まず第一に、一つ屋根の下で暮らすのが無理だと感じたら、物理的・精神的に距離をおくこと。
親が憎い、親から離れたいという気持ちに罪悪感をもたないこと。
また、離れようとする子どもに対して、裏切られたとか、自分を否定されたとか思わないこと。
親から離れた子どもは自分の人生にフォーカスし、親の呪いに囚われないこと。
また親自身も自分の人生にフォーカスし、自己の安定を得る為に子どもを利用しないこと。
何にせよ、一足飛びに問題が解消することはなく、親も子も、大なり小なり苦しみを背負って生きていくことになる。
だが、それも人間の真実と受け止め、憎悪も自分の一部と受け入れる余裕があれば、少しずつ気の持ち方も変わっていく。
成長のゴールは、正しい大人になることではなく、善も悪も含めて人間に対する洞察を深めること。親を一人の人間として理解することである。
また親も子どもが一足飛びに物事を理解すると期待しないこと。
人間が多くの経験を重ねて、物事を学ぶには、十年、二十年、あるいはそれ以上の歳月がかかる。
それは親にとって大変な気苦労に違いないが、子どもの為に悩むことこそ愛の証であり、子どもを立派に育てることが全てではない。
それよりも、親になって、親の気持ちと子どもの気持ち、両方わかるようになった事に、もっと意義を見出しませんか、という話です。
https://moko.onl/2nd-childhood
ある意味、
子供は親になってみないと分からないことがたくさんあるし、
親も、親自身が自立に失敗していたら、子供の心も分からなくなります。
何にせよ、
立派に育てようだの、
こんな大人になって欲しいだの、
育児の理想に拘らなければ、子供も勝手に自立して、いつの間にかちゃんと大人になるものです。
親自身、自分の身の回りの人間をどうすることもできないのに(配偶者とか、職場の同僚とか)
こと我が子なら、自分の思う通りになるかもしれないと期待するのは、どういう了見なのか。
我が子といえど、自分とはまったく異なる人間を育てているのだから、
どこかで見切りをつけて、好きなようにさせないと、
しまいには恨まれますよ。
どんな人間も、自己の尊厳や将来を踏みにじられたら、凄まじい憎悪の炎を燃やすものですから。(ほんとの話です)
恨まれるよりは、頼りない方が、まだ人間としては救いがありますよ。
親に頼れないとなれば、子供はひたすら頑張るだけですから。
でも、親への恨みは、確実に心を腐らせ、人生を過ちます。
言い換えれば、子供が「お父さんもお母さんも大好き」と思える時点で、子育ては99%成功しているのですよ。
それに勝る成功育児はありません。