人は労働を通して社会的存在になる ~カール・マルクスの哲学

パパの好きなモットーは?
――すべてを疑え!

カール・マルクス

目次 🏃

若い人がマルクスを読むべき理由

若い人が、一度はマルクスを読むべき理由は三つあります。

  • 人と社会の関わりを理解する
  • 人と社会にとって、労働(仕事)とは何かを理解する
  • 資本主義体制と賃金労働の本質を理解する

もちろん、マルクスが唱えた「私有化の廃止」「平等な配分」などは、現代において相当無理があるし、それを試みて、失敗した国家も数多く存在します。

しかし、人々が当たり前のように考えている「賃金労働」について、初めてその本質を著したのはマルクスですし、その本質は現代も変わっていません。

なぜなら、多くの賃金労働者は、仕事を辞めれば社会的には死ぬからです。(先進国においては、社会福祉やボランティアが機能して、行き倒れになることは少ないですが)

詳しくは、記事後半で紹介していますので、興味のある方はご一読下さい。

映画『マルクス・エンゲルス』

手っ取り早く時代背景を知りたい人は、映画『マルクス・エンゲルス』がおすすめ。私も見放題で鑑賞したことがありますが、当時の社会の様相を分かりやすく描いており、友情ドラマとしても上出来です。社会的作品ながら、説教くささもなく、熱血ビッグコミックという感じ。暇つぶしにもおすすめ。

ちなみに、私がマルクスを読み始めたのは、90年代半ば、リストラの嵐が吹き荒れた超氷河期のど真ん中。私自身は逃げ切り世代ですが、どこの職場もリストラ、リストラで、人員整理や事業縮小が「最先端の施策」のように解釈され、大勢が傷つき、苦しんだ時代でした。今もそうですが。

マルクスに関しては、下記URLでも紹介しています。

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マルクスの名言と解説

プロレタリアートは何か 労働力を差し出す以外に生き延びる方法がない人々

プロレタリアートとは、自分の生活の維持する費用を、ただ自分の労働力を売ることによってのみ得ていて、あらゆる種類の資本の利潤からは得ていない社会階級である。
その幸福と不幸、生と死、その存在全体は、労働の需要、景気の変動、どう決まるかわからない競争の結果などにかかっている。

「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」――

有名なマルクス・エンゲルス共著『共産党宣言(Kindle版)』は、この一節から始まっています。

この社会は、遠い昔から、「支配する者」と「支配される者」、「もつ者」と「もたざる者」に二分されてきました。歴史とは、それを是正しようとする試みの連続で、国と国同士の争いも、突き詰めれば、格差があまりに拡がり、抑えがきかなくなるところにあります。分かりやすく言えば、皆がお腹いっぱい食べられる間は、王さまや貴族が贅沢な暮らしをしても、さほど気にならないが、飢饉や戦争で貧困が深刻化すれば、庶民も黙ってないし、また王さまや貴族も庶民の腹を肥やすために、隣国に戦争を仕掛けて、富の増大を試みる――といったところです。

マルクスは、資本主義社会を構成する二つの層を、「ブルジョアジー」「プロレタリアート」という名で表しました。ブルジョアジーは工場や予算といった生産手段を持つもの、プロレタリアートは、どこかで雇ってもらって、賃金労働しなければ生活していけない層です。現代人が、「デキるサラリーマン」「高収入のエリート」と仰ぎ見る人も、本質的にはプロレタリアートであり、雇用あっての高収入です。AppleやGoogleの社員でも、解雇されれば、タダの人。収入も途絶え、肩書きもなくなるんですね。

マルクスの時代には、労働法も失業保険も存在しなかったので、子どもまでもが重労働に駆り出されていました。労働環境も今以上に劣悪で、働いても、働いても賃金は増えず、ボーナスや有給休暇もありません。それとは正反対に、工場や農場など、生産手段を持つ者は、作れば作るほど儲かり、豊かになります。

