ジョゼフィーヌに子供が生まれていたら、歴史も違ってた?  ~ナポレオンの強運の源

パリにあるロダン美術館の庭から、『考える人』の肩越しに、アンヴァリッドの壮麗なドームを、ほんの少しだが眺めることができる。

先に旅行した際は、時間がなくて、アンヴァリッド訪問は叶わなかったけれど、「ああ、あそこに、私の大好きなナポレオンが眠っているのだなあ」と思うと、心の中で静かに手を合わせたくなったものだ。

私が歴史上もっとも好きなカップルは、ナポレオンと6歳年上の妻ジョゼフィーヌである。

二人のどこに惹かれるかというと、「偉人」「天才」と称される稀代の男ナポレオンが、浮ついた未亡人に恋した上に(あれだけ優れた頭脳を持ちながら、女の素性は見抜けなかったのか?)、結婚後は、妻の浪費で、戦場にまで借金に追いかけられ、偉業の傍らで、浮気、嫁姑といった、泥臭い家庭劇を演じながらも、最後はやっぱりジョゼフィーヌを心の女として想い、死んでいった(おそらくはジョゼフィーヌも)プロセスに、愚かしくも温かい人間の心を感じるからである。

もしこれが、偉大な男と完璧な女の組み合わせであったら、何もかもが出来すぎて、フランス史も退屈きわまりないものになっていただろうと思う。

ところで、ジョゼフィーヌというと、「不実」「贅沢」「浮気者」と、悪妻の代名詞のように思われているが、彼女の振る舞いに悪意はなく、ただ自分の感情に素直で、善良な女であった、と私は理解している。

ナポレオンに対しても、「野暮で、無骨な、年下のチビ」と見下していたように言われているが、本当にそうなら、激戦地から次々に送られてくるナポレオンの恋文を、後世に残したりしない。

女は、どうでもよい男からの愛の言葉をいつまでもとっておくほど、ロマンチストではないからだ。

確かに、社交界の花形として洗練された彼女から見れば、ぎこちない年下の田舎士官は、女のプライドを満たしてくれるだけの、Toy boy (オモチャ)に過ぎなかったかもしれない。

しかし、自身の年齢を自覚し、人生の保障が欲しくなった、子持ちの未亡人としての打算があったにせよ、やはり、好きでもない男と結婚はできないと思うのだ。

まして、彼女は、初回の結婚に敗れているのだから。

ならば、何が彼女に決心させたのだろう。

ナポレオンは、本当に恋心だけで、この結婚を決めたのだろうか。

これは人によって違うだろうけど、『結婚』には、ある種の勘が働く。

愛しているとか、いないとか、一生一緒に居たいとか、なんとかよりも、「その人と結ばれるべくして結ばれる」、宿命的な予感が双方に働くものだ。

二人もまた、情熱や遊び心の向こうに、自分になくてはならない何かを感じ合ったのではないだろうか。

私の知り合いに、占い師に言わせれば、「非常に面白い」という夫婦がいる。

夫は、才気煥発な切れ者で、年商数億の経営者だが、運命学的には、大した金運は無いのだそうだ。

対して、妻は、これといった才能はないけれど、金運が抜群に良い。

夫に数億の収入をもたらしているのは、ひとえに、妻の金運なのだそうだ。

それを知らずに、夫が若い女にうつつを抜かし、妻と離婚したいと周囲に洩らした時、その占い師の言葉を、うちの母が伝えた。

夫がそれをどう理解したかは知らないが、その離婚話はあっという間に立ち消えて、今も夫婦は年商数億の生活を維持しているそうだ。

私が思うに、帝位に就くほどの強力な運勢を持っていたのは、ナポレオンではなく、むしろジョゼフィーヌの方だったのではないだろうか。

彼にとって、究極の『あげまん』だったジョゼフィーヌを、「世継ぎができない」を理由に離婚してからのナポレオンの凋落ぶりは、歴史が物語る通りである。

落ちぶれたジョゼフィーヌには、運を開いてくれる相手が必要だったし、天才的な素質を持ちながらも、機運がつかめないナポレオンには、それを後押ししてくれる強力な運勢が不可欠だった。

