カフカ寓話集『ロビンソン・クルーソー』
ロビンソン・クルーソーが島のもっとも高い一点、より正確には、もっとも見晴らしのきく一点にとどまりつづけていたとしたら――
慰めから、恐怖から、無知から、憧れから、その理由はともかくも――そのとき彼はいち早く、くたばっていただろう。
ロビンソン・クルーソーは沖合を通りかかるかもしれない船や、性能の悪い望遠鏡のことは考えず、島の調査にとりかかり、またそれをたのしんだ。
そのため、いのちを永らえたし、理性的に当然の結果として、その身を発見されたのである。
知見は時に絶望しかもたらさない
IT全盛の時代、「知ること」は、現代人の処世術として不可欠だが、何でも知っているが為に、かえって慎重になり、結局、何も出来ずに終わってしまう人も少なくないのではないだろうか。
あれも不安、これもおかしいと身構えるうち、ついには食べることすら楽しめず、生きること自体が苦痛になってしまうのだ。
ロビンソン・クルーソーがしぶとく生き延びることができたのは「無知」のおかげであり、もし彼が高台に立ち、自分の絶望的な状況を知ったら、断崖から飛び降りていたに違いない。
よく知ることは、よく生きることであり、様々な情報が現代人に多くの利益をもたらすのは本当だが、最高の知見が必ずしも最上の結果をもたらすわけではない。
知り過ぎたロビンソン・クルーソーのように、かえって人の気根を挫き、いつか訪れる幸福を遠ざけてしまうこともある。
ロビンソン・クルーソーは、Google Mapで自分の居場所を知ることもなく、「いつか助かる」という根拠なき自信に支えられて、絶望の日々を乗り切ることができた。
こうした言葉を絶望名人のカフカが記しているのも興味深い。
書籍の紹介
迷路のような巣穴を掘りつづけ,なお不安に苛まれる大モグラ.学会へやってきて,自分の来し方を報告する猿….死の直前の作「歌姫ヨゼフィーネ」まで,カフカ(1883-1924)は憑かれたように奇妙な動物たちの話を書きつづけた.多かれ少なかれ,作者にとっての分身の役割を担っていたにちがいない,哀しく愛しいかれら.
初稿: 2018年9月20日