズボラで、洗濯物山盛りみたいな感じでも、子供にとっては「何かと笑わせてくれる、いいお母さん」だったりします。マスコット作りを手伝ってくれたとか、風邪を引いた時に生姜湯を作ってくれたとか、振り返ってみれば、いろんな思い出があって、喧嘩したことも含めて「我が親」なんですね。
少なくとも、教科書にのっているようなタイプではありません。
それでも「いい親」なのですよ。
いい所も、悪い所も、すべてひっくるめて。
それが親子とちゃいます?
いい親って、子供を立派に育てた親ではなく、子供との間に、いかに人間的に多くの思い出を残したかで決まるんじゃないかと、私は思っています。
目次
いい親かどうかは、その子供にしか分からない
「いい親」かどうかは、自分の子供が、子供をもった時に初めて分かる
いい親かどうかは、その子供にしか分からない
いつの時代も「理想の親はこうあるべき」という一般論が語られますが、いい親かどうかなんて、その子供にしか分かりません。
傍目には、世間一般の基準から外れても、子供にとっては、明るく優しい親で、子供自身、素直に育って、「死にたい」だの「誰某がムカつく」だの、虚しさやイライラとはまったく無縁の、穏やかな生活を送っているケースもたくさんあるでしょう。
ところが、こと育児になると、突然別の何かになったように「いい親」を目指す人が少なくないのは何故でしょう。それも自分の基準で「いい親」を目指すならともかく、話題の育児書や教育者の言説に従い、我が子ではなく、周囲から、いい親認定してもらうことが目的みたいな印象です。
子育てに成功した人の言う通りにすれば、自分の子育ても成功すると思っているのでしょうか。
子供なんて、一人一人違うし、自分の目で見て、判断して、我が子に合った方法を工夫しないと、形だけ真似ても、上手くいかないと思いますよ。
幼児食にしても、一度にたくさん食べる子もいれば、少量ずつ、分けて食べる方が身体に合っている子もいます。
そこで育児指南を鵜呑みにして、「一日三食、時間は絶対厳守」みたいな事をやっていると、子供もしんどいし、自分もしんどいでしょう。だって、子供のお腹に合ってないのだから。でも、そうと気付かず、「これがダメなら、あれを試そう」とノウハウばかり追い求めてしまう。その時々の子供のニーズが見えなくなるんですね。
子供だって、食事前にアイスクリームが食べたい時もあれば、祭の屋台の着色料ギラギラみたいなリンゴ飴を欲しがったりします。
でも「いい育児法」に執着する親は、それを絶対に許さないんですよね。
子供のニーズやその場の雰囲気に合わせて、5回に一度、妥協する、みたいなことができない。
「私のやり方(○○先生の育児法)が正しいから」と。
自分のことしか見てないわけです。
じゃあ、無視された子供の気持ちはどうなるのか、って話ですよね。
夫婦関係に置き換えれば、簡単に分かることですよ。
旦那さんが『あなたの奥さんを理想的な妻にする10の方法』とか『○○先生の魔法のメソッド。たった三ヶ月で、あなたの奥さんがみるみる夫に仕える、いい女に♪』みたいな指南書を盲信していて、その通りに接したら、どんな気分になりますか?
あなたが「こうしたい」と言ってるのに、「いや、○○先生のメソッドでは、妻にそういうことを許すと、どんどんワガママになるので、絶対に妥協してはいけないと書いてある」と、あなたの要望を徹底的に無視して、「俺の言うことが聞けないお前は悪い妻だ。俺の言う通りにしておれば、お前はみるみる、いい女になるのだ」と絶対服従を求めたら、自分の存在を踏みにじられたような気分になるのではないですか?
子供もそれと同じことですよ。
よく「子供にどう接していいか分からない」という悩みがありますが、分からなければ、子供にストレートに聞けばいいんですよ。
「お母さん、あなたのそういう態度に困惑してるんだけど、何が気に入らないのかな。どうしたら上手くいくのかな?」って。
子供があなたを信頼してるなら、「最近、ママはちっとも僕のことを構ってくれない。あれするな、これするな、ダメダメばっかりだ」と、ちゃんと答えてくれますよ。
そしたら、それに応じて、接し方を変えればいいだけの話。
そこを素っ飛ばして、「子供が急にワガママになった。どうしたら?」と育児書を読み漁って、「うちも、このケースに違いない」と自分の脳内で勝手に判断して、ノウハウに走るから、だんだん子供のニーズと乖離して、埋めようのない溝ができてしまうのだと思います。
「いい親」かどうかは、自分の子供が、子供をもった時に初めて分かる
「世話する」と「育てる」は違うにも書いていますが、自分が子供にとってどんな親だったかは、自分の子供が、子供をもった時に、初めて分かるものだと思います。
自分自身を振り返っても、子供だった頃より、実際に子育てを経験した今の方が、はるかに親への理解は深まっています。ただ単に年をとったからではなく、『親の気持ち』というのは、自分が実際に親になってみて、初めて分かることだからです。
そうして、自分と親を重ね見るようになった時、初めて、自分の親の価値――何がよくて、何が間違いだったのか――理解するものでしょう。
言い換えれば、「人を育てる」というのは、それぐらい長い道のりであるし、子供が成人したら、「はい、お終い」というものでもありません。
実際には、その後にも、じわじわ利いてくるもので、親子の歴史は本当に果てしないものだと思います。
皆さんだって、自分の両親を思い返した時、非の打ち所のない、パーフェクト・ソルジャーみたいな親だったとは思わないでしょう。
「短気なところもあった。八つ当たりもされた。でも、いろんな思い出を作ってくれた。ありがとう」
そんな気持ちじゃないでしょうか。
子供は「いい親」が好きなのではありません。
親として一所懸命に頑張っている「アナタ」が好きなのです。
もっと子供を信頼しましょう。
そして、子供と過ごす一日一日を大切にして下さい。