二人が結びついたのは、愛だの恋だの言う前に、「お互いが生き延びるために必要なものを持った相手」という、運命的な閃きがあったからではないか、と私は思う。

ところで、この夫婦は、残念なことに、子宝に恵まれなかった。

私も出産してからつくづく思うのだけれど、子供というのは、まさに「かすがい」。夫婦に、新しい結びつきをもたらし、しかも、日に日に鍛えてくれる、強力な接着剤である。

「かすがい」というのは、本来、「木材と木材とをしっかりとつなぐために打ち込むコの字型の金具のこと」を意味するのだが、その言葉通り、子供によって、鍛えられ、修復されるものが、どれほどあることか。

たとえば、夫婦喧嘩をした後、お互い口もききたくない、顔も見たくないような時でも、子供がニコニコ微笑んで、「パパ、ママ」と慕い寄ってくれば、いつまでも、ふくれ面でニラメッコしているわけにいかないし、子供がオムツからはみだすほどのウンチをもらせば、たちまち停戦し、協力態勢に切り替わる。

夜泣きが原因で大喧嘩した時も、子供の躾をめぐって激しく口論した時も、仲直りのきっかけを与えてくれたのは、いつも子供だった。

そして、それを何の作為なく、無邪気に与えてくれるからこそ、子供は天使であり、「かすがい」なのである。

もし、ジョゼフィーヌに子供が生まれていたら、世界の歴史は変わっていただろうし、二人の関係も、もっと違ったものになっていただろう。

ナポレオンも、ロシアくんだりまで遠征したりせず、適度な所で保守的になって、晩年は、そこいらの好々爺になっていたかもしれない。

だが、歴史は二人に子供を与えず、離婚という形で運の流れを断ち切った。

神が夫婦を分かったのではなく、歴史がそれを許さなかった……と、私は思いたい。

現代は、少子化が叫ばれて久しいけれど、それでも巷には、「子供なんて次から次に生まれてくる、彼らの未来も知れたもの」という空気が漂っているように感じられてならない。

しかし、その中の一人は確実に、未来の総理大臣になり、数人は、数万の従業員を抱えるような大企業の統率者になり、幾人かは、世界を変えるような発明をし、賢く育った子供たちは、社会に役立つような仕事をして、人を幸せにするのである。

自分の子、あるいは、身近な子が、そのうちの一人にならないとも限らない。

それぐらいの夢を、親や大人は、もっと描いてもいいのではないだろうか。

「こうしてみせる」という支配欲ではなく――。

イエス・キリストを生んだのも女(母親)なら、ヒトラーを生んだのも女(母親)である。

女(母親)はあらゆる歴史の原点だということに、もっと自覚と誇りを持てばいいと思う。

ナポレオンの墓所―アンヴァリッド
http://bbkids.cocolog-nifty.com/bbkids/2006/12/post_1e9b.html

こちらのアンヴァリッドの記事を見て、ああ、もう一度、パリに旅行したいなあと思いました。

すぐそこなんですけどね。(往復10万円もかからない)。

まあ、子供が小さいうちは、辛抱辛抱です。。

大きくなったら、娘と、またまたベルサイユを訪れて(その前にいつ解禁するかが問題)、「ここで、マリーがね・・」って話をしてみたいものです。

それにしても、今の若い読者さんは、本当に恵まれてますよね。。。

私が子供の頃は、ホームページもブログもなかったから、手に入る情報なんかごくごく限られていたし、池田理代子先生といえば、アトリエにこもった神秘的な存在でした。

最近のお姿を拝見することも叶わなかった。

私にとっては、女神に近いものでしたよ。

それが今では、オフィシャルサイトを覗けば、お姿は拝見できるし、メッセージも読める、いつ、どこで、どんなイベントがあるか、すぐにチェックできるし、メールか掲示板に書き込みすれば、時にはレスポンスだって頂けるでしょう。
(私もレスを頂いた時には、天にも昇る気持ちだった……)

読んでもらえるかどうか分からないファンレターを必死で書いて、祈るような気持ちでポストに投函していた、当時の女の子の気持ちなんか、想像つかんでしょうなあ。

これだけ恵まれた環境で作品を楽しめるんですもの。

「好き、好き」だけで済まさずに、自分の人生に昇華して下さいね、と、おばちゃん読者は、心から願っています。

誰かにこっそり教えたい 👂
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