「生きる」とは雪の中を泥だらけになって歩くこと 

雪は、暖炉の傍らで、ホットチョコレートを飲みながら窓越しに見るから美しい.

右手に重さ2.5キログラムのジャガイモの袋、左手に直径17㎝の片手鍋とキャベツ一個、他にも、数種類の野菜や果物を持って歩く身には決して美しくない。

雪が深く降り積もれば、一歩前に進むだけでも大変だし、少し気温が上がって、一気に雪が溶け出せば、道全体が泥水に浸かったようになる。冬用のブーツを履いていても、氷のように滑るし、泥もはねる。たった500メートルの道のりが、一キロにも二キロにも感じる。

零下にもかかわらず、汗だくになりながら雪道を歩いていると、物事というのは、その中に入ってみないと分からないものだとつくづく思う。車窓から、あるいは旅館の窓から、のんびり眺めるだけなら、雪化粧も風情があるが、その中で生きていくとなれば、凍結や泥水との戦いだからだ。

そして、旅行会社の観光パンフレットには、深雪に足を取られて、一メートル前に進むだけでも四苦八苦する実情など、決して描かれはしないのだ。

「生きること」と「眺めること」は違う。

生きることは、観光パンフレットの美しい雪景色に足を突っ込んで、泥だらけになって歩くことだ。

心地よい旅館の部屋から外に出て、髪も凍るような風雪の中を歩き続けることだ。

そうして雪の冷たさや不便さを体験して初めて、雪国を本当に理解することができる。

何だって、外から眺める分には美しい。

だが、風に吹かれて、泥だらけになって、汗を拭った後にふと気付く「何か」にこそ、本物の美を見つけたい。

窓越しには分からない、人生の美しさ。

誰かにこっそり教えたい 👂
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