言葉は怖い。人を癒しもすれば、傷つけもする。だけど言葉の本当の怖さを知ったのは、メルマガで配信するようになってからだと思う。
「人は言葉を作るが、やがては、人が言葉に作られるようになる」
それが私の得た第一の教訓だ。
人間、言葉によって一つのスタイルを作ると、いつしかそのスタイルに支配されるようになる。自分が言葉の主人のつもりが、いつの間にか、言葉の奴隷になってしまうのだ。
辛口コラムばかり書いていると、どんどん物の見方が批判的になってゆくし、癒し系ばかり書いていると、現実の歪みを美しいオブラートで誤魔化す癖がついてしまう。
「自分に限って、そんなことはない」と思われる方は、一度、毎日毎日、人の悪口ばかり書き続けてみて下さい。いつの間にか、自分の書く悪口に、自分自身が蝕まれるようになりますから。
言葉は、自分の現実をも書き換える。
たとえば、自分の恨み辛みを書き綴るのが得意な人がいる。ファンはその怨み節に惹き付けられているから、次も、その次も、怨み節で行くことになる。そうすると、現実にも、怨み節のネタになるような不幸が次から次に訪れる。だから、また書く。すると、訪れる。その繰り返し。
言葉と現実の相互作用とでもいうのだろうか。潜在意識に刷り込まれた言葉は、自分の現実をも支配する。無意識に作り出すのだ。その言葉が求める状況を。
私の好きな占い分析に、「福耳だから金持ちになるのではない。『福耳は金持ちになる』と信じ込むから、金持ちになるのだ」という教えがある。
言い換えれば、「今年は厄年だから、大きな災いがある」と不安になるのと同じだ。厄年だから災いがあるのではない。『厄年は災いがある』と信じ込むから、災いを招くのである。
潜在意識に刷り込まれた言葉は、それほど強烈に人間を支配する。そしてマイナスの言葉ほど意識にしみ込みやすい。なぜなら、私たちは、自分が本来、幸福に恵まれ、成功に値する人間だということを教えられていないからである。──失敗を恐れる大人、あるいは成功に無縁の大人によって。
ならば、幸運を呼び寄せ、成功を導くことなど簡単な事だ。「俺は運がいい。頭もいいし、実力もある。何をやっても必ず成功する」潜在意識の原盤を、そう書き換えればいい。失敗するのは、どこかに不安があるからだ。「出来ない」という思い込みがあるからだ。
そんなものは、今、この瞬間から捨ててしまえ。私たちは、不要な思い込みによって、どれほどの運と機会と愛情を、自ら逸してきたことか。
必要なものは、時機が来れば、必ず与えられる。だがその前に、私たちは、それを得るにふさわしい人間だということを、まず自分自身に言い聞かせることだ。
ともかく、人間というのは、つくづく言葉で生き、言葉で死ぬ動物なんだなあと思わずにいない。たった一言が、人間関係を壊すこともあれば、相手にとって一生の励みになることもある。人を生かすも殺すも言葉次第、私たちは言葉に作られてゆくのだと。
これは私のささやかな日常の努力だが、私は自分に対しても、他人に対しても、極力、悪い言葉、否定的な言葉を使わないようにしている。「あいつ、ムカつく」と思った瞬間、その人は「ムカつく」人間になるし、誰かに「あの人、***だよね」と言った瞬間、その人は自分にとっても、相手にとっても***な人間になってしまうからだ。
言葉は魔法だ。
人を、いじけた人間にも、自信にあふれたスーパーマンにもする。
同じ言葉を掛けるなら、人を喜ばせる言葉を多く使った方がいい。
自分にも相手にも喜びを与える。
そして、その喜びは、自分と相手の運気をも不思議なくらい変えてしまう。
『幸福は幸福を呼ぶ』と言うように、明るい言葉、優しい言葉、肯定的な言葉は、たくさんの幸福を連れてくるようだ。もちろん、元手はタダである。
中には、他人に優しくするのは損だと思っているヒネクレ者もいるが。
何かに行き詰まった時、人間関係に悩んでいる時、毎日が面白くない時、自分の言葉の奴隷になっていないか、ちょっと振り返ってみて下さい。
案外、自分にも他人にも、マイナス・メッセージを発しているものです。
初稿: 2001年3月9日