それはおかしいんじゃないか、と。

資本主義社会において、賃金労働は何なのか。

また、人間にとって、「働く」とは、どういう意味をもつのか。

それを真正面から考え、科学的に分析し、解決策を見出そうとしたのがマルクスなんですね。

当時は、福祉や公助といった考え方も、現代のように確立されていませんでしたから、「私有財産の廃止」みたいに極端な主張になりましたが、もしマルクスが現代に生きていたら、弱者や敗者も安心して暮らせる「人道的資本主義」を目指したのではないかと思います。要は、社会から落ちこぼれた人が孤立、貧困、餓死に陥り、しいては社会全体を脅かすことが問題であり、商才のある人がたくさん儲けたからといって、それ自体が罪ではないからです。実際、私たちが動画配信サービスやビデオ通話を楽しめるのも、「アイデアのマネタイズ」を目指した人が必死に努力した結果ですから。

今となっては、マルクスの主張が正しいか否かの問題ではなく、マルクスの労働哲学をどう生かしていくかです。現代社会において、賃金労働がどういう意味を持つか、本質を知れば、悪質なブラック企業など、放置していいわけがないでしょう。方法は違っても、目指す方向は同じ。共産主義者になる為にマルクスを読むのではなく、現代の経営論や成功法則とは異なる視点から社会・労働について考えるために目を通す、ぐらいの立ち位置が現代の読者には丁度いいのではないでしょうか。

生きるも死ぬも、労働力を提供できるか否かにかかっている

プロレタリアにおける最大の不幸は何か?
それは生存は保証されず、生産手段をもたない裸の存在であり、その代わり売るものは唯一つ、“労働力”であり、生きるも死ぬも、これにすべてがかかっている――

自分がどちらの側に属するか、分からなければ、仕事を辞めた時のことを想像しましょう。

リストラで解雇された時、あなたは明日から食べていくことができますか? 電気代や家賃は誰が払ってくれるでしょうか。アパートに住めなくなれば、何所に行けばいいですか?

解雇や病気などで、収入が途絶えた時、路頭に迷うしかなければ、あなたは立派な「プロレタリア」です。

有名企業の社員でも、労働力を売ることによってしか、己の価値を打ち立てられないとしたら、「プロレタリア」なのです。エリート社員=資本家ではありません。

現代は、福利厚生や失業対策も充実しているので、マルクスの言葉を実感することはないですが、いつかあなたが会社を解雇され、どこからも生活費を得られず、家賃も払えなくなった時、マルクスの言っている事の意味がよく分かると思います。

それに対して、現代社会はどのような施策を行うべきか。

それが現代においてマルクスを読む最大の意義だと思います。

人間は労働を通して社会的存在になる。

人間は労働を通して社会的存在になる。
社会的存在とは、自分一人の世界の中ではなく、人々との交流の中に生きているということである。

この一説に、マルクスの労働哲学が集約されています。

【人は賃金のみに働くにあらず】

それは職場でいじめられ、人間としての尊厳を踏みにじられた人が一番よく分かっているのではないでしょうか。

じゃあ、給料を500円UPすれば解消するか。そんなわけがないですね。あなたが一番求めているもの、それは、やり甲斐や感謝、尊敬だと思います。名も無いスーパーの惣菜係でも、お客さんに感謝され、仲間にも慕われる職場なら、安月給でも、まあまあ納得いくと思います。(だからといって、安月給でOKではないですが)

それは、賃金も大事だが、人間としての尊厳の方が、もっと大事だからです。

生き甲斐を感じさせる『仕事』と苦役としての『労働』の違い ~Work, Job, Laborにも書いていますが、私たちの多くは、一人の人間として社会に役立つこと、また、それを正当に評価され、感謝されることを求めています。賃金UPと尊厳と、その両方を目指すのが理想です。

苦役にしか感じられない労働は、疎外された労働である

労働の生み出したもの――つまり生産物が労働者にとって疎遠なものになるのは、労働という行為そのものが労働者にとって疎遠になっているからである。
苦役にしか感じられないような労働は、まさしく【疎外された労働】であって、苦役の労働者は働くことにも、また働いた成果にも何の興味を抱こうともしないだろう。
そういう不遇な労働者はすべてを金のためと割り切って、自分を慰め、自分の行為を正当化するしかない。

