少女漫画の王道は、何と言っても、『ヒロインの心の成長』でしょう。
ドジで、弱虫で、我が侭だった私が、傷つき、苦しみながらも、思いやりのある素敵な女性に成長し、ついには、憧れのあの人と結ばれる――。
昔から繰り返される、型通りの筋書きに、飽きもせず惹きつけられるのは、そこに真の美しさがあることを、誰もが心の底では知っているからかもしれません。
ベルばらにも、そんな心の成長を物語る、非常に印象的な場面があります。
革命前夜、取り巻き達に見捨てられ、ベルサイユに取り残されたマリー・アントワネットが、何もかも諦観したように、「いま、わたくしが生きているのはもう……愛する子供たちと女王としての誇りと……」とつぶやくと、オスカルが、「フェルゼンのために生きていると、なぜおおせにはなりませんのか。おっしゃて下さい、昔のように」と迫ります。
それ以前、フェルゼンとの恋が宮廷中の噂になり始めた時には、オスカルは、「ご自身の立場をおわすれでございますか!」とマリーに厳しく詰め寄り、「あなたに女の心をもとめるのは無理なことだったのでしょうか」とマリーにしたたかに打ちのめされています。
その頃を思えば、なんとまろやかな成熟ぶりでしょう。
オスカルはもう、立場がどうとか、義務がどうとか、若い頃のように、一方的に責め立てたりしません。その苦しみを理解する一人の友として、マリーに寄り添っています。
「フェルゼンは必ずもどってまいります、そういう男です」と涙ながらに語るオスカルの表情には、男性の情愛の深さを確信するものがあるし、自身もまた、そうした愛に支えられているという自負が感じられます。
あの場面で、マリーを支えるオスカルは、王妃に仕える武官ではなく、愛を知った一人の女であり、同じ痛みと悦びを分かち合う、心からの同志ではないでしょうか。
愛を知って結実したのは、アンドレとの絆だけでなく、マリーとの友情もそうだと思います。
ベルサイユに取り残されたマリーも、オスカルの言葉に生きる勇気を与えられただろうし、オスカルも、最後の最後に、本当の意味でマリーの支えになれて、生涯の務めを果たした充実感があったのではないでしょうか。
第3巻『許されざる恋』で、フェルゼンとの許されざる恋に身を焦がすマリーに、とうとうと正論を説いて、「あなたに女の心をもとめるのは無理なことだったのでしょうか」と諭されていたオスカルにもやっと理解できるようになった恋する女の気持ち。
四角四面のオスカルが、もうちょっと女心の機微を理解する世知に長けていれば、マリー様もポリニャック伯爵夫人に心の慰めを求めることなどなかったでしょうに。
女同士の友情の本質は「正義」ではなく「共感」という真理を感じさせるエピソードです。
コミックの案内
第7巻『美しき愛のちかい』は、フランス革命への序章となる三部会の顛末、国民に沿うオスカルの心情、愛の告白など、最高に盛り上がるパートです。
なお、現在、刊行されているKindle版の表紙は、第9巻『いたましき王妃の最後』の絵柄で、集英社マーガレットコミックのオリジナルは下図の通りです。