角川映画『野生の証明』の魅力
1978年、角川映画の全盛期、大ヒット作『人間の証明』に続く企画として、同じ森村誠一氏原作の『野生の証明』が映画化された。
(参考: 戦後日本の宿命と社会の不条理を描く 森村誠一『人間の証明』)
主演は、日本一無口が似合う男、高倉健。
自衛隊工作隊員・味沢岳史は、極秘任務の途中、飢餓で行き倒れになり、山道で女性ハイカー(中野良子)に助けられる。
(任務の内容は、3日分だけの食糧を携帯し、青木ヶ原の樹海を生き延びるというもの。隊員の大半が病気や怪我で脱落した)
女性ハイカーは近くの村に助けを求めるが、発狂したの男が村人を次々に惨殺し、彼女も巻き込まれてしまう。
任務の後、この出来事を知った味沢は、たった一人、奇跡的に生き延びた少女・頼子を養女として引き取り、死んだハイカーの妹で、社会正義に燃える新聞記者・越智朋子を陰から見守るため、保険外交員として羽代市に移り住む。
味沢と頼子は幸せに暮らしていたが、朋子の同僚の新聞記者とホステスが不審死を遂げたことから、地元で権勢を振るう大場一族に目を付けられ、かつての仲間である自衛隊工作隊からも追われる身となる。
最愛の娘、頼子を演じたのは、「目に不思議な光をもつ少女」というイメージで、何千人もの少女達の中から選ばれた、薬師丸ひろ子だ。
頼子は、村人惨殺を目撃したショックから、記憶喪失となり、未来の出来事や殺人現場が鮮明に見える『直感像』をもつに至った。
超能力少女のように、「何か来る――何かが大勢でお父さんを殺しに来る」という台詞は、劇場CMでも効果的に流され、本作のキャッチコピーである「男は、強くなければ生きられない。優しくなければ、生きている資格はない」「オオカミは生きろ。ブタは死ね」という、探偵作家レイモンド・チャンドラーの名言も一大ブームとなった。
本作の魅力は、高倉健をはじめ、大場一族の不正を追う新聞記者=中野良子、味沢の過去を追う刑事=夏木勲、かつての同志である特殊工作隊リーダー=松方弘樹の見事な演技もさることながら、地元政財界のドン、大場一成=三國連太郎の存在感が際立つ。しかも、愚がつくほどの親バカぶりで、跡取り息子の大場成明を若かりし日の舘ひろしが、いかにも阿呆っぽく演じているのが、また良い(それとも、あれは地なのか?)。ついでに、成明を補佐する筆頭若頭・成田三樹夫のドスのような迫力も、額に入れて飾りたいほどの国宝級だ。
脚本も、自衛隊が全面協力した、コンバット満載のオープニングから、涙のエンディングまで、一気に見せる。
高倉健といえば、昭和の男を代表する、渋い役どころで知られるが、本作では、ゴルゴ13のようなガンアクションや格闘もこなし、さすがゴルゴのモデルになっただけのことはあると納得させられる。
また、夏木勲も、地味な刑事役ながら、最後は特攻精神で渋いところを見せ、「味沢、死ぬなよ」の台詞は、女性ファンでなくとも、ぐっと心にくるのではないだろうか。
中だるみもなく、アイドルへの媚びもなく、これでもか、これでもかと試練が訪れる様は、時に残酷なほどだ。
だからこそ、その合間に挟まれた、本物の親子のような日常風景が心を和ませ、クライマックスで滂沱の嵐となる。
もう二度とこんな邦画は作られないし、高倉健や三國連太郎を超える役者も出てこないだろう。
今となっては、セットの古さは否めないが、70年代は本当にあのような町の作りだったし、田舎の村もあんな感じだった。
現代の町並みが当たり前になっている世代も、昭和を知る上で、参考になるのではないだろうか。
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共産主義者の森村誠一原作とあって、実に奥深い内容の映画となっている。違憲の軍隊と呼ばれる自衛隊の存在意義を、巧みな肯定と否定の技術で鑑賞者はそのことを考えさせられる。国民を守るための自衛隊が、国民に銃を向ける矛盾。そして、自らの犯した残虐性に疑問を持ち、除隊した味沢(高倉健)の持つ人間愛。一度は味沢を憎んだものの、その無差別な愛情に名台詞「おとうさーん」を叫んだ頼子(薬師丸ひろ子)の熱演は、今でも私の心に響いている。キャスティングも内容も実に豪華そのもので傑作といえる一枚だ。有事法制にゆれる現在に問題提起する、堂々たる森村誠一の力作。
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主題歌: 町田義人『戦士の休息』
本作の魅力を引き立てたのは、なんと言っても、町田義人の歌う主題歌『戦士の休息』だろう。
町田義人の張りのある歌声はもちろん、「男は誰も皆 無口な兵士」という歌詞が高倉健のイメージにぴったりて、これ以上ないほど感動的なCMソングだった。
「笑って死ねる人生」も、「無理に向ける この背中」も、1970年代の理想の男性像を彷彿とし、時代は変わっても、「男は黙ってサッポロビール」とつくづく考えさせられる。
男は 誰も皆 無口な兵士
笑って 死ねる人生
それさえ あればいいああ 瞼を開くな
ああ 美しい人よ無理に 向ける この背中を
見られたくはないから生まれて初めて辛い
こんなにも 別れが
【コラム】 笑って死ねる人生とは
公開当時、私は“お子さま”だったにもかかわらず、「好きな俳優は高倉健とスティーブ・マックイーン」という渋好みで、『酸いも甘いもかみ分けた大人の男性』が理想だった。
わけても、町田義人の歌う『笑って死ねる人生』というフレーズに心惹かれ、人間の納得いく死に際について思い巡らしたりもしたものだ。
ハリウッドに例えれば、「ふっ」と笑みをたたえて死んでいくハンフリー・ボガードという感じ。
友に裏切られようが、荒野で野垂れ死のうが、最後まで己の美学を忘れない。
強がりでもなければ、開き直りでもない、全てを乗り越えて、彼岸に辿り着いたような、ピュアな微笑みだ。
私も看護師という職業柄、いろんな人の死に立ち会ったが、実際、笑って死ねる人など稀有である。
『死は人生の集積である』という名言があるが、まさにその通り。
死を前にして、修羅となる人もあれば、後悔ばかりで一人淋しく死んでいく人もあり、なかなか理想通りとはいかない。
そして、不思議なことに、最後良ければ、全て「良し」なのである。
人間、死ぬ時は、身ひとつ、心ひとつ。
名声を得て、巨万の富を築いた一流企業の社長でも、人の恨みを買い、身内で揉めれば、鬼のような顔で死んでいくし、逆に、名もなく、金もなく、平々凡々とした下町のおやじさんでも、見舞いに訪れる家族があれば、仏のように美しい顔で人生を終えることができる。
人の死に様を見ていると、人生というのは、人格を高め、魂を磨くためにあるという事がよく分かる。
人として本当にやるべき事をやらなかったら、何を得ても虚しいものだ。
死ぬ間際、それを悟っても、二度と人生は返らない。
だからこそ、自分に対しても、周りにも、真心を尽くすことが何よりも大切なのだ。
笑って死ねる人生は、納得の人生でもある。
たとえ誰に理解されなくても、自分で納得できれば、それが最高の人生に違いない。
初稿:2000年12月22日 メールマガジン『eclipse』に加筆修正