マルクスは、「人間は働けば働くほど、その生産したもの中に生命を奪われていく」状態を、【疎外】という言葉で表現しました。

たとえば、アパレル業界の末端で働く人が、ただ賃金を得るためだけに、安い給料で長時間、裁縫を強いられるとしたら、それは『仕事』ではなく、『苦役』ですね。

いても、いなくても、構わない。

会社の指示通り、黙って、ミシンを踏めばそれで良い。

おかげで会社は儲かるかもしれませんが、従業員はみじめです。

社長や重役が高級リゾートで豪遊する時も、従業員は狭いアパートで、パンの耳をかじるような生活です。

こんな状態で、果たして、社会の一員と言えるでしょうか。

「富を平等にする」とまではいかなくても、従業員だって、年に一度は海外旅行を楽しむくらいの余裕は欲しいはずです。

無意味な労働と社会的疎外は、人を不幸にするだけで、本当に価値あるものは何も生み出しません。

そして、不幸な人が増えれば増えるほど、社会的怨嗟は増大し、いずれ会社だって、不況や社会不安に脅かされて、商品が売れなくなってしまうのです。

労働の目的が富の増大である限り、労働そのものは有害である

一般に労働の目的が富の増大である限り、私はあえていうが、労働そのものは有害であり、破滅的である。

資本主義というのは、経済優先、数こそ正義の世界です。

きれいごとを並べても、一銭にもならなければ、話になりません。

充実した福利厚生も、行き届いた社員教育も、会社が儲かればこそです。

その為に、会社は一銭でも儲けることを目指すし、目標達成においては、理不尽な社員整理も行なわれます。

ある意味、現代の不幸とは、現実ときれいごとのギャップにあるといっても過言ではありません。

だからといって、数、数、数を追いかければ、社員は部品のように扱われ、ますます不幸になるだけです。

それでも、雇う側が「社員も人間」を意識するだけで、職場環境も大きく違ってくるのではないでしょうか。

誰もがその会社の社員であることに誇りをもてる職場こそ理想です。

疎外された労働とは何か

労働の疎外は、第一に、労働が労働者にとって外的であること、すなわち、労働が労働の本質に属していないこと、そのため彼は自分の労働において肯定されないで、かえって否定され、幸福と感ぜずに不幸と感じ、自由な肉体的および精神的エネルギーがまったく発展せず、かえって彼の肉体は消耗し、彼の精神は荒廃するということである。
だから労働者は、労働の外部ではじめて自己のもとにあると感じ、そして労働の中では自己の外にあると感ずる。
彼の労働は自発的なものではなく、強いられたもの、強制労働である。
したがって、労働は欲求を満足させるものではなく、労働以外のところで欲求を満足させるための手段にすぎない。

人間にとって最大の幸福は、「自分を生かせる仕事に巡り会うこと」だと思います。

誰もが自分の能力を生かし、社会の役に立つことを願っています。

もちろん、賃金も欲しいけど、それ以上に自分を生かしたい。

そのひと言に尽きると思うんですね。

本来、「仕事」というものは、人を『社会的存在』にならしめ、自己実現のきっかけを与えてくれるものです。

たとえ、マックジョブのような「誰にでもできる仕事」であっても、接客センスを活かし、チームリーダーや店の看板として活躍している人はたくさんいます(マックジョブも、誰にでもできる仕事とは思いませんが)

人には、真面目、器用、明朗、責任感など、様々な長所があり、スナックのママみたいに、個性と職業が合致して、商売繁盛、お客さんにも喜んでもらえれば幸せです。誰もが大企業の役員になりたいわけではありません。

にもかかわらず、業務を押しつけられ、個性も、才能も封じられ、人間の尊厳も踏みにじられたとしたら、それは奴隷労働に他なりません。

能力を発揮できない人には、必要とするものが十分に与えられるように

人間が集団で生きてゆくにあたってもっとも肝心なことは、ひとりひとりの人間の柔軟な感性と個性に対応できるようなシステムが保証されていることである。そして同時に大切なのは、社会に対してほとんど「能力」を発揮できない人にも、そういうこととはまったく無関係に、必要とするものが十分に与えられることなのである。

世の中には、算数が苦手な人もいれば、体力的に弱い人もあり、人それぞれです。

一方で、接客は得意だったり、書類仕事は正確だったり、何をやっても駄目な人はありません。

また、若くして大病を患うこともあれば、家族が倒れて介護が必要になることもあります。

そんな人でも、生活支援とは別に、社会と繋がっていけるような仕事と役割が必要です。

誰にでも就業と復活のチャンスがあるのが、真に豊かな社会の証しです。

各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!

