寺山修司 『片想いの詩集』より
どんなに一生懸命唄っていても、相手にはその声がきこえません。
片想いを「虚しい」などと思わないで。
たとえ、ひとりぼっちでも、音が響いているのは、心が生きている証です。
ぼくは、広い空を見上げてると、何だかかなしくなりました。
ぼくの まだ見ぬ片恋の相手は、どこにいるのだろうか?
恋は、出会う前から始まっています。
まだ見ぬ恋の相手に思いを馳せる気持ちが、憧れの人を呼ぶのです。
乙女が恋を夢見ることは、少しも恥ずかしいことではありません。
むしろ、恋を夢見る気持ちが、女の子を綺麗にするのです。
元々、恋は、一方的なもの。
相手にされようが、されまいが、
心の中で、一人で戯れるのが恋。
そんな思いを、世界中で、自分一人が知っておればいい。
そういう詩です。
自分自身の心である生まれてから何回ドアを閉めたか
思い出すたび
ひとは老いる
みんなが一つずつ
自分の海をもてばよいのだ
わかれるとき
どこへでも持っていけるように
人は暗い気持ちや嫌な思い出に鍵をかけて、
そこから目を反らそうとするけれど、
心は心。
気持ちは気持ち。
自分の一部に変わりない。
辛い気持ちも、暗い過去も、そのまま持って行けばいいのです。
自分が生きた証として。
※ コメントは管理人の筆です。
恋のノウハウだけでは、女の子は綺麗になれない
本当に恋をしたら、きれいな詩集でも読みましょう。
功利的な恋愛コンテンツばかり眺めて、「どうしたらモテますか」「もっと彼に愛されますか」みたいなことばかり考えても、映画みたいなロマンスなんて一生経験できないよ。
女の子だって、男性が「女を悦ばせる10のテクニック」とか「巨乳列伝」みたいなコンテンツばかり眺めてたら、気持ち悪いと思うでしょう。
それと同じで。
いつも自分が眺めてる恋愛コンテンツを相手の男性に見せて、どんな反応が返ってくるか想像してごらん。
「こんなものばかり読んでいるのか」と呆れられると思いますよ。
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「彼氏がいること」=恋愛 じゃないし。
もう少し「人を好きになること」を愉しんだらどうかと思う。
淋しさや悲しさもひっくるめて。
ある意味、純粋に誰かを好きになれるのは、10代、20代のうちだけ。
その美しい時期を誤解と思い込みで終わってしまうのは非常にもったいない気がします。
初稿 2014年10月19日