共産主義社会のより高度の段階で、すなわち個人が分業に奴隷的に従事することがなくなり、それとともに精神的労働と肉体的労働との対立がなくなったのち――、
労働が単に生活の為の手段であるだけでなく、労働そのものが第一の生命の欲求となったのち――、
個人の全面的な発展にともなって、またその生産力も増大し、共同的富のあらゆる泉がいっそう豊かに湧き出るようになったのち――
そのとき、はじめてブルジョア的権利の狭い視野を完全に踏み越える事ができ、社会はその旗にこう書く事ができる。
各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!

まさに言葉通り。

対人関係が苦手な人も、作業ペースが遅い人も、それぞれの個性や能力に応じて仕事が与えられるのが理想です。

賃上げは人間的使命や品位をかちとったことにはならない

賃上げは、奴隷の報酬改善以外のなにものでもないだろうし、
労働者にとっても、労働にとっても、その人間的使命や品位をかちとったことにはならないだろう。

これも言葉通り。

違法な長時間労働がまかり通っているような職場で、時給を10円アップしたところで、何の解決にもなりません。

賃上げすれば従業員も納得するだろう、というのは、経営側の傲慢であり、人間の尊厳が踏みにじられる限り、賃金は救いにならないと思います。高給取りでも、パワハラでノイローゼになる人がいるように。

本当に社員教育が必要なのは、雇う側であり、雇い主が愚かだと、どれほど優秀な社員が入ってきても、誰も幸福にはならないのです。

経済のシステムが変われば、社会も人間も変わる

人間の物質的生活を決めるのは社会の経済システムであり、この現実の土台の上に、法律的政治的上部構造が聳え立ち、また人々の意識もこの土台に対応する。
物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活の様々なプロセスを制約し、人間の意識が存在を規定するのではなく、逆に人間の社会的存在がその意識を規定する。
そして、経済システムという下部構造の変化によって、巨大な上部構造はくつがえる。
つまり経済が社会と人間の全てを決める要因であって、経済のシステムが変われば、社会も人間も変わるのである。

上記のような思想に支えられ、あちこちで革命運動が起きました。

経済システムを変革し、ブルジョアジーが独占してきた生産手段を一般に開放し、平等な社会が実現すれば、人間も幸福になる――と信じてきたからですね。

しかしながら、能力や適性の個人差は均一化できるほど単純ではないし、勤勉家と怠け者が同等の扱いを受けて納得できるものでもないです。

現代においては、経済システムの変革より、人道的施策に注力する方が現実的と思います。育児休暇や復職支援、失業手当や傷病手当などです。やる気と体力があれば、いつでも復帰が可能で、人間的な生活も保障される、というのが、理想でしょう。

方策は、時代に応じて変わります。

大事なのは、問題の本質を見失わないことです。

真の革命とは、個人の意識の変革

世界を変えるにはどうすればいいのか。
革命の担い手であるプロレタリアに自らの使命と任務を自覚させることである。

日本の労働者はおとなしいですが、外国などは、しょっちゅうストライキをやってますし、何かあれば、すぐ弁護士が飛んできて、法律違反だ、人権侵害だと法廷に持ち込みます。社会改革というよりは、労働者の権利意識が高く、日本みたいな経営者信仰もありません。全ては平等、契約どおり、契約書に「一日8時間」と書かれていたら、それ以上は働かないのが当たり前なのです。

そういう意味で、「プロレタリアが自らの使命と任務を自覚する」というのは非常に有効ですし、気付かなければ、一生、奴隷のまま。自分たちでアクションを起こす以外にないんですね。

ストライキとまではいかなくても、しかるべき機関に相談する、転職の準備をするなど、個人で出来ることはたくさんありますし、日本社会の場合、ステルス抗議が一番有効かもしれません。

地上で最も強いのは人と金のコネクション

自分の生産物の販路にたえず拡張していく必要にうながされて、ブルジョアジーは全地球上を駆け回る。
彼らはどこにでも腰をおろし、どこにでも住み着き、どこにでも結びつきを作らなければならない。

これも非常に有名な一節です。現代にも十分通じます。

マクドナルドやスターバックスをはじめ、グローバル企業の勢いは本当に凄まじいです。

マクドナルド創業者のえぐい現実を描いた映画『ファウンダー ハンバーガー帝国の秘密』でもありましたが、「キリスト教会みたいに、一つの町に、一つのマクドナルドを目指す」という理想は、交通網の発達により、あっさり実現しました。大航海時代なら、現在のマクドナルドネットワークを築くのに、100年以上かかったと思いますが、今は新興住宅地が開けると、すぐにマクドナルドがオープンするスピード感です。一節には、マクドナルドは不動産業という話もありますが、それも頷ける話です。

いずれ月面や火星にもマクドナルドはオープンするし、マクドナルドのロゴ入りの宇宙探査船が飛んで行く日は近いです。

国は滅んでも、企業は決してなくならないのです。

【まとめ】 社会に対する怨念から救世の思想は生まれない

マルクスは積もり積もった怨念から経済システムを覆そうとしたのでしょうか。

私はそうは思いません。

結果として、激しい革命運動に繋がっただけで、マルクスが現代に生きていたら、経済ブロガーになって、コラムとか書きまくってたんじゃないでしょうか。フォロワーも1億人以上いて、喜んで論争してたような気がします。

いつの時代も、革命はあくまで手段であって、目的ではありません。

革命のために革命を起こすのではなく、結果として過激な市民運動に繋がっていく――話し合いの余地すらなくて、市民が武器を手にするようになる――といった流れです。

それよりも、思想の根底にあるもの、そして方向性が重要です。

単なる恨み辛みから政権転覆や体制変換を図るなら、それは新たな独裁者の誕生に他ならないし、前よりもっと悪くなる怖れもあります。

理念なき改革は、改悪でしかないんですね。

現代においては、マルクスは旧世界の亡霊みたいに煙たがられていますが、マルクスを読んだからといって、誰もが即、共産主義者になるわけではないし、一つの分析として知っておくことは決して悪いことではないです。それが正しいか否かは、自分で判断することですし、「人間とは社会的存在である」「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」のように、現代にも通じる名言もたくさんあります。

読書と政治的意図はまったく別ですし、なぜ世界が彼の思想に熱狂したのか、改めて分析することで、今後の国づくりの参考にもなるのではないでしょうか。

次のページでは、『変革は現実を知ることから始まる』『思想を支え、それに生気と力を与えているのは理想と願望である』など、コラムを掲載しています。

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『思想を支え、それに生気と力を与えているのは理想と願望である』(木原武一氏)

1995年、筑摩書房から刊行された木原武一『ぼくたちのマルクス』という学生向けの本に次のような言葉があります。

思想を支え、それに生気と力を与えているのは理想と願望である。

「どこにもない」ユートピアについて考えるのは、大きな尺度によって現実の卑小さを知るためであり、現実の中にある理想を発見するためでもある。理想の形を知ってこそ、現実の歪みがわかってくるのである。

木原武一『ぼくたちのマルクス (ちくまプリマーブックス)』

現代は、「理想」を持ちにくい時代です。

現実があまりに重く、複雑なために、どんな理想も「きれいごと」にしか見えないからです。

しかし、旅には地図が必要なように、社会もどこに向かうのか、指針となるものが不可欠です。

今日は儲け主義、明日は節約主義、その次はどうなるか分かりません・・というような社会は、誰もが不安で、自分の立ち位置を見失ってしまいますね。

学校でも、会社でも、「きれいごと」と分かっていても、「人間尊重」「三つの喜び」「わたしたちは、地球的視野に立ち、世界中の顧客の満足のために、質の高い商品を適正な価格で供給することに全力を尽くす。」のようなモットーを掲げるのは、自分たちの方向性を明らかにして、道を踏み外さないためです。(ちなみに、このモットーはHONDAの企業哲学)

世の中、儲け主義だから、オレたちもズルして儲けようぜ、みたいな会社の商品を、誰が欲しがりますか。

特に理想はないけど、隣が頷けば、自分たちも頷く、みたいな国に住みたいと思うでしょうか。

何の理念も示さない国や企業に明るい未来はありません。

激動の時代だからこそ、「自分たちはこうだ」という強い意思とアイデンティティが不可欠なんですね。

子供たちが、仮に『この世界には善も悪もなく、要するに歴史はでたらめであり、この世は無意味な場所である』と知ったら、彼は生きる意欲を失い、勉強する気にもならないだろう。
もし、この世が無意味な世界であるとしたら、何を学んでも無意味と言うことになってしまう。この世界に意味があるからこそ、そこで人間がすることも意味を持つことができるのである。
教育の出発点はそのことを教えることである。
この世界は生きるに値する、意味あるところなのだと。

私の記憶する限り、80年代のお笑いブームを境に、真面目なことは否定され、茶化したり、嘲るのが主流になってきました。その後、バブルが弾け、氷河期が訪れると、今度は冷笑系が爆誕し、そのまま何をも省みることなく、今に至っています。

こうした嘲笑や冷笑がもたらしたのは、社会通念の軽量化で、何でもひと言で切って捨てるのが利口の証しのようになっています。

しかし、世の中には、ひと言ふた言で語り尽くせない大事なことがたくさんあり、人の生き方や理念などは最たるものでしょう。

本来、時間をかけて、丁寧に説明しなければならないことも、「要約」「分かりやすく」を優先するあまり、白か黒かの価値観しかない、浅はかな物の考えが一般化しているような気もします。

ただでさえ不安定で、一つ梯子を踏み外せば、底辺まで転落するような時代、果たして、ひと言で切って捨てるような考え方が迷える若者の心の指針になるとは到底思えません。

これから何十年を生きねばならない子どもが、「世の中なんて、そんなもの」と言われて納得するでしょうか。

これから多くのことを学ばなければならない時に、「努力するだけ無駄。どうせ報われない」と言われて、やる気が出るでしょうか。

たとえ、きれいごとであっても、真理は一つだし、真理が揺るがないからこそ、複雑な現実にも柔軟に対応することもできます。

真理は地軸、現実は風です。

その地軸となるものを、茶化したり、逆張り否定しても、人を救うどころか、ますます闇にはまるだけではないでしょうか。

マルクスも、今となっては、事情に合わない部分がたくさんあって、仕事や処世のお手本にはなりません。

しかし、マルクスが指摘した労働の本質は今も変わらず、「人間は労働を通して社会的存在になる」「能力を発揮できない人には、必要とするものが十分に与えられるように」など、労働者の幸福に連なる部分は不変です。

マルクスの思想を労働哲学とするなら、「働き方改革」を初めて体系的に説いた社会活動家、という見方もできるのではないでしょうか。

労働における創意工夫も、やり甲斐も、権利が守られ、人間らしい暮らしが尊重される上で成り立つものです。

失敗しては鞭打たれ、経営者の風向き一つで解雇されるような環境では、仕事はおろか、人間らしく生きていくこともできません。

産業革命が進む19世紀、子どもが工場で働かされ、まともな福祉も機能しない時代に、マルクスの思想は生まれました。

彼が思い描くような経済システムは実現しませんでしたが、有給休暇や傷病手当、失業保険やレクリエーションは「労働者の幸福」を真摯に訴えたマルクスの遺産です。

もし、マルクスが、「現実なんて、こんなもの」「下級労働者が底辺の仕事で苦しむのは自己責任」などという考えだったら、苛酷な児童労働も、女性の人権無視も、いつまでも放置されたままだったかもしれません。

方法論は、あくまで方法論。

理想の核は、「人類の幸福」です。

それでもまだ理想は無駄、つらいのは自己責任と思いますか?

マルクスは理想をもって現実を是正しようとした人です。

その方法論は賛否ありますが、理想は間違っていません。

ぼくたちのマルクス (ちくまプリマーブックス)
ぼくたちのマルクス (ちくまプリマーブックス)

マルクスに関する書籍

マルクスがよく分かる書籍と映画

マルクスの著書も膨大ですが、初めての方は、いきなり著作から入らず、まずは生い立ちや当時の社会情勢について書かれたバイオグラフィーから入ることおをおすすめします。

そうすれば、なぜマルクスがこういう主張をするに至ったか、見えてくると思います。

その動機をひと言で表せば、『義憤』。

「なんにでも反対」の、反対屋ではないんですね。

先にも書きましたが、マルクスを読んだからといって、即、共産主義者になるわけではありませんし、共産主義者になる為にマルクスを読むわけでもありません。

なぜ、あの時代、労働者の幸福を目指して、一人の男が立ちあがったのか。

そして、その思想に、世界中の若者や労働者が引きつけられ、巨大なうねりとなったのか。

それを知るだけでも、仕事や社会に対する見方が変わってくると思います。

マルクス (FOR BEGINNERSシリーズ)

キャラクターと資本論の概略を理解したいなら、「人と思想」のビギナーシリーズがおすすめ。
1970年代調のサイケデリックなイラストも楽しく、文章も砕けた感じで、判りやすいです。
なぜ、共産主義のような思想が生まれたのか、雑学的に親しんで欲しい一冊です。

エドワルド・リウス (著), 小阪 修平 (翻訳) 1980年に刊行。
2010年に刊行された橋爪大三郎版とは異なるので、要注意。

マルクス (FOR BEGINNERSシリーズ イラスト版オリジナル 3)
マルクス (FOR BEGINNERSシリーズ イラスト版オリジナル 3)

共産党宣言

分厚くて、難解なイメージがありますが、実物は非常にコンパクトで、読了に1時間もかかりません。
万人向けに書かれた「わたしたちの理念」みたいな文章なので、一般人にも分かりやすいです。本というよりは小冊子という感じ。
若き日のマルクスとエンゲルスの熱意が伝わってくる、おすすめの一冊です。

共産党宣言 (岩波文庫) Kindle版
共産党宣言 (岩波文庫) Kindle版

人と思想 マルクス

上記で紹介している青少年向けの名言集です。
共産主義を煽るような思想本ではなく、マルクスの名言を通して、現代社会の問題や、人としての生き方など、分かりやすく解説する入門編です。
木原氏のコメントがいいので、大人でも気軽に読める一冊です。

マルクスは人間の自由について考えた哲学者であり、経済学者であり、歴史学者であり、新しい社会の建設をめざした革命家でもあった。マルクス主義とは何か。現在に生きるラディカルなヒントを探る。

ぼくたちのマルクス (ちくまプリマーブックス)
ぼくたちのマルクス (ちくまプリマーブックス)

伝記映画 マルクス・エンゲルス

本を読んでも、今ひとつイメージが掴めない人におすすめしたいのが、若きマルクスとエンゲルスの奮闘を描いた伝記映画がおすすめ。
現代風に味付けされており、脚本も良いです。
当時の過酷な労働環境もリアルに再現されており、「これが現実なら、見て見ぬ振りはできない」と納得がいきます。
マルクスのベッドシーンは余計だが・・(^_^;

26歳のカール・マルクスは、その過激な言動により妻と共にドイツ政府から国を追われる。1844年、彼はパリで若きフリードリヒ・エンゲルスに出会う。マンチェスターの紡績工場のオーナーの子息であった彼は、イギリスのプロレタリアート(労働階級)について研究中の身であった。しかし階級も生まれも違うエンゲルスとの運命の出会いは、マルクスが構築しつつあった新世界のビジョンの、最後のピースをもたらすことになる。マルクスとエンゲルスはやがて、政治的暴動や動乱をかいくぐって、まったく新しい労働運動の誕生を牽引してゆく・・

マルクス・エンゲルス

マルクス・エンゲルス(字幕版)

誰かにこっそり教えたい 👂
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